自民党の二階俊博幹事長は二十六日、少子化問題に関し「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら大変だから産まないようにしようと言った人はいない。この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える(人がいる)」と語った。東京都内で行われた政治評論家との対談で、聴衆の質問に答える形で発言した。不適切な発言と指摘される可能性がある。
僕が一番注目したのはここ。
「東京都内で行われた政治評論家との対談で、聴衆の質問に答える形で発言した。」
なんで二階君は、聴衆の質問にまともに答えちゃったんですかね?首相(総裁)や官房長官のように、聞いた質問にまともに回答せず、論点のずれた回答をしておけば、「失言」にはならなかったのに(笑)・・・ まさに雉も鳴かずば撃たれまい でした。
記者会見における安倍君や菅君と比較すると、二階君は質問にはきちんと回答しよう という姿勢をとられていたので、僕は好感を持ってたんですけど、発言内容が残念でしたね。
二階君の発言はこの言葉に続き、「国全体が、この国の一員として、この船に乗っているんだからお互いに。だから、みんなが幸せになるためには・・・」と続いていきます。【音声配信・文字起こし】自民党・二階幹事長の「子どもを産まないは勝手な考え」発言を検証▼2018年6月26日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)
話の内容自体は、世間で良く聞く話で、個人的に違和感※はあるけれど、別に驚きはないです。ただ最近は違う考えを持っている人も多くなっているから、公人の発言としては「political correctness」に引っかかると思います。
ちなみに僕はそもそも独身なので、「なんで結婚しないのか」ってよく聞かれます。
僕は「結婚も子供を造ることも、それが幸せにつながるとは限らんので、したければすればいいし、いやならしなきゃいい。てか、余計なお世話です」と考えています。二階氏的に言えば、「個人が幸せになることの総和がみんなが幸せになること」という非国民的思想。
まあ、こういう思想と「みんなが幸せになるために結婚や子造りは当たり前の義務」という思想って、どこまで言っても絶対かみ合うことはないので、黙ってるのが吉です。それが大人だす。
※僕が感じた違和感については、長谷川あやさんの 46歳「未婚で子ナシ」が二階幹事長にはっきり言いたいこと にうまくまとまられていましたのでぜひどうぞ。
あくまでも私の感触だが、結婚や子どもを持つことを幸せの尺度にしている人は、年齢、性別を問わずとても多い。なぜ結婚しないのか、子どもを産む気はないのか。これまで、年齢、性別問わず、いろいろな人にそんな趣旨の質問をされた。
悪気があるわけではないのだ(多分)。多くの人が「幸せ」と考えていることに、興味がなさそうにしていることが不思議なのだと思う。まだ血気盛んだった若い頃は、大人げなく、「セックスと料理を含め、家事が嫌いなの。セックスと家事が一切ない結婚だったらしてみたいわ」と言わなくてもいい本音を言い、相手を黙らせてみたりもした。
ただ、何度も同じ質問をされ、何度も同じ答えをするうちに、いちいち真面目に答えるのが面倒くさくなっていき、やがて「なんでだろうね」と質問に質問で答えるようになる。
根本的な話になってしまうが、何に幸せを感じるかは人それぞれだ。価値観だって違う。たとえば直近の例でいえば、私はサッカーのワールドカップで日本代表が勝とうが負けようが心底どうでもいいのだが、誰もが日本代表を応援していることを前提に話しかけてくる視野の狭い人に辟易としている。
・・・二階幹事長が「子どもを産まない方が幸せじゃないかと考えることは勝手」だと考えるのは自由だ。ただその偏狭な家族観、前時代的な幸福観で、個人の生き方の選択に介入することは、「勝手」ではないのだろうか。子どもを産まない“方が”必ずしも幸せ、だとは思わない。でも子どもを産まなくても私はじゅうぶん幸せだし、そしてそう思うことを恥じていない。
……のだが、もしかしたら私も、5年後、10年後、「子どもがいる人生も良かったな」と思うかもしれない。まあそうなったらそうなったで、若き日の自分の選択を受け入れる覚悟はできている。ほろ苦い思いはおいしいお酒で流し込もう。
僕も、「そうなったらそうなったで、若き日の自分の選択を受け入れる覚悟」はできているつもり。おいしいお酒で流し込めるほど甘くはないと思うけれど、決めたんなら、そう開き直るしかないじゃんね。