バラ農家「その質問はやめて頂きたい」・・・川を氾濫させ下流の住宅等守る「霞堤」再起決断できない上流の苦悩
東海テレビ ニュースワン
2023年6月、愛知県の東三河地域を襲った豪雨では、豊川が氾濫した豊川市で多くの農家に甚大な浸水被害が出たが、 それはあえて川を氾濫させる「霞堤」のためで、それは想定されたものだった。 が、そこには課題もある。下流を守る「霞堤」は、不平等を産むのだ。
(地域住民の声)霞堤がある地域は大きな被害が出て、その結果(それ以外の地域の)堤防は無事決壊せず助かった。これはいろんな人の命や財産を守っているわけだが、一方で、霞堤のある地域の住民の命や財産が守れれていない。これはすごい不平等。この住民は農機具16台が壊れ、合わせて800万円もの被害が出たが、過去にも補償は一切ない。自然災害で、法律的にも対応するのは難しいと。一生に一回くらいの災害だったらたまたまだと思えるんですけど、 被害が15年で3回も起きている。
(考えさせるという意味で)非常に良い記事なんですが、キャプチャできないので、大事なとこだけ引用してます。・・・ケチだなあ。ま、元の記事を読んでください。
治水論は僕が興味を持っているので何度か取り上げているんですが、霞堤というのは、堤防にあえて切れ目をつくり、そこで氾濫を起こすことでそれより下流を洪水から守る治水技術です。
汎用的に言えば、「システム全体の安全性を高めるため、システムの一部にあえて弱点を作る」というような設計論で、割と一般的に取られる考え方です。 一番知られているのは、車体設計の事例だと思います。
クラッシャブル構造
グーネット自動車用語集
クラッシャブル構造とは、乗員のいるスペースを守るため、あえて、車体の前後部分を潰れやすく設計した構造をいう。このことにより、衝突の際の衝撃を吸収し、乗員の安全を確保する(生存空間をつくり出す)。
土木・建築業界でも同様の設計思想があります。
壊れない方が危険? 大規模地震を想定した橋の設計で重要なこと
川で隔てられた陸地を結ぶ橋は交通の要といえる部分。これが地震などで壊れると物流に大きな被害が発生します。しかし、大規模地震を想定して「全く壊れない橋」を設計するのは逆に危険といいます。それはなぜなのでしょうか。・・・・
乗りものニュース
こうしたことから橋の設計に際しては、大規模地震が発生したときに壊れる部分を選定し、その部分を補修しやすい構造にするのが一般的です。「壊れる」というよりは「壊す部分」をあらかじめ選んでおくのです。このように設計すると、地震の発生後に損傷の有無を発見しやすくなるといいます。また、修繕しやすい部分を「壊す部分」に選ぶことで、早めに復旧することも可能になるのです。
わざと弱く作る技(構造スリットのことなど)
建築家紹介センター
わざと弱く作った建物に住みたいですか?
誰でも嫌ですよね。
でも、建築には随所に「わざと弱く」してあるところがあります。
構造スリットもそのひとつ。・・・
これらの事例からも分かるように、霞堤を使った洪水制御方法「わざと弱点を残す設計思想」というのは悪い設計ではありません。が、自動車や構造物とは2点違いがあります。
①弱点部に人が居住しており、その人が何度も被害を被ること(上流が被害を受け、下流はそれにより利益を得るなど、住む地域により不平等が生じる)
下流部の人間が、類似事例の対策を見たらこんな感じになるでしょう。 上流部の区画整理において、地盤のかさ上げし上流域の浸水被害を減らそうとする計画に対し、
千葉・海老川の下流域住民が抱える「最大の心配」 上流域の土地区画整理が水害を誘発する危険性は?
