愛知大学豊橋キャンパス (旧十五師団司令部跡)

季節の変わり目で、鼻がムズムズ。花粉症?風邪?状態の今日この頃。

用事があって、豊橋に行ったついでに、愛知大学(豊橋)にキャンパス見学に行ってきました。このキャンパスはなかなか面白いところです。

始まりは、帝国陸軍第十五師団司令部。その後陸軍予備士官学校。さらにその後、旧制愛知大学(中国にあった東亜同文書院の教授と学生を収容)となり現在に至る という歴史を有してます。

下の写真は、明治41年(1908)に第十五師団司令部として建てられた建物です。(愛知大学旧本館) 明治村に移築されてもおかしくないくらいですが、ここは記念館としてまだ現役。

十五師団が設立されたのは、日露戦争中。この戦いは日本に余裕がなく、内地の師団を根こそぎ対ロシア戦に持って行ってしまったので、内地の守りと予備師団が無くなっちゃいました。ヤバいぞー ってことで明治38年に動員を行い、この年に全国に四師団造ったうちの一つ。

あ、「師団」というのは、独立して、一つの作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位のこと。 なので歩兵だけでなく、騎兵、砲兵、工兵、輜重兵(輸送部隊)を傘下に持ってました。参加の部隊は以下の通り。()は旅団司令部や大隊本部があった場所。

歩兵第17旅団 (豊橋)、歩兵第29旅団(静岡)、騎兵第4旅団 (豊橋)、野戦重砲兵1旅団(三島)、工兵第15大隊(豊橋)、輜重兵第15大隊(豊橋)

一師団は総計ではだいたい2万人くらいの人員になります(時代により異なります。まあオーダーとして)。部隊は各地に分散して駐屯していたのですが、それだけの人が所属する組織の駐屯地及び司令部がここに置かれたのですから、明治時代の地方都市の経済やらなにやらに、ドーンと大きな影響を与えるわけです。

が、大正14年(1925年)第一次大戦後の軍事的脅威の薄れから四個師団の廃止が行われ、第十五師団は廃止になりました。時の陸軍大臣宇垣一成の名前を取り、宇垣軍縮と言われます※。

廃止だと〜!地元としては企業城下町で主要工場を閉鎖したり、原発が稼働を停止したりする事態に似てます。税収が・・・ 施設が落としてくれる金が・・・ という感じ。

大丈夫です。もんじゅ廃炉にするけど、そのあと研究炉やるから、勘弁してよ・・・

に似た地元救済策として? 陸軍教導学校、そののち陸軍予備士官学校が置かれます。 これはいざ戦争になると、前線指揮官である中尉、少尉が大量に必要になるので、それをあらかじめ育成する学校です。「平時は民間人として働いててね、お国の大事となったら動員するね?」ってこと。でも実際には日本帝国は昭和12年の日中事変以来、ずっと戦争してましたんで、ずっとお国の大事状態でした。 なお教導学校は下士官を養成する学校です。

ですが戦争に負けて軍備は禁止になったので、この学校も不要になり、跡地が開いちゃいました。そこで高校を移転させ(時習館高校 wikiによれば、敷地面積公立高校全国二位だそう)さらに中国にあった東亜同文書院の教授と学生を収容する大学が開学しました。

「東亜同文書院」は明治34年(1901年)に中国は上海に設立された日本人を対象とする高等教育機関(昭和14年には大学に昇格)でしたが、敗戦と同時に中国に接収され消滅。

ただし愛知大学は東亜同文書院大学を「前身ともいえる」という立場をとっており、豊橋図書館には旧東亜同文会所蔵の図書や支那調査旅行報告書が残されたり、愛知大学東亜同文書院大学記念センターが設置され、東亜同文書院大学の資料の展示が行われているようです(日曜閉館。見たいのに、日曜日休みとは・・・)

愛知大学は現代中国学部が設置されてもいて、地元では「中国に強い大学」というイメージがあります。 (んー、でも確か現代中国語学部は名古屋キャンパスで教育をうけるんだよね・・・)

旧司令部(裏側から撮影)
たぶん旧将校集会所・・・
たぶん旧銃器取扱所 基礎がレンガ造りだぞ!
記念植樹 大正時代に師団長を勤めました。

※この軍縮は、浮いたお金を陸軍の近代化に回したり(全く足りなかったんだけど)、軍隊にとって良いこともあったのですが、将官の整理(首切り)をやったので陸軍内では評判が悪く、後に宇垣氏が指名されても組閣に失敗し、総理大臣になれなかった※理由の一つになります。 いつの時代の官僚(軍官僚)も、自省の力を弱めるのは絶対のタブー。

※当時は「軍務大臣現役武官制」が復活しており、陸軍大臣と海軍大臣は、現役軍人でないとなれませんでした。(宇垣は予備役大将でしたが、予備役はダメ)。だから気に入らない総理大臣候補者の場合、陸軍(軍官僚)が結束して「陸軍としては現役軍人を大臣には出せません」とごねれば、その候補者は総理大臣になれなかったのです。 「軍務大臣現役武官制」は一度廃止(予備役でもOK)されたんだけど、その時強硬に廃止に反対したのが、官僚だった宇垣だったので、まあ仕方ないんですけど。  軍部の政治力増大もムベなるかな という気もします。

のちに東条英機は総理大臣兼陸軍大臣となりましたが、これは現役軍人のまま総理大臣になったから(異例)です。 ←軍部を抑えるには「毒を以て毒を制す」しかないと判断されたため。

 

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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