太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ

という興味深い記事がありましたのでご紹介。

【科学で検証】太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ  播田 安弘
設計からして、そもそもダメだった…
あまり知られていないが、太平洋戦争では日本の軍艦は魚雷攻撃に非常に弱く、いとも簡単に沈没していた。そのため戦艦大和は行動が制限され、海軍の基本戦略は齟齬をきたしたのである。なぜ日本の軍艦はそれほど脆かったのか?
映画『アルキメデスの大戦』で製図監修をつとめ、大和などの設計図をすべて描いた船舶設計のプロが、このほど上梓した『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)で指摘した、日本の軍艦の致命的な欠陥とは?

現代ビジネス

ほうほう。。現代ビジネスオンラインも、いろんな記事が載ってるなあ。肝心の内容は・・・

日本の巡洋艦の内部には、船体の中央を縦に走り、左右を隔てる縦隔壁が入っていました。米英の巡洋艦には、そのようなものは入っていません。巡洋艦をとことん軽量化しようとした平賀は、そのために艦を縦に折り曲げようとする力に対する曲げ強度(縦強度)が不足することを懸念し、その対策として縦隔壁を設けたのです。しかし、これは非常に危険な構造でした。
 艦が側面に魚雷を受けて浸水した場合、縦隔壁があると、水が艦の両側に流れず、片舷のみが浸水します。すると横傾斜が大きくなり、復原力が急速に消失して、横転沈没しやすくなるのです。横転には至らなくても、横傾斜すると砲が撃ちにくくなり、速度も低下するので敵に撃沈される危険が高くなります。
「神様」の設計に対して畏れ多いことですが、縦隔壁を入れたことには大いに疑問があります。というのは、船体の曲げ強度は、縦隔壁を入れても大幅には増加しないからです。

前出
同記事から引用した図

日本の巡洋艦には縦隔壁が設置され、これが弱点になったことは意外と広く知られています(マニアには)。例えば、東大名誉教授、元防衛省技術顧問の山本氏が防衛技術ジャーナルにて「太平洋戦争における軍艦の防御(1)」として同様のことを書かれています。

上記記事より

内容的には、両記事は同じことを言ってますね。ただ、僕が知りたいのは、なぜこの縦(中心線)隔壁を入れる必要があったのか と言うことなんです、

が、どちらの記事も「どのようなメリットを期待して、日本の巡洋艦はこのような設計になったのか」ということがあまり明確に書かれていないんです。  日本の軍艦は一隻一隻手間をかけて建造しているので、山本さんの言われるような「機関艤装が容易だから」という理由だけでは弱いように思います。 

また、当時の軍艦の設計ってのは造船学科を出たバリバリのエリートがやってますので、播田さんのいう「曲げ強度不足に縦隔壁」だが「縦隔壁は曲げ強度にあまり影響を与えない」なんて力学は承知のうえで、何かそれを上回るようなメリットを見出したから、このような設計にしていたと思うんだけど・・・ほんとに知識不足なんすかね。

うーん?もうちょっと深い理由があったんじゃないのかなぁ・・・

 僕が考えた理由はこちら。

上の図を参照し、アメリカの軍艦(ニューオリンズ型)と日本の利根型を比較してみます。両者の違いは縦隔壁の有無であり、両者の共通点はともにボイラー室を前部にタービン室を後部にそれぞれ集中配置しています。

ここでニューオリンズ型の右舷ボイラー室に魚雷が当たって浸水した場合、縦隔壁がないので左舷ボイラー室にも浸水します。左右均等に浸水しますから横転倒の危険はありませんが、左右両舷のボイラー室が浸水するんだから、両舷とも動力停止しちゃいます。

他方日本の軍艦(利根型)で同じ状況が起こっても、縦隔壁があるので右舷ボイラー室だけ浸水し横転倒の危険は高まるものの、左舷ボイラー室には浸水しないので、左動力はとりあえず確保できます。 

追記 福井静夫「日本の軍艦」P212に次のような記載があります。「機関室の船体中心縦壁は元来浸水を局限し、かつ艦の行動力を維持するために設けられたものであるが、この存在は反って浸水時の艦の傾斜を増大せしめて危険であるから、船体縦壁に特殊金物を設け注水口として、片舷区画に大浸水した時は反対舷にも直ちに注水できるようにした。

敵の攻撃が続行している中で、動力が停止すると回避運動を取れなくなり被害が増大する可能性が増します。その危険性と、片方だけ非対称浸水することの危険を天秤にかけ、日本は後者を選択し、アメリカは前者を選択した という違いだったのではないかと。この段階の選択としては、日本もアメリカもどっちもどっちかな という気もします。

ただし、その後アメリカの防御技術は進歩を見せます。ベンサロラ型やノーザンプトン型でアメリカは、ボイラーとタービンを一組にし、それらを前後に分散配置させたのです※ボイラーとタービンが揃ってないと動力は動きません。

利根型で魚雷が当たれば半動力を失い、非対称浸水が生じ、排水が間に合わず復元のため反対側に注水すれば全動力を失うのdせうが、ノーザンプトン型等は機関部が前後に分散しているので、同じ状況で半動力を失っても非対称浸水は生じず、しかも残り半動力は失われません。利根型とニューオリンズ型のいいとこどりができます。すなわ生存性が高まるわけ。

この機関配置の差は大きいです。日本のはアメリカで言えばニューオリンズ型程度にとどまり、ノーザンプトン型の船体まで進化できなかった ってことじゃないのかと。

追記引用。 福田啓二ほか「軍艦開発物語2」収録 元海軍技術大佐・牧野茂「条約型巡洋艦「妙高」「最上」型の性能」より

  「機関配置をみると、両者(妙高と最上)ともに中心線縦隔壁を有し、雷撃などをうけて片舷の機関室に大浸水を生ずると、傾斜が大きくただちに転覆する恐れが大きい。事実、戦争中にそうした沈み方がしばしばおこっている。水中防御が完全ならばその心配はないわけだが、大戦艦「大和」でさえも、完全な水中防御はできなかったのである。水中防御は過信におちいりやすいから注意を要する。

