富士山周遊その3 富士吉田のうどんから

富士吉田の名物といえば、「吉田のうどん」ですよね。僕はうどん大好きなので、たいへん期待して食べに行きました。

お店は、平日でも地元の人で賑わうという 「手打うどん 麺許皆伝」さん。 11時10分くらいに入店しましたが、15分すぎには満席となり、外に行列ができるほど。GW開けの平日なんですが。

欲張りうどん(650円)に大盛りを追加(+100円)を注文。(向こうに写っているのが「普通盛り」です。)

うどんの上に、油揚げ、キャベツ、ワカメ、牛肉、ちくわの天ぷらが載っています。

なんで吉田のうどんが有名なのか

織物産業が好景気だった昭和初期、一般家庭で織機を動かしている女性に昼食の準備をかけさせないよう、織物を扱う女性の手が荒れないよう、男性がうどんをつくっていたため、コシのあるうどんが主流になった。

また、織物を売り買いに来た人たちの食事の場として、うどん屋が繁盛したようです。

ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民族博物館)の展示解説本 より

確かにとても腰のある、非常にうまいうどんでした。 これくらいコシがある麺が個人的には好みなのですが、そのぶんずっしりと腹にたまります。トッピングを混ぜて食すと、「おれは今、うどん二郎を食してる!」という感じです。(マシマシはないけれど)

うどんいっぱいで腹一杯「もう入りません」状態になれます。 幸せ♡。

この感じ。好きな人にはたまらないでしょう!

富士吉田の町を走っていると「ほうとう」の店も目立ちます。ほうとうは1人前1700円くらい。 昔は、野菜が主で小麦の消費量の少ないほうとうが普段の食事「ケ」で、小麦の麺主体のうどんが「ハレ」の日のごちそうだったのでしょうが、今やすっかり逆転してますな。

今や日本で消費する小麦粉はほとんど輸入品だから、近い将来、また昔みたいに、野菜(さすがに国産)主体のほうとうのほうが、小麦主体のうどんより安くなる日が来るかもしれませんけどね。

同解説本によると、吉田周辺の伝統食として、大麦のメシ(まずそう・・・)、とうもろこし粉の団子(これなら食べてもいいけど・・・)などもよく食べられていたそうです。

要するに、稲の品種改良が進むまで標高が高く寒冷地であること、土地が富士山火山灰土の影響で水はけが良く、稲作(水田耕作)に適さないため、畑主体の粉食文化圏であったという土地柄が背景にあるでしょう。

吉田そのものは、小麦の栽培には適していなかったそうですが、富士北麓では、肥料を用いず、冷害にもつよい「水掛麦」という栽培法もあったそうです。ふむ〜。聞いたことのない栽培方法ですね。非常に興味深い。

富士山の裾野の緩やかな傾斜地形を利用して、桂川の水を畑に掛け流して栽培された麦で、この地方独特の栽培法です。

川の水の養分のみによって生育するので肥料を用いず、しかも冬季でも凍結せず、麦踏みも不要でした。

この水掛麦は室町時代から行われており、江戸時代には、火山灰土の畑よりも生産性が高いことから、より多くの年貢が課せられていました。

そんな吉田でも、江戸時代に「米が食いてぇ(てか、当時は米本位制だから、百姓も領主も米が作りたい)という欲望をもとに新倉村で溶岩台地を開発し、新田を開くため、水不足の大地に、河口湖から水を引く用水トンネル開発事業が持ち上がりました。「新倉掘抜」です。このトンネルの延長は約4km。

新倉掘抜(あらくらほりぬき)は、山梨県南都留郡富士河口湖町船津と富士吉田市新倉字出口を結ぶ隧道式の用水路(用水堰)。河口湖の湖水を船津から取水し、天上山(てんじょうやま、嘯山:うそぶきやま)直下を貫通して新倉へ送水する。江戸時代に約170年かけて完成し、全長3.8キロメートルを測る日本最長の手掘りトンネルと言われる。富士河口湖町・富士吉田市それぞれの指定史跡。

新倉掘抜

僕は、(農業)土木遺産マニアなので、同時代の農業用水の代表例として「深良用水」は知っていました。が、この新倉掘抜は富士山ミュージアムの展示をみて初めて知りました。途中放棄を含めてだけど、完成までに170年・・・東洋の サグラダ・ファミリアです。

深良用水のトンネルが約1kmなのに対し、新倉は約4km。 当時は両岸から掘りすすめ、中間で穴を合流させて貫通となりますから、トンネルの距離が長くなればなるほど、その技術的難易度は上がっていきます。その点、もっと有名になってもいい土木遺産だと思うけれど・・・

深良用水(ふからようすい)は、箱根山をトンネルで貫き、神奈川県・箱根の芦ノ湖の湖水を静岡県裾野市に引くために造成された灌漑用水路。箱根用水(はこねようすい)とも呼ばれる。

深良用水

ま、深良用水は外輪山にトンネルを掘り、本来流域外の地に神聖な芦ノ湖の水を落しているので、その実施までの調整とかたいへんだったようだから、総合的にみて有名な事例なんだと思うけれど。

河口湖のほとり(河口湖町)に、「河口湖新倉掘抜史跡館」という博物館があり、これをぜひ見たかったんですが、現在「都合によりしばらく閉館」との張り紙が出ています。行きたい方は、事前に電話連絡されることをおすすめします。 (僕も営業日に電話したんだけど、出られなかったんだよね。諦められず、現地まで行ったんだけど、残念!)

概略の展示は、「富士山ミュージアム☆」にありますし、富士吉田市新倉の弁天神社脇で、掘抜の出口が見られます。ただし、駐車場はありません。

トンネルを覗いて感じたのは、露出している岩が、表面に穴が開いた、いわゆる噴火岩とは違うなあ。ということでした。

それで思ったのですが、ルートとして山麓にトンネルを掘ったのは、水路として保水性の低い火山灰性地質(噴火時期が新しい)を避け、より保水性に優れた古い地質(新しい噴火による堆積からは、山が守ってくれた)内に水路を造りたかったからではないかと。

河口湖.netから引用 新倉掘抜の経路
20万分の1 日本シームレス地質図

水路は、おそらくピンク色(166)と茶色(87)の境あたりに掘られています。ピンク色は1万8000年前に噴火した火山の岩石、茶色は1500万年〜700万年前に噴火した火山の岩石だそうなので、その組成過程や噴火からの経過年数により、透水性に違いがあるのかもしれませんね。

☆「富士山ミュージアム」って、名前から私設の、富士山の写真を展示しているところ っていうイメージがして、あんまり行く気は無かったんだけど、正式名称は 富士吉田市の歴史民俗資料館です。 多数引用していることからもわかるように、展示内容は充実していますし、現在外構工事中ですし、近くを通る機会があれば、寄っていく価値はあると思います。地味な地域史や富士山信仰の歴史に興味がある人は特に。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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