東洋経済オンライン
「流域治水」という考え方が広がる。気候変動で未曾有の豪雨が頻発し、上流、下流など流域全体で国、自治体、企業、住民がともに治水に取り組む。昨年11月、流域治水関連法が施行された。しかし、利害が異なる関係者間の協議は容易ではない。千葉県船橋市では二級河川・海老川上流域の開発をめぐり、下流域住民から「水害リスクが高まる」と懸念する声が上がる。「情報を共有し、議論する」という状況に遠いことが、問題をこじらせている。
ともすると、利益を受ける側は被害を被る側のことを忘れ、被害軽減の対応が自らの利益を減じる可能性があるかもと心配しがちです。まあ当然の反応ではありますけれど。
民主主義ってのは結局多数決なので、(多数の人が住む)下流に住む側の意見が強くなるのはやむを得ないところでもあります。が、そもそも不平等が生じているのではないだろうかという視点は持つ必要があるかもです。 正直、目をそらしたいところではありますが*。
②不平等を小さく抑えるための、速やかな補償や原状回復といった公的補償を充実させるなどの対処が取られていないこと。”氾濫して被害にあっても補償は一切ない。自然災害で、法律的にも対応するのは難しい”
霞堤の治水設計論として、不平等が生じるのはどうしようもないことです。ですが、その不平等感を和らげるための措置がなされていない。これでは、霞堤がいくら設計論としてまっとうだとしても、霞堤を実際の政策として残していくのは困難だと言わざるを得ません。
豊川の事例に戻すと、豊川に現在4つ残る霞堤は、将来的に1つは締め切り、残り3つはかさ上げして霞堤の遊水機能を縮小する方向です。
この計画を作成した豊川の河川管理者(治水担当)である国交省・中部地整としては、将来どれだけ大規模な洪水が発生するかわからないから、「流域全体の治水のことを考えれば遊水機能を縮小したくなかった」はず。技術行政としては正論だったかと。
一方で、霞堤を現状のまま残せば、地域に不平等が残り、まともな補償も期待できない現状の法制度下で、地域の総合行政を担う豊橋市としては同意しかねる方針だったということでしょう。たとえ、その時の担当副市長が、国交省からの出向者だったとしても。(と聞きました)
ねえせめて、こういう時に受けた被害を速やかに救済できるような法律、早く作りましょうよ。このままじゃ、霞堤どんどんなくなっちゃうよ。(設計論的には必要だと思う)
*霞堤を使うような治水技術は、現在に生かすなら想定外規模の災害による被害を減らす(減災)ためのものです。 この減災手法にはあらかじめ弱点を作っておくとか、堤防(の弱いと目されるところ)が現実に破られたらどうするか など、どうしても特定の地域を狙う「不平等」問題が付きまといます。 それを踏まえたうえで有意義な議論をすることは、有識者でも困難なようですね。
大同大学 鷲見助教授のブログ。
2022年9月 1日 (木)
sumisumi
本当に減災,したいか。
最近の議論を見ての感想。
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洪水でも危機管理でもそうなのだが,
キャパシティーを超えるときに被害・支障を少しでも減らそう,と言う話をしようとしているときに,
キャパシティーの中でいかにキャパシティーを増やすか,っていう話しか出てきてない
っていう事が多いように思う。
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完全防御,では敗北している場面を想定できていない。
どうすくなく敗北するか,という観点
どこで敗北しどこでは敗北しないようにするかと言う観点
での議論をしたくないのだろう,そこには差別化が入ってくるから。
全体に薄ーく敗北しましょう,
分散・分担しましょう,という考え方もある。
だが,これもやりたくないのだろうなぁ。
ここを真面目に(ときには喧嘩になるだろうが)やれるかどうかが,この話の境目になると思う。
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流域治水,とうたって2年になるところだが,
想定しているのは,「計画」ではない。
明らかに容量オーバーになる,という場面に
どう対応するか,という原点に立ち返れていない議論が多いように思う。
我々の社会は「平等化」「差別はいけない」ということをかなり大きな社会命題として掲げてきて、現実にはまだまだいろんな問題があるとはいえ、少なくとも大っぴらに政策を語る段階では、これらを否定するような発言は難しくなってきていると思います。ポリティカル・コレクトネスっていうか。
それが我々の潜在意識にまでしみついてしまっているから、議論しづらい、想定しづらいってのはあるでしょうね。それに、不平等や差別化を前提とした、ある意味不穏当な政策議論(時には極論だって出るでしょうし)を必要だから自由闊達にやった挙句、意図に反し誤解され炎上してもかなわないしって、難しいことでしょう。今の日本では、誤解する人も多いと思うし。
が、鷲見先生が言われるように、それらを乗り越えて真面目にやれるかどうかが,霞堤を含めた減災化の成否を握るカギになると思います。 僕は悲観的だったりしますが・・・

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。
お久しぶりです、江戸時代の霞堤の中の水田は「流作田」といって水害があったら年貢が減免されてました。税や社会制度が変わった今なら洪水で不利益を被る場所を対象にした何らかの補償(保険)が必要なんでしょうね。
コメントありがとうございます。どういう形が良いのかは分かりませんが、すでに住んでいる人にはおっしゃる通り補償が必要だと思います。
宅地の保障はコストから考えると難しいかもしれませんが、農地であれば生産物の費用と設備の復旧、再度生産が始まるまでの生活保障と合わせてもそれほど多額になるとは思えませんよね。ますます高価になってくる堤防築造工事の費用を考えると「自然災害の保障に公的な費用は使えない」などという原則論にこだわらないで、当面は霞提構造に限定してでも費用対効果の治水論議が必要なはずなんですが…なんでやらないんでしょうね。