安倍首相「1カ月半でコロナ収束。日本モデルの力示した」
安倍晋三首相は25日夕の記者会見で、新型コロナウイルスについて「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と述べた。そのうえで「すべての国民のご協力、ここまで根気よく辛抱してくださった皆さまに心より感謝申し上げます」と述べた。
SankeiBiz
ここで出てきた「日本モデル」って、一体何を指すんだろう? 緊急事態宣言発出時に、協力を得るすべての国民に配布するとした10万円給付は、まだ来ないうちに緊急事態宣言は解除されたし、アベノマスクもまだ来ないのだけど・・・(そこそこ優先度の高いはずの愛知県ですが)
海外からも批評はいろいろありますね。
日本の新型コロナ対策、WHO事務局長「成功」 海外メディア「独特」
WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は、日本で緊急事態宣言が解除されたことについて「成功例を見ることができた」と評価しました。海外メディアには、日本の対応が異色とも受け止められたようです。アメリカの有力紙「ウォールストリート・ジャーナル」は、日本の新型コロナ対策について、「ほかの先進国とは対照的に大規模な検査は行わず、代わりに集団感染の感染源を昔ながらの面談で特定していく方法が取られた」と紹介。また、日本の感染率や死亡率が低いのは「マスクが広く着用されていて、手洗いも習慣化するなど、衛生意識が高いことが主な理由かもしれない」とする政府高官のコメントを掲載しています。
「ワシントン・ポスト」は、「命令や罰則ではなく、要請や社会的圧力などでウイルスを抑え込む独特の方法で、一定の成功を収めた」としていて、日本の慣習や社会の仕組みをからめた分析が目立ちました。
TBSニュース
成功例とは言われるけど、その方針は異例だったとか、国民の意識が高かったのかも? とか、他国では応用できなそうなモデルです。
個人的には、「日本モデル」って、ワシントンポスト紙の指摘した 「政府が「がんばれ」としか言わなくても、自粛警察が機能し結果としてウイルスを抑え込めた」ってのが、その実態のように思います。
命令や罰則に寄らない同調圧力による社会規制ついては、安上がりかもしれないですが、パッシングが「社会的に弱い者に集中する」危険性もあります。そのうえ、政府や自治体もそれをどこか期待していたのでは という指摘もありました。これは重いものですね。
暴走する正しさ 自粛警察に「政府や自治体もどこか期待」
自粛警察や相互監視といった同調圧力、感染者に対するバッシングや差別などを含めて、「コロナフォビア」と呼んだのは、社会学者で法政大学特任研究員の明戸隆浩(あけどたかひろ)さんだ。ヘイトスピーチやレイシズムに詳しい明戸さんは、恐怖心から出発して差別に至る構図が「まさにフォビア」と指摘する。
フォビア(phobia)とは嫌悪、忌避を意味する。ホモフォビア(同性愛嫌悪)、イスラムフォビア(イスラム嫌悪)などと同様に、恐怖から始まってその人たちを遠ざけ差別し排除する言動が見られるからだ。
さらに明戸さんは、政府や地方自治体の側も、この自主的な相互監視システムをどこか期待している、と指摘する。
「休業要請中に営業したパチンコ店が公表されましたが、本来は店名の公表だけでは何の罰にもならないはず。市民間での批判、バッシングが起こって、それがプレッシャーになるという前提があるから、ペナルティーになるわけですよね」
こうしたバッシングや他罰感情は全方位に向くのではなく、社会的に弱いものに対して向けられることを明戸さんは懸念する。ライブハウス、夜の街、パチンコ店などはその典型だった。
Yahooニュース
日本は先の大戦時に見られた「非国民」や「密告」が言葉を変えてそのまま生きているし、そもそも(冷静に分析すれば)勝ち目のなかったこの大戦、国民の熱狂的支持もあり、開戦を止められなかった面があることも忘れてはいけません。
来る第二波の時には、いくらか進歩がみられるといいのですが・・・
最新の行動経済学が解く日米開戦の謎
組閣時の東条首相が、陸相とともに内務大臣も兼任したのは、全国の警察を掌握して米国との非戦に決まった場合の混乱に備えたからだといいます。激高した世論が起こすであろう騒擾(そうじょう)状態を予想していました。「昭和天皇も、米国にむざむざ屈服すれば世論が沸騰しクーデターが起きる恐れを懸念していました。こうした中で、開戦を回避することは国力低下を確定させてしまうため選ばれず、静岡県立大の森山優教授の言葉を借りれば、将来どうなるか分からないにもかかわらず、ではなく、どうなるか分からないからこそ、指導者は開戦に合意できたのです」
――東条首相は退陣後も「開戦の可否に関しては今でも日本はあれより進む道がなかったと信じている」と主張していました。ただ個々の戦略は反省すべき点が多かったと述べていました。
――日米開戦に至る歴史から現在の我々が学べることは何でしょうか。
「東北学院大の河西晃祐教授の言葉を借りれば、日本の国力を過信していたわけでも米国の国力を過小評価していたわけでもない指導者らによって戦争が選択されました。正しい情報と判断力があれば戦争が回避できるとは限りません。付け加えるならばそれがどんな知的エリートであっても、です」
日経Bizgate