地元では「鳥羽の火祭り」で有名。
国の重要無形民俗文化財に指定されています。が、見たことないのよね・・・ 写真を見ると感じは分かるだろうけど、神社のHPによると、概要は以下の通り。
神木と茅、青竹と藤で高さ約5メートル大松明を二基境内に設置し、燃えさかる松明から25歳の厄男たちが神木と縄を奪い合い、その結果で天候や豊凶を占う神事。
漁師町で若衆が競い合う神事だから、かなり勇壮なんでしょう。
なかなか立派な面構えでございます。それもそのはず、平安時代末期に書かれた「三河国内神明名帳」に幡豆郡八座として記載された、うちの一座「草佐天神」は、この神社に比定されているからです。(火祭り神事で草笹を使うから?)
寺伝によれば、第51代平城天皇時代(806~809年)の創建と伝えられているそうですが、隣接していた神宮寺とともに由緒記録が焼失してしまい詳細は伝わっていないとのこと。
もう一つ何が説明したいのかよくわからん説明も。
一説に、貞観年間(859~877)の頃、平城天皇の皇子阿保親王の五男、在五中将在原業平が三河路に下向の時、同行した婦人が道に迷い、当神社に奉仕する深谷左内の家へ身を寄せた。その後、婦人は男子を出産し「大和正在原納平」と命名した。実子の無かった左内は、納平を養育し嗣子として職を継がせた。爾来およそ1200年の歴史を有する。
神社に奉仕する職(宮司家?)の歴史が1200年あるので、神社も少なくとも1200年の歴史がある って言いたいんだろうね、たぶん・・・
追記。 西尾市一色町にある一色学びの里に、祭の様子が常設展示されています。それによると、二本のでかい松明を立てます。松明を立てるのに1mくらい穴を掘るそうなので、写真に出ているのはその跡ですね。松明の中央には神木が埋まっています。
祭が始まると、松明に火を付けます。火をつけた松明から、二組に分かれた若衆(ネコと言うそうです)が火の粉を浴びながら、どちらの組が神木を早く取り出せるかを競うそうです。 松明の燃え方と神木の取り出し速さから、その年の吉凶を占うそうです。
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