犬山散歩2  旧磯部家住宅

江戸時代の町家(商家)で、無料で見学することができます。

城下町マップの解説では、「緩やかなふくらみのある起り屋根は市内の町家で唯一現存 」とあります。確かに屋根が凸状に膨らんでいますねえ。でもさ、そもそも 「起り屋根」って、なんて読むんだよう。

答え。むくりやね。

で、なんでわざわざ「むくらせる」必要があるの?

起り屋根 むくりやね
屋根の傾斜面が上方向に凸状に湾曲して状態のことを言う。
一般的な起りは屋根の流れ寸法の1/100内外とされ、意匠的な場合には3/100内外とされているものもある。
緩い勾配の屋根においても軒先の勾配をきつくすることができ、軒先に集まる雨水を流し易くなるというメリットがある。
寺社仏閣あるいは武家屋敷等には見られず、町屋等主として商人、庶民の家に用いられていた。
日本独特の屋根の形状で他の国では見られない。

石川商店

ということだそうです。有名なところでは、桂離宮の屋根がむくれています。

桂離宮はこけら葺き(ヒノキの皮)の屋根ですから、瓦より余計に雨仕舞に気を使う必要がありそうです。だから「むくらせる」のは合理的でしょう。もちろん、デザイン的にもイケてた  という面もあるでしょう。 ・・・実物を見たことはないんだけど。 

「こけら葺の“むくり屋根”」のなかでも、『桂離宮』の入母屋の“むくり屋根”は飛び抜けて素晴しい。特に古書院の屋根は、ゾクッとするほど鋭くて、かつ、雄大……この印象は、日本刀の名刀に似ている、と私はおもっている。

生涯一設計士・佐々木繁の日々

瓦屋根の場合、こけら葺きより水気には強いだろうから、雨仕舞というよりデザイン性がより重視された・・・のかもしれないですね。商家にはもってこいの形なのかも。

屋根にむくりを付けているので、通りから瓦がよく見える。設計者の内藤廣氏は、「むくり屋根は通りに対してちょっとお辞儀をしている感じで、柔らかい印象になる」と話す。

2つのむくり屋根で風景一変
内部は繊細な屋根架構で外観と違う印象に 発注:京都鳩居堂 設計:内藤廣建築設計事務所 施工:野口建設

むくり屋根は、隈研吾設計の国立競技場にもあったり・・・

「むくり」と「そり」を知っておこう(イラスト:宮沢 洋)
無観客でも満席に見える 「未来予知」と話題の国立競技場を疑似体験

住宅は、表通り側は2階建て、奥に行くと平屋建てになっています。町家に多い間口が狭く、奥行きが広い「ウナギの寝床」型のつくりです。奥には中庭、裏座敷、土蔵とかいろいろ立ち並んで広いんだけど、 「家族が暮らす部屋」ってのがありません。

管理人いわく、家族は狭い2階の部屋で暮らしていた  そうです。  暮らしより来客と買い物客(呉服屋だったそう)を重視した家なのです。もっとも、当時の商家ってのはそういうものかもしれませんが。

二階に上がる箱階段

箱階段って、現代の極小住宅でも有用な技術だと思うのですが、あんまり見ませんねえ。組み立てるのに手間がかかるから・・・でしょうか。既製品じゃなく、その家に合わせて作る必要があるでしょうし。

あと、面白いな  と思ったのが、仏間の仏壇収納の扉です。てか、管理人さんに教えてもらったのですが。(その日最初の見学者で、他に見学者もいないので、しばらく雑談してました)

これは春慶塗の豪華なもの。面白いのはその造形。  縦長の細長い木片を並べ、それらの裏から丈夫な和紙を貼ることで、屈曲できるスライドドアに仕上げてあります。

スライドドアは、仏壇収納部の敷居と鴨居のレールに支えられています。レールは、R型に掘られており・・・これは車庫に使うような「横引きスライドシャッター」ですね!

三和シャッター  デジタルカタログ  より

カタログに書かれているように、「上部にケースがないので内のり高さを十分に活用できる」という利点がありますし、スライドは側面に収納することができるので、正面に十分な開口部ができ、仏壇を収めるにはよいでしょうね。

ま、木製なので、「雨の日は開けづらいの」ということでしたが(笑)。アイディアとデザインは素晴らしいですね。

奥の外廊下の壁にベンガラが塗ってあったり、流石に豪華な作りです。

廊下北側には渡り廊があり、客便所と裏座敷に通じています。廊下の壁は弁柄色の赤壁です。

旧磯部家住宅  犬山観光情報より

 写真を取り忘れたのだけれど、家の基礎石や井戸は、近くの木曽川の河原でたくさん取れる「丸石」が多用されていました。石も上流からゴロゴロ転がってくる間に丸くなるのね。地域資源の有効活用です。トラックのない時代、遠方から運ぶなんて大変だからね。

管理人さんが子供の頃は(先の大戦中)、まだ河原に丸石がゴロゴロしていたそうです。「ダムが出来てすっかりなくなっちゃったけど」とのこと。  そりゃそうだ。

丸石を家の基礎や井戸の枠組みに使うのは、四角に近い石にくらべ施工が大変  と素人は思うのですが、町では石垣に使っているところも見ましたので、当時は「地域特有の資源を有効活用する技術」がきちんと確立されていた  ということなのでしょう。材料費や運賃より人件費が相対的に安かった  とも言えますが。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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