海軍休日(かいぐんきゅうじつ、英: Naval Holiday)は、第一次世界大戦終了後のワシントン海軍軍縮条約の締結(1922年)からロンドン海軍軍縮条約の失効(1936年)まで、軍艦の建造に国際協定によって制限が加えられた約15年間の時期をさす。建艦休日とも呼ばれる。
造船技術という観点から見ると、第二次世界大戦に参加した戦艦は、大きく二種類に分かれます。 「ネイバルホリデー(海軍休日)と呼ばれる15年間の国際的な戦艦建造休止期間」以前に建造された戦艦か、それ以降に建造された戦艦か の違いです。
軍事技術の進歩は早いので、15年間のインターバル期間は非常に長く、ぶっちゃけ「ネイバルホリデー」以前に造られた戦艦は第二次世界大戦時にはすでに老朽艦。でも各国それを近代化改造して使いました。日本海軍の戦艦12隻のうち、10隻がこの部類です(金剛型戦艦4隻、扶桑型戦艦2隻、伊勢型戦艦2隻、長門型戦艦2隻)。
他方、「ネイバルホリデー」以降に造られたのは新造艦と言ってよいですね。日本海軍だと大和型戦艦2隻が該当します。
今回比較した2隻は、前者として日本の戦艦伊勢(1919)、後者としてイタリアの戦艦ヴィットリオ・ヴェネト(1934)を持ってきました。

戦艦伊勢(と同形艦・日向)の建造時と最終時の形態は大きく異なっています。まあ大和型以外の日本の戦艦は、古い船を魔改造して使ってたのでみんなそうですけど。

伊勢を選んだのは、ただ単純に僕がこの艦の魔改造「航空戦艦」が好きだからです。
戦艦の命である主砲2基4門(後部)を外し、格納庫と作業甲板を設け、爆撃機を積む「航空戦艦」。実戦能力はイマイチだけど、この中二病的発想を実現は痺れますわ~。(実戦で爆撃機を使ったことは一度もなかったんだけど、主砲を2門下した重量代償として高角砲や機銃を大量に搭載し、実は大和級に次ぐ強力な対空能力を持つ艦に生まれ変わったという側面もあります。そのためもあったのか、最終局面まで二艦とも生き残りました。)
他にも、煙突が一本化されていたり(機関の進歩)、艦橋の形がまったく違います。さらに言えば、船体の幅と長さも違います。どんだけ魔改造するんだよ・・・
なお、航空戦艦について興味ある方は以下の外部記事をどーぞ。
「戦艦と空母を合体!」日本だけが作った夢の「航空戦艦」本当に中途半端だったのか?乗り物ニュース
その1 艦橋
新造時は低い建物の上に三本マストが立っていたスマートな艦橋が、次々と部屋が付け加えられ巨大かつ重層の建造物に。複雑怪奇な日本戦艦の艦橋は「違法建築」とも言われ、模型としては見栄えがいいため、その筋のマニアに愛好されています。なかでも「違法建築度合」が高いのは伊勢の前級である扶桑の艦橋で、なんと、艦橋だけのモデルが発売されています。この不安定さ。よく採用しましたね・・・

なんで、こんな複雑構造になってしまったか・・・答えは、艦橋に設置すべき機器が飛躍的に増えたから です。
例えば、改造後の伊勢の艦橋の最上部には幅10mの測距儀(レンジファインダー)が備えつけられました。 測距儀は、左右に離れた2個のレンズで取り込んだ対象物画像の角度差から、対象物までの距離を測る道具です。1905年の日本海海戦時の三笠の艦橋絵にも載ってます。

