「失敗の本質」という本があります。副題は 日本軍の組織論的研究。
日本軍は、なんで太平洋戦争敗北という大失敗をしちゃったのか を組織論的に分析した本です。 そもそも、国力の差がありすぎるアメリカと戦争しちゃう時点で、もうまちがってはいたんですけどね。
その第二章「戦略・組織における日本軍の失敗の分析」を読んで、要点だと思ったところを要約・抽出しました。
もちろんこれは、「現在の日本政府による、対コロナ戦争における失敗分析」に繋がるものです。なぜなら、軍隊と言うのは、典型的な官僚組織だからです。であれば、そこでの失敗は、日本を動かす日本国政府(官僚組織全体)に通じるものでしょう。
うん、思い当たる節がありすぎて泣ける。
- いかなる軍事上の作戦であっても、そこには明確な戦略な作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。
- 連合艦隊の最終目標は、太平洋を渡洋してくる敵の艦隊に対して、決戦を挑み一挙に勝敗を決することであった。しかし、決戦に勝利したとしてそれで戦争が終結するのか、また万一にも負けた場合にはどうなるのかは真面目に検討されたわけではなかった。
- 日本軍は初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限りにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。
- 本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。とすれば、状況に合致した最適の戦略を戦略オプションのなかから選択することが最も重要な課題になるはずである。・・・ときとして日本軍の戦闘における小手先の器用さが、戦術、戦略上の失敗を表出させずにすましてしまうこともあった。しかし、近代戦に置いてはこれが常に適用するわけではなかった。したがって、日米両海軍の戦力バランスが崩れ始めると、もう小手先の戦闘技術の訓練だけでは対抗できなくなる。
- 中央と現地が地理的に隔たっとおり、かつ両者の間の意思疎通が必ずしも円滑にいっていないという状況であったにもかかわらず、現に作戦を実施しようとしている関東軍に対して、明確な指示を下さないままに、意のあるところをくみとらなかったとするのは統帥の実務責任者として適切な判断と言えるであろうか?
- (インパール作戦中止を巡る話)河辺方面軍司令官は第十五軍の牟田口司令官を訪れた。両者とも作戦中止を不可避と考えたにもかかわらず、「中止」を口に出さなかった。牟田口は「私の顔色で察してもらいかたった」といい、河辺も牟田口が口に出さない以上、中止の命令を下さなかった。
日本軍が高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であることを示している。 - 日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。判断のあいまいさを克服する方法として、個人による統合の必要性をうみだした。個人による統合は、一面融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果に陥りやすい。
- 日本軍は失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。
ミッドウエー海戦(決定的敗北)の作戦終了後に通常行われる作戦戦訓研究会もこの際には開かれなかった。 - 作戦担当の黒島先任参謀は、戦後、次のように語ったといわれる。
「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これをおこなわなかったのは、突けば穴だらけであるし、みな十分反省していることでもあり、その非を十分認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった。と記憶する。」
ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる。 - 個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した。このような志向が、作戦結果の客観的評価・蓄積を制約し、官僚組織における下克上を許容していったのである。
もう、この辺とかまさに今そうなってますよね。
「日本軍はときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限りにおいてきわめて有効なはずであった。」
場当たり的対応だからダメなんじゃないです。場当たりだったとしても、取った対応の結果を直視し、ちゃんとフィードバックするなら、これは「順応的管理」であって、不確実な状況下では有効な方策でした。問題は
「日本軍は失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。」
客観的事実を尊重せず、フィードバックもしないことなんですね。
「日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。個人による統合は、一面融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果に陥りやすい。」
事例として、東条英機が首相、陸相、参謀総長を兼務した事例が挙げられていますね。・・・縦割り行政の調整がうまくできず、安倍さんが首相と内閣府(官僚人事権を掌握)の長を兼ねて対応しようとしたのと似てます。さらに「内閣総理大臣は自らを助けるものとして内閣府に内閣府特命担当大臣を置くことができる」ので、安倍さんは補佐官として西村コロナ対策大臣を置いてます。
が、融通無碍な行動(政治判断)を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し(だから国民向け放送できちんと説明できない)、計画的、体系的な統合を不可能にしてしてしまう結果(首相がPCR検査を増やすと言っても、実数が増えない)に陥りやすい ってわけね。