チタン製スポークを買いました(ライトマイファイヤー)

スウェーデンのチタンカトラリーです。2820円。いい値段します。

巷には、プラスチックバージョンのこのスポークも売っていて、山道具として重宝していたのですが、ある時、マッシュポテトを混ぜてたら折れてしまいました。便利だったので、再度購入したけれど、また折れてしまいましてね。 カラフルでかわいいんだけど、少し軟すぎ。

んで、折れないチタン製の購入を検討していたのですが、そのときはもう販売が終了していまして。それが最近「再販」したらしく、ようやく購入の運びになったというわけ。

片側にスプーンが、反対側にフォークとナイフ?が付いていて、これ一本で何でも食えるし料理もできる という代物です。

ふーん、なかなか便利そうですけど、使うには、長さがちょっと短くないですか?

ま、まあね。 確かに使うには少々短いのですが、個人的にはこの長さが大事なんですよ。なにせ、この長さが、相棒の中に収まるギリギリの長さですから。相棒ってのはこちら↓

「メスティン」です、最近流行りみたいですね。僕のはもう、キズだらけですけど。

さて、その蓋を開けてみると・・・

いろいろはいっています。今回買ったチタン製スポークが、斜めでギリギリ収納できてます。

 正確には、収納できるというより「無理やりねじ込んで入れた」というところ。先代までのプラスチック製は少し曲げる感じでらくらく入っていたのですが、チタン製は曲がらなくて無理やり詰め込むしか・・・誤算だった・・・

ま、道具類を一式展開してみましょう。

アルコールバーナー、組み立て式五徳、組み立て式風防、着火式ライター、スポーク、組み立て式の箸が出てきます。 とりあえずこれだけで煮炊きができるってわけです。

 いつか避難小屋での夕食時にメスティンを取り出して組み立ててたら、同宿の人たちに結構注目されました(笑)。男性はこういうギア、好きですよね!

 正直、五徳の上に載せるにしても、長方形のメスティンは安定性が悪いし、インスタントラーメン(正方形)は折らないと入れられないので、使い勝手はイマイチなんですけど、この収納性の良さが、個人的にはそれを上回っているので、使い続けています。

アルコールバーナーも火力イマイチだし面倒だけど、燃料の残量がわかる点において、ガスバーナーより優れているかと。

僕はたいてい こいつで棒ラーメンを煮ます。 入れるのは乾燥わかめかネギ(野菜)と、高野豆腐(タンパク質)ですね。安いし軽いからです。 スープはあまり飲まず、麺をたべたらスープの中に「マッシュポテトの素」と輪切りにしたカルパスを入れて、もう一食。

メスティンを組み立てたときに見てた周りの人からは「食事までシステム化されていますね!」と言われちゃいました。ま、汁を残さず使い切るという観点では、そうですね。正直うまいか と言われると、ウーン って感じですが、安価に軽量化できること、お腹が膨れるという面では、悪くない選択肢ではあります。

あんまり長期間続けられるものではありませんけどね。 

歴史と地理から考える都市防災

防災を考えるのに、都市の歴史とか地理など、多角的な面からも考えるのはいいアイディアだと思っているのですが、そんな観点から、とてもよい記事がありましたので、紹介します。

