2月末に、三河湾に浮かぶ日間賀島に出かけてきました。 記事アップが遅れたのは、ここ一か月近く花粉症がひどくて、何もする気が起こらなかったから。この時期にお外で働くのはつらいのですが、今年は特に酷かったよう・・・。
三河湾には有人島が三つ浮いています。北から佐久島、日間賀島、篠島です。一番北の佐久島へは西尾市から渡船が出てるんですけど、そのすぐ南にある日間賀島と篠島へは定期船はありません(チャーターする手はある)。 てか、なぜこの近接する三島の行政区分が違うのか(佐久島は西尾市、日間賀島と篠島は南知多町)、謎です。地理的には、全島ともまとめて南知多町の行政区分となるのが自然だと思いますけど。
*大昔(奈良時代)の納税木簡に「三河国幡豆郡比莫島」と書かれたものがあり、古くは幡豆郡(現在の西尾市)に属していた時期もあったようです。
なんにせよ、日間賀島には知多半島の先端「羽豆岬」にある師崎港からフェリーで行くのが一番手軽です。 (羽豆岬には神社があり以前の記事で紹介しています。よかったらどうぞ)
師崎港の駐車場、島で一泊すると駐車料金は一台2000円です。ぼったくり価格ですね。 師崎港から日間賀島への船運賃は片道710円。妥当なのかよくわかりませんが、やや高いかなあと。 なにせ港から島はすぐそこに見えますんで。
これでも、国土交通省が定める立派な「離島」です。あっでも「離島ってなんだろ・・」
島の地形概要 島は南北が短く、東西に長い形をしています。東西に集落があり、中央部の高台はあんまり人が住んでいません。なので中央部に公共施設(学校、診療所、行政支所)が集中しています。
車は島の外周を回る道路、港周辺、そして島の南北につなぐ幹線道路のみ通行可能な感じ。東西の集落内は原付が通るのがやっとの細い路地が主体です。
島の居住構造は、以前行った佐久島と酷似しています。
西港前のメインストリート(左右が外周幹線道路)
島中央部を南北に走るメインストリート。車が通行可能! この通りには診療所とか保育所、資料館(閉館済)が面しており、コンビニとその看板も出てるにぎやかな通りだよ(笑)
コンビニエンスストアは、保育園のお隣にあるそうな。 でも島のひとは店の位置みんな知ってそうだし、一見の観光客だと保育園はどこ?だから、「200m先」とかの方がいいような気もするけれど・・・まあほっこりしてるから、いいかぁ。
夜10時まで開いてる立派なコンビニ。中見てみれば良かった(現金持ってなくて。paypayとか使えたのかな・・・)
結構立派な小学校 (ほかにも行政支所や診療所とか撮影してました。「オマエ不動産屋かよ・・・」)
閉校した中学校。校庭にカラーコーンが倒れていましたが、時計は動いていました。三島の中学校の存廃について以前記事にしましたけど、現在、日間賀島の中学生は船で本土の中学校に通っています。再び、離島ってなんだろうね・・・
こちらは集落の露地(安楽寺近く)
こちらは東集落内の様子です。島にはあんまり観光名所はないのだけれど、こんな感じの狭い路地がぐにゃぐにゃ続いていたりして、地図なしで中をさまよい歩くと面白いです。あちこちの辻に地図が張ってあり、あまり迷うことないかと思います。
場所によっては急坂もあり、なんかヨーロッパの城塞都市の中をさまよい歩いている感じもあります。まあヨーロッパの街並みのような統一感はないのですが。
アジアの都市は「我が建物をいかに立派にするか」にこだわり、ヨーロッパみたいに「街並みを綺麗にする」という発想の街はあんまりないですね(日本でも昔裕福だった古い町並みはそれに近かったけれど、それが現代までそのまま保存されていることは珍しい)。
まあだからこそ、醜悪な建物もあるけれど、「おっ」と目を引くような建物がある意外性が日本の街歩きの楽しみになります。ヨーロッパの街並みは美しく整っているけれど、歩いていてやや退屈というか、意外性はあんまりない感じがします。
あ、日間賀島へ行った主目的は、「フグ」を食べに来たのでした。この島は「フグ」と「タコ」で売り出しているんですよ。
宿は3部屋しかない「すずき」さんにしたのですが、そりゃもう、絶品でした。この日は我々ともう一組しか客がおらず、 フグのから揚げが絶妙のタイミングで運ばれてきましてね。 そりゃ旨かったです。 まあ、興味ある方はこちらの方のブログを参考にどうぞ。
師崎の駐車場代金が不満ですが(宿のせいではない)、地魚のおいしい時期にフグ以外のコースで再訪しようと思っています。味には期待できそうなんで。
宿自体も静かでいい隠れ家でした。
こんな感じの細い路地のそのまた先に、宿があるなんて誰が思うでしょう。
同じ時間の船で来たもう一組の宿泊客と、しばし宿まで迷いました。googlemapで道案内してもらっても、数メートルの誤差はあり、「いやこの露地じゃないだろ」と。結局看板とか何もなかったし。
いや、でもそれが大変良かったです(Mかよ)!
おまけ
西の集落から、中央の丘陵部への露地
中学校あたりから見た南の篠島
渡船から見た「チッタ・ナポリ」(バブル別荘地)。詳しく知りたい方は、以前の記事をどうぞ。
島にある安養寺に安置された阿弥陀如来には、興味深い伝承があります。
昔、日間賀島と佐久島の間に島があり、その島に筑前寺という寺があったそうです。その島が大地震により陥没(現在は暗礁化し大磯と呼ばれている)し、筑前寺の仏像の胎内仏であった仏が漁師の網にかかって引き上げられ、その仏がこの阿弥陀如来なんだとか。(安楽寺の看板による)
三河湾で、島一つが沈んでしまうような大地震。いつの地震だったのかな。ちょっとまた調べてみます。