レイシ  〜幻惑のキノコ??

「令和」のミススペルじゃあ、ありません。「霊芝」です。

キノコの達人が、市内の山で取れたそうで見せてくれました。マンネンタケっていうキノコですって。

僕的には「へえー」ってくらいの感想しかなかったのですが、このキノコを乾燥させたものが「霊芝」だと聞かされ、がぜん興味を持ちました。

た、確か古代中国の医書「神農本草経」に、不老長寿の秘薬として取り上げられ、昨今では一部の方々に癌の特効薬として、サプリやらなにやらで高く売られてるやつですな。  その辺の山で取れるなら、栽培したら高く売れるんじゃねーの、これ? 

古代中国では霊芝の効能が特に誇大に信じられ、発見者はこれを採取して皇帝に献上することが義務付けられていた。また、官吏などへの賄賂としても使われてきたという。

・・・
「免疫力を高める」「高血圧・低血圧を改善する」「ガンを予防および抑制」など様々な効能を謳った健康補助食品が販売されているがヒトでの有効性については信頼性のおける十分なデータが見当たらない。しかし、中国や日本では霊芝には幅広い薬能があるものと信じられ、さまざまな目的に用いられてきた。その効能を裏付けようとさまざまな基礎研究が世界で行われており、培養細胞や実験動物を用いた研究では抗癌作用、免疫賦活作用、血小板抗凝固作用などが報告されている[要出典]。

wiki「霊芝」

残念ながら、すでに広く栽培されているキノコみたいで、新規参入してもそれほど儲かるものではなさそうですねえ。 ざんねーん。

P.S. 「霊芝の効能」についてググってたら、徳島県医師会のWebサイト(QA集)にたどり着いたんだが、これ、マジで大丈夫なんか? (以下少し要約)

質問)サルノコシカケはどのような効能があるのか、ガンにも効くのか?

答え)霊芝の効能 がん抑制細胞を活性化 (東洋病院院長)  

サルノコシカケ科に属する薬用キノコにカワラタケやマンネンタケ、イワタケなどがあります。霊芝はこの中のマンネンタケのことをいい、・・・薬理、成分、効能などが解明されつつあります。これらの論文や文献を参考にお答えします。

霊芝の効能について、効能をまとめました。

1.中枢神経の興奮を抑える作用や鎮痛効果がある
2.血圧を安定させ、最低血圧を下げる作用が認められている
3.高脂血症を改善
4.血液の凝固を抑える
5.血糖を下げる
6.炎症やアレルギーを抑える
7.免疫を高める作用がある

徳島県医師会のWebサイトより

徳島県医師会のサイトから「ホーム→県民の皆様へ→ドクターコラム→徳島県医師会の健康相談→霊芝の効能」って下りていくとこの記事があります。ただし「徳島新聞2001年12月30日号より転載」ってなってます。

県医師会のHPでこれだけの効果が歌われているのであれば、徳島県の 標準がん治療では、たぶん霊芝が使われているんでしょう(笑)。

あ、ちなみに・・・

>サルノコシカケ科に属する薬用キノコにカワラタケやマンネンタケ、イワタケなどがあります。

マンネンタケは従来サルノコシカケ科に含まれていたんですけど、現在ではマンネンタケ科に移されていますよ。

綿

これは、何の植物の写真でしょう?

はい、タイトル通り、「綿(ワタ)」ですね。 「オクラかと思ったよ」と言う人もいましたね。調べてみるとあながち間違ってなくて、オクラもワタも同じアサザ科。なので似てますね!

いま(7月)だとこの写真のような感じですが、やがて花が咲いて実がなって・・・はじけます。こんなふうに。

この弾けた白いのがいわゆる「綿花」です。こいつを収穫して種を取って、繊維をほぐしてやったのが木綿です。そこから糸を紡いで布を織ったりします。

だいたい10月ごろに収穫するんですけど、その時期は秋雨と重なります。雨が降ると白い綿花がだんだん薄汚れていくんです。なので、早めに取り込んで、しばらく干し、ドライフラワーにしたのが、上の写真。

その時期に雨が降らない地域、例えばアメリカ南部なんかでは、広大な綿花畑で枯れた綿から綿花を積む人力作業(超重労働)に使われててたのが黒人奴隷です。さらに後工程である綿花の中から種を取り出し繊維と分離させるのも大変な労力がかかります(種に繊維がからみついているから)。なのでそこまでを奴隷にやらせたんじゃないかと思います。 

そういえば、ここ三河地方は日本に綿が伝来した地とされ、さらに江戸明治期には「三河木綿」の産地として綿花栽培が盛んだったのです。今ではこのあたりの畑でも綿花を見ることは全くなくなってしまいましたけど。

西暦799年(延暦18年・平安時代の初め頃)桓武天皇の頃の記「類聚国史」や「日本後記」によれば、崑崙人(インド人と言われている)が愛知県幡豆郡福地村(現在の西尾市)に綿種を持って漂着した。これが日本の棉の伝来と言われています。
国産木綿がはじめて文献にみえるのは、永正7年(1510年)で興福寺の大乗院に残っている「永正年中記」に年貢180文の分として「三川木綿」をとったとして記されています。
・・・
江戸時代には、三河地方で棉の栽培と綿織物が盛んとなり、この地方の織物は「三白木綿」として江戸方面に送られ、さらに西洋の技術を取り入れ、明治時代には「三河木綿」「三河縞」というブランド名で全国に知れ渡った。「質の良い綿織物」としてその後今日まで受け継がれています。

三河木綿 – 三河織物工業協同組合

西尾市で崑崙人が漂着したと伝えられている土地は天竺(現在は「天竹」)と呼ばれ、日本で数少ない「綿」に関する天竹神社があります。ただし、神社として独立するのは 1883年(明治16年)と比較的新しいのですが。