環境問題「戦争」

久々に骨太の議論を読みました。

環境問題「戦争」で日本がガラパゴス化している現実

世界経済フォーラムの年次総会(通称「ダボス会議」)がスイスのダボスで1月に開催された。今年(2020年)のダボス会議は環境問題一色だったが、火力発電所の増設を進め、ペットボトルを廃止せずリサイクルの効率化を試みる日本に対しては厳しい指摘が相次いだ。

 国内では、日本の取り組みを世界に理解してもらうべきとの論調が強いが、それはほとんど無意味であるどころか、おそらく逆効果となる可能性が高い。環境問題というのは国際的な権力闘争そのものであり、理屈の領域などとっくの昔に越えている。冷酷な国際社会のパワーゲームに比して日本人のマインドはあまりにもナイーブであり、このままでは日本だけがバッシングを受け、高い代償を要求されるという結果にもなりかねない。(加谷 珪一:経済評論家)

JB Press

環境問題というのは国際的な権力闘争そのものであり、理屈の領域などとっくの昔に越えている」すごい言葉やねー。もう少し詳細に読んでみると・・・

どのような環境規制を構築するのかによって、国家間のパワーバランスが激変するというのが現実であり、これは冷酷なパワーゲーム、言い換えれば一種の戦争といってよいものである。環境問題について議論する際には、こうした地政学的な視点が欠かせないのだが、困ったことに日本人にはこうした意識がほとんどなく、これが環境問題に対する議論を迷走させる最大の原因となっている。

僕は「環境問題」って興味ありますが、科学的にどう見るのかということより、こういう「政治力学的」な話の方が好物だったりします(笑)。

ちなみに、理屈の領域などとっくの昔に越え、国際的な感情闘争になってるのが「捕鯨問題(IWC)」です(笑)。

閑話休題。が、ここで述べられているような「科学の政治化、政治の科学化」みたいな分析は、地政学者や経済評論家のような「ひねくれもの」たちの穿った見方ではなく、 あまり万人受けしないテーマながら重要な視点として存在するのです。

例えば、科学史家である米本正平が、1992年にNGOのメンバーとして参加した地球サミットに参加したことをきっかけとして、 科学研究や南北の政治力学などが絡み合ったこの難問をどのように考えたかを記した本があります。

米本正平「地球環境問題とは何か」 岩波新書331 

科学史家としてはそういう分析はしたくなかったかもしれない・・のですが、きちんと分析すればするほど、記されているのは 環境問題=国際的な闘争 という構図なのです。

加谷さんの記事に戻ります。

大きな枠組みとして、欧州勢は地球環境問題を武器(ウェポン)にして、覇権を拡大しようとしている。これに対して、今や世界最大の原油産出国となった米国は、環境問題からは距離を置く姿勢を鮮明にしており、欧州勢とは対立している。ここに大国になった中国がEV化を武器に、米国に牽制球を投げ込む図式となっている。

 欧州勢には国際金融資本も肩入れしている。地球環境問題は巨額の資金を必要とする最後の分野であり、金融資本にとってこれ以上のビジネスチャンスはない。金融資本としては、環境問題に熱心な企業に投資をしたいのではなく、環境問題を「錦の御旗」に、環境問題に対応できない企業からは情け容赦なく高額の利子を徴収し、大きな利益を得るという意味である。

ははあ。分野は違えど、今はやりの次世代通信規格「5G」を巡るアメリカと中国の争いも全く同じ構図ですね。この場合は、ヨーロッパが米国に牽制球を投げ込む感じですけど。

2月3日付英フィナンシャル・タイムズ紙で、米国のヘルヴィー国防次官補代行が、米欧は重要インフラ、軍事力、政治体制などの分野で共通の対中政策を実施すべきである、と述べている。このような論説が書かれるということは、米欧には共通の対中政策が無いということを意味している。

米国は中国の台頭は、特に先端技術について米国の覇権に対する挑戦であると見ている。先端技術は軍事技術と密接な関係にあるので、中国の挑戦は米国の軍事的覇権に対する挑戦でもある。

しかし、欧州は、中国と覇権を争う立場にない。欧州は中国を戦略的よりは経済的見地から見がちであり、欧州にとって中国は見逃せない市場である。

この違いを象徴しているのがファーウェイに対する米国と欧州の対応の違いである。

米欧に必要な共通の対中政策

そのうえで、日本がとるべき対応は・・・?

このゲームにおける基本的な図式はすでに大国間で確立されたものであり、小国に過ぎない日本が全体の流れを変える力を持っていないのは明白である。

 そうなってくると日本は、欧州勢や中国勢と同調し環境問題を徹底的に重視するか、米国と同調し環境問題からは距離を置くのかの二者択一にならざるを得ない。

 ところが日本は欧州勢でも米国勢でもなく、極めて中途半端な立ち位置となっており、自らを不利な状況に追い込んでいるように見える。

中立マンセーの日本の立ち位置としては極めて妥当・・・つーか想像できるんだけど、記事では日本の立ち位置についてこのように書かれ、なるほど「化石賞」貰うわけだわ・・・と納得することしきり。

  • 欧州勢は、その合理性はともかくとしてペットボトル廃止に向けて動き始めており、廃止を議論している場で(日本が)再利用の効率化を主張しても、話がかみ合わない。
  • 基本的に火力発電所の削減が絶対的な目標となっており、効率を上げて火力を増設するという日本側の主張はまったく意味をなさない。
  •  仮に米国と同調するにしても、米国はエネルギーを自給できる国だが、日本はできない。原発の燃料となるウランも輸入に頼っているという点では石油とまったく同じ。自国でエネルギーを確保できない中、世界最大の資源国である米国に同調することも、かなりのハイリスク。

こう見ると、5Gで中国につくか、米国につくか(日本は米国についたけど)より難しい問題であることが、わかるよねー。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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