大垣散歩 (名鉄株主優待利用旅)

名鉄(名古屋鉄道)の旅なのに、大垣には名鉄通ってないじゃん! はい、おっしゃる通り・・・

名鉄の西の端である新羽島駅まで行くことにしました。竹鼻線とか羽島線とかって、こういう機会でもないと乗ることはないでしょう。が、新羽島駅の近くに観光対象は何もないの。

唯一あるのが、新幹線の岐阜羽島駅です。 てか、新幹線岐阜羽島駅はJR在来線と接続しておらず、列車でのアプローチはこの名鉄ローカル線のみ。なんつーか、いろんな意味で「無理こやっこ(政治的な落としどころとしてここに)設置された駅」って感じがプンプンしますねえ。 

長大な新幹線・岐阜羽島駅前に設置された、名鉄新羽島駅のしょぼさを見ても、名鉄の「付き合わされてしかなく設置しました感」がありありと見えるようです(笑)。

と、ともかくこの岐阜羽島駅前から、1時間に1本(550円)、大垣行きのバスが出ているのです。そこで、「そうだ 大垣行こう」となった次第。古くからの城下町だし水郷だし、街歩きが楽しそう。

バスは、巨大な「箱舟」の前を通ります。これ、東海道新幹線の車窓で目立ってたよねぇえ。なんかそのうちに解体されるかも だそう。

かつて、三洋電機の冷菜株主で、結構損を出した僕からすると、季節は違いますが

「夏草や兵どもが夢の跡」って気分になります・・・あ、大垣は芭蕉の奥の細道の終着点でもありましたね。 ははは。

「ソーラーアーク」三洋電機、大阪の不動産会社に売却 解体検討、岐阜・安八町
三洋電機(大阪)が岐阜県安八郡安八町大森にある太陽光発電施設「ソーラーアーク」を大阪の不動産会社に売却したことが29日、分かった。2001年に完成して以降、人目を引く斬新なデザインに注目が集まり、地元のシンボルとして存在感を放ってきた。
不動産会社の担当者は「今後の活用方法については未定。解体や売却も含めて検討する」と話している。

岐阜新聞

さて、大垣駅に着きました。駅前の大通りを歩きます。人口十六万程度の都市にしては、駅前商店街でけっこう店が開いていますね。立派なものです。 養老鉄道や樽見鉄道などの駅が大垣駅前にあり、まだターミナルとして機能しているからでしょうか?

このあと、市内を流れる「水門川」沿いに南下します。 

水門川はもともと、湧水を水源とする小河川だったのですが、大垣城整備に際し改修され、城の外堀兼運河として利用されました。したがって、大垣の旧城下町を囲うように流れています。多くの自噴水もあることから「水都」とされています。

川の水も割ときれいそうだし、橋に張り出しを設け水辺が眺められるよう、それなりに整備されていますが・・・

「水は遠きにありて思ふもの」というコンセプトに見えました。水都としての魅力を引き出すには、もっと水に触れられるような整備(例えば、中村良夫の太田川整備みたいな)があるといいよなって感じました。

途中、藩主戸田氏の菩提寺である圓通寺によりました。この方が初代藩主の戸田氏鉄さん(の銅像・大垣城)とお墓(圓通寺)。

戸田氏は、もともと三河国渥美郡を本拠にしていた氏族です。通説では、当時の当主戸田康光は、竹千代(のちの徳川家康)が今川氏へ人質に行く際、その護衛を任されました。ところが、裏切って竹千代を織田に売ってしまったされます。んでも、その割に一族は江戸幕府に厚遇されているんですよね。不思議・・・こうなると、「戸田康光の裏切りは事実ではなかった」 という最近の説が正しいのかもしれません。

★一西の嫡男が氏鉄くんです。

康光は竹千代を駿河に送ると見せかけ、今川氏の仇敵・織田氏に届けたため、今川氏の追討を受け康光・尭光は討ち死にした。ただし、近年の研究では戸田康光の裏切りは事実ではなく、松平・戸田連合対今川・織田連合の戦いに敗れた結果、今川氏に敗れた戸田康光は滅亡し、織田氏に敗れた松平広忠は命は助けられたものの竹千代を織田氏への人質に出すことになったとする説が出されている。分家して仁連木戸田家を立てていた康光次男・宣光は今川方についてその命脈を保ち、宣光系の嫡流が戸田宗家となった。

戸田氏の嫡流は徳川家康の異父妹と婚姻して松平姓を授けられた松平康長以降、松平丹波守の称号を継承し、葵の紋所を許されるなど江戸幕府より厚遇され江戸十八松平のひとつとして数えられた。嫡流は主に松本藩を与えられている。支流には主に宇都宮藩として7万石を与えられていた光忠系、主に美濃国大垣藩主として美濃に10万石を許されていた一西系などがある

wiki   戸田氏

大垣観光のおすすめは、市役所駐車場に車を停め、歩いて四季の広場から奥の細道結びの地記念館と住吉灯台(川湊)を散策することかもしれません。

市役所前にある桝屋を覗いて(大垣は桝の生産全国一だそう)
四季の広場 向かいに立つ、福祉会館の喫茶コーナー、350円で一日モーニングやってておすすめです。
こっち側の古い民家を利用したカフェもおしゃれだけれど
川湊のあと

