昨日の記事の追記です。
試験対策とは全く関係のない雑感です。
試験問題を記載していて気が付いたのだけど、全然定量的な問題がないのね。 他の受験科目の場合はよくわからないけど、なんつーか、その人の持つ「河川哲学」てーか、「思考方針」みたいなのを問うてるっていうか。
ですから極端な話、土木工学を専門にしていなくても、例えば百パーセント文系の人でも、国土交通白書とか河川の本をしっかり読みこむことで、筆記試験には合格できるんじゃないでしょうか。なにせ四則計算すら出てこない(笑)。
もちろん、受験に当たっては一次試験合格とこの分野の経歴の提出が必要だから、その過程で判断されていますが。でも「土木工学の試験なんだから、もっと泥臭くてもいいんじゃね?」とも思いました。(まあ、そうなると僕合格できるか分かんないけどさ。)
で、「土木工学の泥臭さって何よ?手を動かすことか?」てなことを寝ながら考えてたら、昔大学のN教授が言ってたことを思い出しました。
N教授はなんかの折に、僕ら学生に「どうも君ら見てると工学部の学生さんって感じしないね」ってぼやかれたことがありました。
当時N教授は学科長だったので、工場長が工場で出来たばかりの製品にクレームつけるのはいかがなもんか?とは思いましたが、なんか言われてること良く分かったような気がして、納入先の試験を待つ製品としては(>_<)。※
その時こんな話をしてくれたんです。(N教授は、東大土木を昭和40年代卒?)
僕が学生の頃、「土木施工学」っていう講義があった。その講義で教授に聞かれたんだ。「N君、セメント一袋の重量は知っているかね?」 見たことなかったし知るわけない。で、「〇キログラム」って答えたんだ。教授は続けて「君は何キロの袋なら担いである程度運べるかね」と聞く。「さあ、20キロぐらいでしょうか」と答えたところ、教授が言ったんだ。「そうだ、それがセメント袋の重さだ。それが工学だ」…
僕の出た学科の特徴として、やたら○○力学とか応用数学とかスマートな(抽象的な)講義が多く正直僕はうんざりしていました。コンクリート工学なんて泥臭い講義も少しあったけど、セメント袋の重量は聞かれなかったし。
まあ、大学の講義で「土木施工学」をやればいい という問題ではありませんけど。でも僕はその時何か感じたんでしょう。
おそらく、○○力学とか応用数学とかスマートな理論からなる講義群を組み上げて「土木工学教育体系」を組み上げるのは簡単なんです。かっこよさそうだし、見栄えもいいですし。他方、セメント一袋の重量から積み上げていくのは、時間もかかるし、泥臭いし面倒でしょう。 が、そのアプローチからも、見えてくるものがあるはずです。
幸い僕はいまある程度時間があるんで、泥臭いアプローチもしてみようと思っています。どちらが大事か ではなく、たぶんどっちのアプローチも大事なんだと思います。
※その後、工場長は2年後に工場の製造ラインの統合・分離を行われ、私が造られたのと同じ製造ラインは現存しておりません(泣)。
そういや今、農業の学校に通っていますが、そこでもやっぱり先生が「農学(理論)」と「農業(実践)」は違うみたいなことを言われます。 あるいは「農学者が作物を育てても、よい作物ができるとは限らない」というような言葉はよく聞きます。
農業初心者として、この言葉の意味は頭では分かりつつも、この言葉を理解するにはやっぱり自分でやってみて、失敗する経験を積むことが必要だと思うんですよね。