ユーラシア大陸横断記(再掲)

12月に「Yahooブログ」が閉鎖されます。このブログの前に2008年から2016年まで700を超える記事を書いていたのだけど、それがすべて消えてしまいます。(WordPressブログへの記事移行機能は準備されなかった)無料のブログなので仕方ないですが、このブログは僕の外部記憶装置としての役割もあるので、いくつかの記事をこちらのブログに移動させます。

第一弾は2012年2月23日から3月19日に旅した、ロシアの東端都市ウラジオストックから、ポルトガルの西端都市リスボンへの陸路旅行記。

最近日本から最も近いヨーロッパの都市として人気の出てきたウラジオストックですが、そこからシベリア鉄道3等寝台車、6泊7日の旅(シャワーなし)でモスクワ、そこからさらにユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指します。ロカ岬には「ここに地終わり海始まる」を刻んだ石碑が建てられているんですね。行ってみてみたいですよね。時間さえあれば陸路でねwww。

まるでバックパッカーのバイブル「深夜特急」みたい・・・当時の僕は35才でしたから、そこまでバックパッカーしてたわけじゃありませんが・・・

旅行記

碧南 貞照院

碧南の貞照院ってところに、藁ぶきの山門があるよ〜 って教えていただき、見に行ってきました。 門内がきれいに清掃されたお寺のようで、ネットで見ると、なかなか人気のあるお寺のようです。

山門

なるほど、いい風情のお寺ですね。庭もきれいです。

庭ももちろん良いのですが、僕的には「このお寺は河岸段丘の端の高低差のある地形を、うまーく利用して造られているな」 ってところに興味が行きました。 googleマップの航空写真でみると、こんな感じ。

うーん・・・現地で見ると一目瞭然なんだけど、航空写真では分かりにくいですね。この場所をデジタル標高地形図で見る東海地方「西尾」でみてみましょう。

分かりやすくなったかな? まず、右下の堤防で囲まれた部分が「矢作川」です。矢作川を含めた青色の低地は、江戸時代以前は海の入り江で遠浅の海だったのです。 貞照院のある水色の部分は陸地。

入り江の上端に矢作川の新しい河口が掘られ、陸域の上流から大量の土が流れてきて遠浅の海は浅くなっていきました。そこを江戸の伏見屋(三宅又兵衛)が資金を出して新田開発したのです。新田の名前はもちろん「伏見屋新田」!。 現在も伏見町という地名として残ってます。 詳しくは碧南市のHPをどうぞ

で、このような地歴史が貞照院にも繋がってくるのです。なにせ寺の起源が「伏見屋新田を開拓した三宅又兵衛の縁者が元禄年間(1688~1704)に草庵を築いたことに始まる。」そうでございますから。草庵は、伏見屋新田を望む小高い丘の上に造ったので、水害時における新田からの避難所としての役割もあったのかもしれませんね。

おまけ

貞照院門前の碑 「不許葷辛酒肉入門内」

「酒、肉や臭いの強い物(ニンニク、ラッキョウ、ネギとか)を寺内に持ち込むべからず」ですね。まあ、酒を例にとると「般若湯」という「方便」もありますようですが(笑)。

隣の霞浦町にある「霞浦神社 (かほじんじゃ)」には碧南市でもっとも古い木があります。

霞浦神社境内の「欅(けやき)」である。その樹齢、推定600年とされる。碧南市域最初の新田である平七新田が完成したのが寛文3年(1663)。 ということは、この欅は当地が海岸線であった頃には存在していたことになる。 高さ15メートル、幹回り4.6メートルという大樹であり、碧南市指定の天然記念物である。

トボトボ歩く碧南市

「霞浦」って地名、関東の人は「霞ケ浦」を連想しちゃいますよね。霞ケ浦って今は淡水湖ですが、昔は海の入り江で、それが砂州や河川の堆積物で閉塞されて汽水湖になり、水門により淡水湖になった経緯があります。 霞ケ浦も霞浦も、大昔は似たような風景だったんでしょう。