ここが芭蕉の東北・北陸旅の終着点であり、伊勢へ旅立った地でもあります。

おくのほそ道(奥の細道)は、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った紀行文である。全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰った。
「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。


8月21日頃、美濃国大垣(岐阜県大垣市)に到着。門人たちが集い労わる。
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。 結びの句
「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」

wiki おくのほそ道

旅への出発に際し詠んだ歌と対をなしていますね。「行く春や 鳥啼なき魚の 目は泪」

記念館入口の大垣市に関係したアニメの紹介

右の「聲の形」は割と有名なんですけど、左の「おあむ物語」が歴史マニア的には興味を惹かれますねえ。これは戦国時代を生き抜いた老女おあむ(父が石田三成に仕え、関ヶ原の合戦時に大垣城に籠城していた)が、平和な江戸時代に孫に当時のことを話して聞かせた物語です。

おあむの父は、石田三成配下の三百石取りの高級武士だったのですが、朝夕は雑炊を食べ、兄が山へ鉄砲撃ちに行くときは菜飯を炊いて弁当にもっていき、自分も菜飯が食えたので兄に鉄砲撃ちに出かけるようたびたび勧めて、行くとたいそううれしかった とか、衣類も十三の時自分で作った服が一枚しかなく、それを十七まで着ていたので、脛が出て恥ずかしかったとか、戦国時代の耐久生活を語ってくれる貴重な本です。

ま、最後は「当時は昼食を喰うなんて夢にも思わず。今の若い衆は衣類の好みに心をつくし、金を使い、食べ物にも好き嫌いを言ってもっての外」と小言を言って、孫に嫌われるんですが(笑)。人間はいつの時代もかわらんのぇ。

大垣は「美濃路」の宿場町でもありました。当時の大動脈である東海道は、名古屋の宮(熱田)から船で桑名まで渡るのですが(七里の渡し)、水難事故を恐れた旅人や貴人が遠回りでも海路を避け美濃路を行きました。

関ヶ原の戦いにおいては、東軍の先鋒である福島正則が起(愛知県一宮市)から美濃へ進軍し、戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、「吉例街道」とも呼ばれ、将軍上洛時にも使われた。朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中などが、この美濃路を通行した。
東海道では、宮宿と桑名宿の間に七里の渡しが存在しており、江戸時代は水難事故も起こりやすい難所とされていたため、東西を移動するのに遠回りであっても海路を避けられる美濃路が好まれることがあった。

wiki 美濃路

往時の大垣の地理的ポジションはこんな感じだったようです。

舟運で伊勢湾と連絡できた大垣は、美濃路によって東海道と中山道を結ぶ役割も果たした。水上交通と陸上交通の結節点でもあった大垣は、伊勢湾、木曾三川、中山道を経由し、さらに琵琶湖、淀川水系を経ていけば太平洋から京、大阪そして瀬戸中井へと通ずるルート上にある。琵琶湖の北端は日本海の敦賀にも近い。つまり大垣は、近江以西と美濃・尾張以東をつなぐ関門・ゲートの役割を果たしてきたといえる。

林上「名古屋圏の都市を読み解く」より

今でも旧街道を歩けば、古い家並みがそこかしこに残っています。

柿羊羹で有名な、つちや本店

完全に個人の趣味ですが、角地に立つ旧家(商家に多い)では、家を変形五角形に造る場合があります。そうすると、五角形の家屋にどういう風に屋根を掛け処理するか?・・・これは見物です。隣家との接続点処理も含め、複雑な屋根の接合部は雨漏りのリスクが高まるため、手間(大工の腕)も金もかかるんですが。

そういうのを見ながらてこてこ町中を歩き回りました。

そうそう、あと東海地方にいると、広告とかなんかのスポンサーとして「OKB」という言葉に時々出会います。 OKBとはこちら↓。

はい。こちらが「大垣(O)共立(K)銀行(B)」の本店でございます。たかだが地方の銀行が、なんでこんなにスポンサーとかやってんだよ?と思ったら。

2015年(平成27年)4月1日より岐阜県の指定金融機関になった。
名称は、株主に旧大垣藩士族の士族と西濃各郡の地主の平民が協力して発足したので、「共立」とした。明治の前期、岐阜県内には6行の国立銀行が設立されたが、現存しているのは大垣共立銀行と十六銀行(第十六国立銀行)の2行のみである。
2007年(平成19年)3月期現在、預かり資産(公共債、外貨預金、年金保険、投資信託の合計)は7,123億円、個人ローンは7,367億円と、ともに東海3県に本店がある地方銀行・第二地方銀行間でトップの残高となっている。

wiki 大垣共立銀行

ははあ。大垣のみならず、東海地方有数の名門企業でございましたか。さようでございますか。

このあと岐阜市編に続きます。乞うご期待。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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