湯谷温泉

ずいぶん日数が経ってしまいましたが、18きっぷの最後の1日分を利用しました。行き先は「湯谷温泉」です。

前にも紹介したのですが、愛知県内の近場の割に、ここのお湯はなかなか温泉っぽい着色温泉で、僕は結構好きです。

今回利用した、湯の風HAZUさんの内風呂です。だれもいなかったので撮影しちゃいました。

【日帰り入浴&昼食】ミニ懐石☆湯の風プラン
湯の風HAZUオリジナル☆ミニ懐石と入浴がセットになった
日帰り入浴プランです。
眼下に宇連川を見下ろすロケーションの中での露天風呂。
川の瀬音を耳に、四季の渓谷を眺めながら、柔らかな湯をお楽しみください。

3,025円/人 (10月1日から)

楽天トラベルから

昼食にそこそこの料理を食べて、温泉に入って(交代制だけど、露天風呂もあるでよ)、ラウンジでくつろいでこの値段なら、たまには悪くないと思いますね。

ここの露天風呂、少し熱いのが残念ですが、宇連川を見下ろしながら入るのは気持ちがいいです。この写真はテラスからですが、風呂に漬かりながらこんな感じの眺めが楽しめます。

この宇連川、一級河川豊川の支川です。凝灰岩や流紋岩からできていて、川底が板を敷いたように見えるため、「板敷川」の別名もあります。湯谷温泉郷の辺りではいくつか小さな滝もあり、 「馬背岩」という天然記念物の地形もあります。

国指定天然記念物でもある、湯谷の名物スポットのひとつです。
この奥三河地域一帯では今からおよそ1,500万年前、大規模な火山活動が起こったとされています。この岩脈は、その火山活動によってできた地割れ目に流れ込んだ安山岩質の溶岩によるものと考えられています。

宇連川の河床を形成する凝灰角礫岩は、長い年月にわたって浸食を受けましたが、この安山岩は周囲より盛りあがった形状で残りました。そしてこの姿が「馬の背中のタテガミ」のように見受けられたことから、「馬背岩」と命名したとされています。

キラッと奥三河観光ナビ馬背岩

ま、まあ素人には、「小規模な滝だな」としか映らなかったりしますが。この湯谷温泉郷、お湯はいいんだけど、電車で来ると他に見どころが何もないのです。温泉郷にあるのは宿が数件と、食事処が1件、飯田線の駅があるだけですから。

まあ、こういうのを「秘湯」と言うのでしょうね。そう思えば悪くないす。

西尾の文化財(29) 海蔵寺

西尾市吉良町荻原にあるお寺です。吉良図書館のお隣ですね。

文化財は、県指定文化財が二点「木造阿弥陀如来坐像」と「雲版」です。でも建物の中にあるので見てないよ(笑)。詳細が知りたい場合は、西尾市のHPを見て下され。上にリンク張っておきます。

私がこのお寺で興味深く見たのは、この寺の墓地です。なんとここに「佐久間盛政」のお墓があるとされているからです。以下はwikiから引用。ただし賤ケ岳の戦いの部分は長いので、関係するところだけまとめています。

佐久間 盛政(さくま もりまさ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。御器所西城主。御幸塚城主。大聖寺城主。初代金沢城主。佐久間氏の一族。官途および通称は玄蕃允。勇猛さから鬼玄蕃と称された。

賤ヶ岳の戦い

柴田勝家は清洲会議以後、羽柴秀吉との対立を深め、天正11年(1583年)ついに両者は近江国余呉湖畔で対陣する。・・・盛政は中川清秀の砦を急襲する作戦を勝家に提案した。当初はこれに反対した勝家であったが、盛政の強い要望により妥協し、「砦を落としたらすぐ戻ること」という条件つきで承諾した。盛政の急襲作戦は見事に成功し賤ヶ岳の戦いの緒戦を勝利に導いた。盛政はこの勝利を足がかりにして戦の勝敗を決しようと、次に羽柴秀長の陣を討つべく準備にとりかかっていた。

しかし、琵琶湖を渡って船で上陸した丹羽長秀が増援として現れ、秀吉が強行軍で戦場に戻って盛政は敵中に孤立してしまった。結果的に勝家軍は秀吉軍に大敗し、盛政は再起を図って加賀国に落ち延びようとした。

(が、捕らえられ処刑)その首は三河国吉良(愛知県西尾市)に、胴は槇島(京都府宇治市五ヵ庄日皆田)に埋葬されたと伝わる。盛政には虎姫という娘がいたが、義弟の新庄直頼の養女となり、後に秀吉の命により中川清秀の次男秀成に嫁ぎ、豊後岡藩主の奥方となった。その縁で盛政の菩提寺は、大分県竹田市の英雄寺である。

墓所

海蔵寺(愛知県西尾市)英雄寺(大分県竹田市)
位牌所 慶宗寺(長野県飯山市)

佐久間盛政 wiki

この墓所 海蔵寺ってのがこのお寺で、下の写真で、斜めに切り裂かれたような墓石がそれ。正確には墓ではなく碑だそうです。すり減って文字は全く見えませんが・・・

「賤ヶ岳合戦で敗れた盛政の遺体を家臣の鈴木八郎治がひそかに郷里萩原に持ち帰り埋葬。佐久間の文字を避け索麻と石に刻み、出家して供養した。付近の萩原小学校の南方一帯を佐久間屋敷といっていた。」

正直、 盛政は京都(宇治・ 槇島)で斬首された罪人なので、その首をはるばる三河の地まで持ってくることが可能か?という気もするんだけれど、真偽はともかくそれなりの有名人のお墓 とされるものが西尾にある ってのは驚きでした。

にしても、「賤ケ岳の合戦」の勇者ですか。 いろんな縁があるものですね。