日露戦争当時は、敵艦が十分視認できる比較的「近距離」で主砲の打ち合いをしていました。だから低い艦橋に設置した幅1.5mの測距儀で十分だったのです。ですが兵器の発展とともにだんだん「遠距離」砲戦へと変わっていきます。
すると、できるだけ大きな測距儀を、できるだけ高い位置に設置したい。 また射撃もそれを統制する「射撃指揮装置」が開発され、それもできるだけ高い位置に設置したいという要望が出てきます。
そうなると、それを動かす動力を置く機械室、操作室が必要になり・・・観測室も必要。射撃指揮装置も主砲用だけでなく、副砲、高角砲、機銃、予備が必要・・・ 最終版には電探(レーダー)も必要だし・・・また、回転する機器は、他の部材と干渉しないよう距離を取る必要も出てきます。 光学機器なので視野確保も必要だしね。
で、必要に応じて増築した結果、ものすごい複雑な艦橋ができました。 事情は諸外国も同じだったはずなのですが各国、日本のバカでかい艦橋にはあまりいい評価を与えませんでした。まあ、でかいマトになるのは確かですね。 それらの批判の最先鋒がイタリア海軍のプリエーゼ造船総監です。曰く「八方美人的で個性がなく、平時の訓練には便利だが、実戦には向かない。」と
じゃあ、そのプリエーゼさんの作った艦橋はどうなのよ?それで、プリエーゼさん作の新造戦艦がヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を見てみようという流れです。
両者の艦橋を比べてみましょう。全体のサイズは最初の写真で比較してもらうとして細部は・・・ 左が伊勢、右がヴェネトです。

ヴェネト艦橋の解説・・・
直径の異なる円筒を積み重ねたような特徴的な塔型艦橋が立つ。・・・本級の艦橋の構成は上から装甲射撃方位盤室、上下2段に重ねられた装甲7.2m測距儀塔、戦闘艦橋、操舵艦橋の順で、艦橋全体が装甲で覆われているために司令塔は設けられていない。
ヴェネトの艦橋、小さ!。でも、ヴェネトの方が艦の大きさも、主砲の口径も大きいんだけどね・・・これが技術の進歩か・・・
まあ、艦橋に搭載が必要な機器はこの時代にはほぼ開発済みでしたから、それに合わせてすっきりとした塔型艦橋を作ることも容易だったとは言えます。日本だって大和型戦艦の艦橋は伊勢と比べればすっきりとしていますから。あまり何も載っていなかった艦橋に次々に乗せる機器に合わせ増築していった結果が伊勢の艦橋だった。まあ仕方ないんじゃね?という気もします。
それでも、どこかの時点で「要求をうのみにして増設するだけじゃなく、もう少しよく調整して、全体サイズを小さくすることができなかったのか」とは思いますけど。それが「八方美人的で個性がない」という評価かもしれませんね。
→古い艦ですが、一番最後に近代化改装された金剛型戦艦の一隻「比叡」は、このような違法建築ではなく、すっきりとした塔型艦橋が採用されています(大和型戦艦の新艦橋のテストケースとして)。やればできた・・・んだけど。
にしてもさすがのイタリアデザイン。円形にして徹底的に避弾経始しやすい形状になっているのはお見事!洗練されて美しい。
あ、これ、技術の進歩(石垣を正確に方形に積めるかどうか)が、お城の天守構造を進化させた(望楼型から層塔型へ)話とちょっと似てない? 伊勢級艦橋が望楼型(例:犬山城天守)、ヴェネト級が層塔型(例:名古屋城天守)と見なしたらね。・・・天守の進化についてはこちらをどーぞ。
石垣を積む技術が低かった時代の天守台は、正方形に積むことが難しく、必ず歪んでしまいました。そのために、多角形や台形になってしまったのです。こうした歪んだ天守台の上いっぱいに建物を作ると、当然歪んだ1階になります・・・歪みは、当然一階建物を覆う入母屋造の屋根にまで伝わります。しかし、その屋根の上に載せる望楼部は、下の屋根の形に左右される必要はないので正方形平面とすることができます。そうすれば、これより上は、方形の建物になります。
層塔型天守を建てるためには・・・石垣構築技術の発達が欠かせませんでした。直角に積む技術が完成したことによって・・・天守台の上に造られた1階の上に、次の階を少しずつ小さくして積み上げていきます。3階・4階・5階と同じことを繰り返すと、層塔型天守が完成します。
閑話休題。 伊勢の模型を作ってて、ちょっと気になった点その2 船体形状
ウオーターラインモデルなので、水面断面形状が分かるんだけど、伊勢の形状、艦首からしばらく行ったところで艦幅が急拡大、いかにも水の抵抗を受けそうな(速度の出なそうな)形状をしています。これなんで?