「大いなる田舎」名古屋が語る防災の知恵

「お国自慢」を通して、これからの日本を考える

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター教授

無理やり短くまとめてみると

  • 名古屋のシンボル「名古屋城」は、歴史に残る数々の大地震をくぐり抜けてきた
  • 名古屋城を含む名古屋市中心街(三の丸にある国県市官庁街も含む)が災害に強かったのは、それまで市街地であった清須(川岸で液状化の危険大)から、現在の位置(熱田台地)に町ごと大規模移転「清洲越し」をしたから。
  • 「清須越し」とは、1610年に徳川家康が息子の尾張徳川家初代藩主に、清須の城下を熱田台地の上に丸ごと引っ越すこと命じたもの。約100の寺社、67の町と共に、6万人が引っ越した。
  • 太平洋戦争で焦土と化した名古屋(名古屋城の天守閣もこのとき燃えちゃった)だったが、大規模な復興を猛烈なスピードで進めた。100m道路をはじめとする広幅員道路や、寺社・墓地移転により大規模な土地区画整理事業を進めた。移転した寺院数は300弱、墓地面積は約18万平方メートル。
  • 結果、南北の久屋通と東西の若宮通、2本の交差する100m道路に、南に続く新堀川を加えると、名古屋を十字に4分割する計画になっており、万一大規模な火災が起きても延焼が全市に拡大するのを防ぐ。整備された広い道路と公園は、災害時の避難地や復旧工事の拠点にも。
  • 近年、災害危険度の高い名古屋駅周辺に高層ビルが林立するようになったが、名古屋の老舗企業の本社の多くは熱田台地上に残っている。
  • 名古屋の周辺に集積する自動車産業も、多くは丘陵の原野を開発して大規模工場を建設しており、他地域の産業と比べて災害危険度は相対的に低い。
  • この状況は、入江を埋め立てた大手町から日比谷にビジネス街が広がり、臨海部の埋立地にタワーマンションが林立する東京の風景とは全く異なる。
  • 安全な場所に城を構え、その周辺に城下町が広がる。日本の地方都市の多くは、近代以降もこうした街の形を引き継いでいる。地元の老舗企業は城に近い旧市街地にある場合が大半だ。名古屋も規模は大きいが、そうした地方都市の一つといえる。
  • 最近、この田舎っぽさこそが大切なのではと感じ始めている。地方都市にいまも息づいている街の歴史には、様々な防災・減災の知恵も込めらてれおり、それは地域の特色にもなっている。全国各地で地元の良さを再認識し、それぞれの「お国自慢」を通して、これからの日本を考えてみてはどうだろうか。

名古屋を十字に4分割する計画だった とかは知らなかったですね。へぇ〜。

まあ手放しで褒められるほど、現在の名古屋がそこまで「すげえ」わけではないでしょうけど、江戸時代の規模だと、大規模移転しただけあって、防災上も強かっただろうし、その時の遺産が残っているのは間違いありません。

指摘されているように、近年では災害危険度の高い(地盤が弱い)名古屋駅周辺が急速に高層化し開発されまくっていました。本当に近年ですね。昔は繁華街である栄への通過点でしかなかったもの。防災上はそのほうが良かっただろうね。ま、なんと言っても交通の便がよいのは、災害のこと忘れれば、やっぱり魅力的ですから。

熱田台地は、北西端が名古屋城、南西端が熱田神宮なんですが、現在の名古屋市は、それを遥かに超える面積を持っています。名古屋市の弱点は、特に熱田神宮より南や西に広がる低地でしょう。熱田神宮より南は江戸時代まで海だったし、西は低湿地でした。大雨が降れば大惨事が起こります。2020年の「東海豪雨」では名古屋市の4割が浸水したし、その危険性は基本的には今も変わっていません。

名古屋の街、4割浸った 東海豪雨(平成と中部)
海抜ゼロメートル地帯が広がる濃尾平野は、深刻な水害にたびたび見舞われてきた。平成もそうだ。2000年9月の東海豪雨では新川の堤防が決壊し、名古屋市内の4割が浸水。多くの家屋や工場が泥水にまみれ、被害総額は7700億円を超えた。

日経新聞

この濃尾平野のゼロメートル地帯、名古屋市だけでなく愛知、岐阜、三重3県に跨るんですが、その面積は「日本最大」と非常に危険な地域でもあるのです。参考「東海ネーデルランド」(中部地方整備局)

「自動車産業が多くは丘陵の原野を開発して大規模工場を建設」というのは事実ですが、大規模ではない下位下請けまでくれば例外もあり、裾野の広い自動車産業全体の災害危険度は本当に低いと言えるかなぁ?とも。

でもでも、概略的に都市の成り立ちとか知っていれば、自宅や職場で、災害時にどんなことを準備しておくべきか ということが見えてきますし、なによりただ漠然と「防災考えなきゃ、うちは何を備蓄しとけば大丈夫なの?」っていうアプローチより、断然面白いですよね。

☆福和先生の話はとてもおもしろいしためになるので、本を買って一読しておくと良いと思います。一番のオススメは「次の震災について本当のことを話してみよう」です。