厚生労働省は7日、新型コロナウイルスの流行「第6波」に備えた都道府県ごとの医療提供体制の確保計画を公表した。今夏の第5波で医師や看護師が不足し、病床を十分に活用できなかった反省を踏まえ、全国の約2千の医療機関の協力を得て約6千人の医療人材を派遣できる態勢を整えた。感染拡大で病床確保が追い付かない場合に、自治体が整備する臨時医療施設などで治療に当たってもらう。
医師や看護師、6千人派遣可能に コロナ「第6波」備え、2千施設
このネット記事には書いてないんだけど、今朝の新聞の同記事によれば「第5波ピークの約三割増となる約3万7千人が入院できる体制を構築、病床に余裕を持たせ、子どもら特定の患者を対象とする分を含めて約4万6千床を確保した」とのこと。
本当ならとてもいい話、安心できる話なんだけど、「病床はあるけど、医療人員が足りないので、実際の受入はできないよ。」という詐欺話を何度も聞いているから、「確保」と言われても、にわかには信じられない話だよな。
というようなことを考えていたときに、ふと思い出した文章があります。
(昭和20年)八月十六日の夜中に、けたたましい電話の音で起こされた。「一刻を争う重大問題だそうですから、直ぐ電話にかかって下さい」と家の者が蒼い顔をしている。聞いてみると、なるほど重大問題である。小樽へソ聯兵が二万上陸したから、戦時研究関係の重要書類を直ぐ焼却しろという話なのである。もうみんな非常呼集で集っているという。前日からの疲れでぐっすり寝込んだねいりばなを起されたので、大分不機嫌である。
大体あの小樽の埠頭設備で、二万の武装兵力が上陸するのに何日かかるか、とても一日や二日で出来る話ではない。夕方まで何事もなかったのに、三時間や四時間後にもう二万の兵隊が出現しているとしたら、それはアラビヤンナイトの兵隊である。御免を蒙むってまた床に潜り込んでいたら、一時間ばかりしてまた電話が来て「今のはデマだったそうだから」という話でけりがついた。
「流言蜚語」中谷宇吉郎
物理学者で北海道帝国大学の教授だった中谷宇吉郎の随筆「流言飛語」の一節です。
8月後半の第5波ピークのときは深刻な医療人材不足だったのに、それからわずか4ヶ月程度で、「全国で約6千人の医療人材を派遣でき、あの時を大幅に上回る入院体制ができた」としたら、それはアラビヤンナイトの医療人材・入院体制ではないかと、僕なぞは思うのです。 てか、「作られた数字」に過ぎないのではないかと。
そういえばこの国では、先の大戦の開戦にあたって、「戦争に必要な石油が確保できるか」 という問題において、作られた数字が使われましたねぇ。
開戦の鍵は、11月5日に開かれた御前会議における鈴木貞一企画院総裁の発言だった。「開戦しても、石油はギリギリ確保できる」というデータを、鈴木総裁は昭和天皇の前で説明したのである。
僕は1982年、当時93歳になっていた鈴木氏を自宅でインタビューしている。(以下抜粋)
──企画院総裁の提出した数字は「やる」ためのつじつま合わせに使われたと思うが、その数字は「客観的」といえますか。
──「やる」「やらん」ともめている時に、やる気がない人が、なぜ「やれる」という数字を出したのか。
「企画院総裁としては数字を出さなければならん」──「客観的」でない数字でもか。
「企画院はただデータを出して、物的資源はこのような状態になっている、あとは陸海軍の判断に任す、というわけで、やったほうがいいとか、やらんほうがいいとかはいえない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」──質問の答えになっていないと思うが、そのデータに問題はなかったか、と訊いているのです。
「そう、そう、問題なんだよ。海軍は一年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、というわけなんだな」日米開戦80年 30代のエリート官僚たちの「日本必敗」提言はなぜ闇に葬られたか
日米開戦必敗のデータは、完全に揃っていた。総力戦研究所のメンバーはわかっていた。鈴木企画院総裁もわかっていたはずだ。だが鈴木氏は、開戦への「空気」と「同調圧力」のなかで、もはや抵抗力を失っていた。全員一致という儀式をとり行うにあたり、その道具が求められていたにすぎない。
今回出された確保計画というのは、厚生省から地方自治体を通して各病院に確保数報告依頼をかけた、形式上きちんとした集計を元にした数字なんだろうけど、
関係者は、「空気」と「圧力」の中で、そういう数字を出さざるを得ない と了解した上での、机上計算にすぎないと思うのです。 僕も役所にいたときは、その手の話、よくあったから、どうしてもそう思ってしまうんだよね・・・
ちなみに、宇吉郎の随筆は、このような文章で締めくくられます。かなり示唆に富んだ言葉です。
「そんなことがあるはずがない」と言い切る人があれば、流言蜚語は決して蔓延しない。しかしこの「はずがない」と立派に言い切るには、自分の考えというものを持つ必要がある。そしてそのことは実はかなり困難なことなのである。特にこの数年来のように、もはや議論の時期ではない唯実行あるのみというような風潮の中では、その精神は培われない。
新日本の科学の建設には、まず流言蜚語の洪水を防ぎ止める必要がある。もっともそれが出来た時は、新日本の科学は半ば以上出来上った時であるかもしれない。 (昭和二十年十月八日)