答え。 魔改造で重くなった重量(31,200t→38,500t)を支える浮力を得るためと、水中防御力強化のため「大型バルジ(ふくらみ)」を設置したから。
船体側面の水線下に取り付けて排水量を増加させる膨らみ。建造時に装備されるものだけでなく、あとから増設される場合もある。浮力・復元力が増加する効果がある。軍艦においては魚雷攻撃に対するダメージコントロールとしても有効である。ただし、最大戦速及び巡航速が著しく低下する場合がある。
防御力はこれでアップしたんだけど、水中抵抗が増えるから、速度が遅くなるのは仕方ない。まあそれを補うため機関を新しくして機関出力を上げた結果として、煙突が1本に集合され、抵抗を減らすため全長を伸ばしたりしたんですね。どんだけ魔改造なんだ。
一方、ヴィットリオ・ヴェネトは速力30ノットの高速戦艦ということもあり、水中抵抗を増大させるバルジを設置しませんでした。だから水面断面形状はずいぶんスマートになりました。 でも、水中(魚雷)防御はどうしたの? まさか速度重視の防御力ナシ?

ここで技術進歩?。ここから先は模型には表れてこないんだけど、船体内にプリエーゼ式水雷防御という新技術を採用しています。名前の通り、プリエーゼ造船総監の発明です。これも紹介したくて。

舷側装甲下端から艦底の間に、内側に湾曲して厚さ40mmの水雷防御隔壁が張られ、外板との間の空虚部には直径3.8mの中空のドラムを保持しその周囲を液体で充填している。防御隔壁の内側には、水防区画として乾室が設けられていた。 水中爆発に対しては、中央の中空ドラムが圧壊することで爆圧を緩和し、隔壁が破られるのを防止する。
この技術が実際に有用だったかどうかはいろいろ議論があるんですけど、面白いなあ。
とまあ、模型を眺めながらそのあたりまで調べると時間潰せるので、なかなか楽しい趣味です(笑)。まあ役には立たんが。
あと模型を作ってて思うんだけど、イタリア艦はやっぱデザインとか色使いとかすごいんですよ。
実際の性能はともかく、船体中央の高角砲群は「宇宙戦艦ヤマト」を思い起こさせる未来的デザイン?だし、
艦載いかだは黄色に塗られているし(救命時には発見しやすいし、模型としても映えるけど、目立ちすぎて軍艦に塗る色としてはどうかなあと。ちなみに日本海軍の軍艦には、救命いかだなんていう軟弱なものは搭載されておりません。)
さらに船首上面は紅白ストラップに着色され、なんとも目立ちます・・・味方識別にはいいんだろうけど・・・同型艦がイタリア降伏時にドイツの誘導爆弾で撃沈されたんだけど、この紅白着色が目印になっちゃったんじゃないの~?
あと豆知識だけど・・・ヴィットリオ・ヴェネトの主兵装である主砲はOTO社の 38.1cm3連装砲3基9門」ですが、現代の軍艦の主砲は7.6cm単装砲を1基か2基(1門か2門)しか積んでいません。現代の軍艦の主兵装はミサイルなんです。これもそのうちレーザーガンになるのかな?
んで現代、その主砲に多く採用されているのはオート・メラーラ 76 mm 砲です。つまりOTO社ね。当時の会社がまだ生産してる・・・へタリア、実は兵器大国だったのだ。あ、紅の豚でもそうか??

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。