米国の軍艦では、大区画に縦隔壁を用いることを極度にさけた。その結果、レフトエンジン型の機関室配置が考案され、被害に対する耐久性が向上したように思われる。日本海軍では、このような前例をやぶる考案は、なかなかできない風潮があった。もちろん、独創性に欠けていたためもある。一ボイラー一室、一機一室主義を見ると、第一次大戦の戦訓を墨守したにほかならない。

つまり一つの方針の範囲では、それが進歩発達を見たけれども、眼を大局にむけてさらに根本的な検討を加えられることが少なかったのである。「大和」の極端ともいえる集中防御法なども、これに類すると思う」

日本の艦船を設計した技術将校数名が書かれた本を何冊が読んでみましたが、その中ではこの小論の記載が一番客観的で(関わった仕事の分析に主観が入るのは、やむを得ないところもあるけれど)、「沈みにくい艦の設計」という技術論としては最も合理的な説明だと思いました。

ただし、日本海軍も戦争末期に量産した松型駆逐艦では、機関配置を工夫し(レフトエンジンを採用し)、艦の生存性を高めたことは併記して良いと思います。時すでに遅かったけれど。

機関配置についても、在来の日本艦艇とは異なったものとなっている。通常、日本海軍の艦船の機関配置は、艦首側からボイラー(第1から第3缶室)・タービン(前部機械室)・発電機(後部機械室)と言うのが標準的な配置である。しかし本艦は国産化された艦では初めて「シフト配置方式」を採用している。これは、機関を前後2つに分け、前部に左舷用のボイラー(第一罐室)と「タービン+発電機」(前部機械室)、後部に右舷用のボイラー(第二罐室)と「タービン+発電機」(後部機械室)と交互に配置する形式となり、このために細身の2本煙突は前後に離れているのが外観上の特徴である。従来の機関配置ならば機関区画の長さを抑えられて船体の長さを抑える事ができる代わりに、どこかに一か所にトラブルや被害を受けると全てがやられて航行不能になる可能性が高いのに対し、本形式ならば建造の手間はかかるが、右舷側もしくは左舷側の機関が破壊されても残りの機関で航行が可能だった。艦の生存性が高められる例として多号作戦に従事していた松型2隻(竹、桐)において、それぞれ機械室被弾も片舷の軸系が生き残り、航行不能とならずに済んだ戦訓があった。この機関配置の方式はすでにフランスやアメリカなどで駆逐艦から戦艦に至るまで広く採用されており、フランス・アメリカ海軍艦艇の強靭さの一因であった。

wikki「松型駆逐艦」
二本の細い煙突の分散配置が特徴の松型。(他の日本艦はボイラー室を集中させているため、太い一本煙突が多いです。そのほうが甲板施設配置が自由になるしね)

また、これらの記事には書かれていないんだけど、魚雷を受けて浸水し船が沈下(アメリカ)あるいは傾斜(日本)した時、アメリカ艦と比較して日本艦が沈みやすかった理由と考えられるものがあります。それは船の横っ腹(舷側)にある窓(舷窓)の有無です。

窓があれば、船体が沈めばそこから海水が船内に浸水してきます。もちろん戦闘時には蓋を閉めるでしょうが、衝撃で飛んだりするでしょうし、危険なのは間違いないですね。

てなことで、アメリカの軍艦は戦争開始後すぐに舷窓を全廃しました。日本の軍艦はそのままに戦争を続け、ようやく戦争後期(昭和18年8月〜)に主要防護区画の前後部居住区を対象に原則閉鎖としました・・・というのは、士官室や兵員室などの大区画に1つは認めたから・・・(雨倉孝之「海軍ダメージ・コントロール物語P96,P204)

  うーん、これも被害を被った時の沈没しやすさに大きく関係していたように思いますね。さてどうなんだろう?

 ただ、舷窓はただ閉鎖すればいいってもんでもなく、通風・換気機能を果たしているわけだから、舷窓閉鎖とともに強制あ(機械)換気とか空調とかも合わせて考える必要もあるわけですね。 ただ縦隔壁を失くす とか、舷窓を失くす と言うことだけでなく機関配置を変更したり、機械換気設備を増強したり、「総合的かつ俯瞰的に」考えていく必要があるわけですね。 それが設計の面白さでもあり、難しさでもあるのかな と。

 

※日本の重巡が沈みやすかった理由について 三野正洋「日本軍の小失敗の研究」では次のように書かれています。意味をしっかりと理解できてないのですが、ここでは「縦」隔壁ではなく機関配置の重要性について触れているようです。

日本重巡の場合、もっとも主要な防水用の区隔(主として隔壁)は、機関室の前後につけられていた。これは、平均四基からなる主機関を二基ずつ平行に設置したことによる。二基ずつ縦に並べ、その中央に隔壁がくる。 ところが同じ四基の主機を並べるにしても、アメリカの場合、それを少しずつ前後にずらすような工夫がなされていた。 これにより区隔の設け方が複雑にはなるものの、隔壁の間隔をずっと狭くすることができる。 このため万一浸水がはじまっても、一定の部分だけに抑えられるのである。・・・

用語が異なるし、文字だけで図がないのでよくわからんけど。こんな感じなんだろうか? いや、これだと隔壁の間隔は狭くならんなあ。てか、縦隔壁がないと、間隔は狭くならないんじゃ??

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください