台風が襲来してきて、自分の住んでいる地域に避難準備情報や避難勧告が出たら、もっと進んで避難指示が出たら、皆さん逃げますか?
まあ、普通は「避難しない」ですよね。多分僕もそうです。 専門家や報道は「とにかく逃げて!空振りでもいいから逃げて」って言ってますが、まあ普通の感覚なら「最近は台風が来るとすぐに避難準備や避難勧告を出して、大げさすぎるんだよ!空振りだったら嫌だし、これまで大丈夫だったんだから、今回もきっと大丈夫だろう」と思いますよね。
こういう人々の心理を防災心理学では「正常性バイアス」と言います。
「正常性バイアス」とは、水害、地震、津波、火災などの危険が目の前に迫っていても、日常生活の延長線上の出来事だと判断し、「自分は大丈夫」「まだ安全」などと思い込んでしまう人間の心理的な傾向を指す。 (引用元は後述)
典型的な正常性バイアスの事例(僕の実感・・・)
僕は大学生のころ学生宿舎に住んでいました。宿舎は老朽化していたし、部屋で炊飯する人もいたし、その他若気の至りで酔っぱらった挙句ボタンを押す奴がいたりして・・・火災報知器がとにかく良く鳴るのです。
最初はどうしようか?と考えていた僕でしたが、そのうちに簡単な対処法を見つけました。 ドアを開いて通路をしばらく眺め、誰かが避難するそぶりがあれば僕も逃げるというもの(笑)。
警報が鳴った時点で安眠は妨げられましたから、少し起きて行動して、また布団に戻れば、最小限の損害で「何か対策行動した」ことになるな(笑)。寒い一階まで階段を下りて避難するのは大変な行動です。それがほとんど誤報であればなおさら。
僕が編み出したプロセスは、もちろん防災の観点からは落第です。だけど、現実的な一般解であったと思います。本当にこの建物で火事が起こっていたら、僕は他の学生とともに焼け死んでいたけど。
そんな経験を持っているので、これを正常性「バイアス」とする表現—バイアスと言うのは「かたより」という意味です—に、僕にはいまいちしっくり来てなかったのです。これは「かたより」じゃなく「普通の」思考回路だと思うから。
同様に、たとえ台風が接近して自分の住む地域に避難情報が出ても、僕はまあ簡単には逃げないでしょう。構造はよく似てます。大抵情報が出ても、何もなく終わるから。
そんな中で、次の記事を読んで大いに共感したので紹介します。
なぜ逃げない? 災害大国の日本が陥りやすい「正常性バイアス」問題
いろいろ示唆に富む指摘があり、是非一読してほしいのだけど、僕がここは特に重要だなと思ったところだけ抽出して引用します。それでも長くてすいません。
防災が苦手な人たちの行動を変えるには、「正常性バイアス」をチェンジさせようとするだけでは追いつかない。有効な対策のヒントを、横浜市立大学の武部貴則教授が提唱する「広告医学」にみつけた。
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「広告医学」とは、医者がいくら指導しても行動を変えない、生活習慣病予備軍のような人たちに、本人たちが意識しないうちに健康にいい行動をとらせたり、健診に行くよう仕向けたりする方法を探ることだ。
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もし防災意識の低い人にも、情報で避難させようとするのではなく、「避難したくなる避難所」ができたら、災害による死傷者を大幅に減らせるのではないだろうか。災害心理に詳しい、関西大学社会安全学部の元吉忠寛教授は次のように語る。
「防災が苦手な人たちの行動を、社会を変えずに、変えるのはとても難しいと思います。人は、恐怖などの強い感情が引き起こされる『直接的な危機(目の前の危機)』から身を守るようにはできていますが、強い感情が湧いてこない『間接的な情報(予測的な情報)』に反応して身を守るようにはできていないからです。
毎日の生活を送る中で、目の前に危険がなければ、普段通りに過ごしたいと思うので、後回しにしても当面困らないことについては、適切な行動を取ることは難しい。
ですので、一般に「正常性バイアス」と呼ばれているものはバイアスではなく、人間として当然の反応だということを理解する必要があります。
情報を高度化・精緻化して人を避難させようとしている、現在の防災対策の方向に対して私は否定的です」
では、「避難したくなる避難所」は、どういうものが考えられるだろうか。元吉教授は提案する。
「避難コストの最小化のためには、避難所を行きたくなる場所にすることはとても重要です。日本の避難所は不快で長居したくない場所です。要配慮者がいる場合などは、避難させるのも大変です。自宅にいた方が一見心地がいいし安心なのでみんな移動しません。
また、実際に行動経験がない場合に避難することは難しい。台風接近のたびに避難しても『無駄だった』と考えないような工夫が必要です。
たとえば、台風が近づいたらお孫さんと過ごす日にするとか、ハザードマップで危険な地域に住む人は、ホテルに割安で宿泊できるとか、映画館で無料で映画を見て一夜を過ごすことができるようにするとか、そのくらいの発想の転換が必要なのではないでしょうか。
現状では、現実的ではないですが……。台風が接近したら必ずそれを行うという風に習慣化しないかぎり長続きしませんし、本当に災害が起きたときに命を守ることができません」
DMAT(災害医療派遣チーム)に登録し、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大地震等で救援に当たってきた、ある救急医は次のように嘆く。
「この20年、日本の災害医療は進歩しているように言われていますが、避難所についてはほとんど変わっていません。暖房も冷房も無い体育館で、床に段ボールを敷き、プライベートもなにもない状況で長期間の避難所生活を余儀なくされる。あれでは、健康な人も病気になるし、災害関連死もなくせません」
本気で、自然災害から人命を守りたいなら、「正常性バイアス」という、人間の特性を変える努力をするよりも、避難所を「避難したくなる場所」にする工夫をこらすほうが確実で、即効性がある。
僕の意見も少しつけて要約すると
・避難を進めるには、情報を高度化・精緻化して人を避難させようとするのではなく、「避難したくなる避難所」にしていくことが必要。
・なぜなら人間は目の前に危険がなければ、普段通りに過ごしたいと思う(普段通り家で過ごしたいと思う)感覚があるから。これはバイアスというより、人間として当然の反応だと理解すべき。
→つまり、これは「北風と太陽」の童話と同じ構造ってことだね。
現在の防災対策は避難情報を高度化・精緻化して(人を脅して?)避難させようとしている「北風政策」なんだけど、それにより避難行動を取る人はあんまり増えない。
・なぜなら、今の避難所は快適性なし、プライバシーなし、季節によっては生死を左右する冷暖房なし という「不快で長居したくない場所」だから。さらに避難が空振りになってしまえば、避難は『無駄だった』と思ってしまう。すると当然、今後避難しよう とはしなくなってしまう。
・本来、避難は習慣化することが大事なので、今後防災政策は「避難したが、まあ無駄じゃなかった」「避難所は快適」という太陽政策へと変えていく必要がある。
太陽政策には予算が必要になる。でもこれこそが、防災(正確には減災かな)に本当に必要なことじゃないだろうか?