西尾市岩瀬文庫で開催中の企画展「古城」を見てきました。

3月5日まで開催中の、息の長い企画展です。入場無料。

本展示では江戸時代の書物に登場する様々な古城・城跡を紹介します。

古城―失われた城の記録―

古城について記載のある古文書の展示はともかく、城絵図は見てて楽しいです。少し紹介しますね。

①遠州諏訪原城

大井川を見下ろす牧之原台地端部に位置し、天正元年(1573)に武田勝頼が築城。天正3年に徳川家康が攻め落とすと、武田氏との緩衝地帯であるこの城を死守すべく松井忠次らを城代に任命した。武田氏滅亡後に城は不要となり、天正18年ごろには廃止となった。なお、当文庫(岩瀬文庫)では2種類の「遠州諏訪原城図」を所蔵している。

古城 展示図録より

で、展示された2種類の諏訪原城の絵図がこちら。出典は「遠江古蹟図絵」のようです。

 ちなみにこの城を例に挙げたのは、僕が持っている 香川元太郎「鳥瞰・復元イラスト 戦国の城」にこの城の復元鳥瞰図が載っており、比較できるから。それがこちら。

香川元太郎「鳥瞰・復元イラスト 戦国の城」

さすが鳥観図は、城の構造がよくわかりす(笑)。もしかして、右側の絵図はこのイラストを描く際の基礎資料になったのかもしれませんね。

現在も城跡は残っており、中でもイラストの中央左側に見えている丸馬出と堀が良好な状態で残っているそうです。

島田市博物館HP

いや~。ここまで絵図とか復元図、航空写真を見ちゃうと、現地行きたくなりますね~。

ちなみに、徳川時代にこの城の城代となった松井忠次くんですが、諏訪原城守備の功績抜群として家康から松平姓を与えられ、譜代大名・松井松平氏の祖となります。

松井忠次は遠州諏訪原城(諏訪之原城、牧野城)攻落やその後の守備に功績甚大と評され、家康よりその偏諱と松平の名乗りを与えられて松平康親と改称した(ただし、康親への改名は後世の誤認の可能性を指摘する説もある)。

この系統は転封を繰り返して、最後は第12代藩主・康英の時に武蔵川越藩(8万4千石)にて明治維新を迎えた。なお、代々周防守の官名を世襲し、松平周防守を名乗った。

wiki

実はこの人西尾市吉良町の出身で、お墓も吉良町の花岳寺にあるのです。以前記事で取り上げ、地元出身の歴史上の人物(超マイナーですが)として親しみを感じていたところです。諏訪原城、攻城せねば!

東条城跡に立つ、旧法応寺の解説看板

②春日山城

言わずと知れた、上杉謙信・景勝の居城(山城)。

この絵図は、景勝時代の主要な武将の屋敷の配置を記している そうです。

春日山古城之図

白い部分が、武将の屋敷などを示しています。実際に文字が読めて「直江山城」とか「馬屋」「蔵屋敷」とか書いてあります。直江山城・・・上杉の武将には詳しくないのですが、さすがにこれはわかります。直江(山城守)兼続の屋敷ですね!   

頂上付近の赤色着色部分は・・・ ゴザ所、ヤシキ二段目、景勝、諏訪堂、毘沙門堂・・・。 謙信や景勝など、城主(領主)の居住区を示しているものと思われます。中央部の赤色部分は「馬場」とあります。城主もここで乗馬していたので、赤地なのかと。

実子のいなかった謙信には二人の養子がいました。 甥の景勝と、北条氏からの養子である「三郎」景虎です。景虎は謙信の血を継いではいませんが、北条氏康の七男で、実家という強力な後ろ盾を持っています。しかも謙信の初名である「景虎」を名乗っています。謙信はどちらを跡継ぎとするか決めていなかったともいわれており、実際謙信の死後、二人の間で「御館の乱」という跡目相続争いが勃発するのです。

面白いと思ったのは、二人の屋敷の位置。ゴザ所、ヤシキ二段目(御座所・屋敷二段目→謙信在命時はここらに居住していたと思われる)の直下に「三郎屋敷」があり、「景勝」屋敷より御座所に近いです。一方で、景勝屋敷はやや距離があれど、屋敷二段目と同じ高さですから「三郎屋敷」より一段高い位置。

御座所からの距離と高さ。謙信が養子二人の力バランスを取っていたのかなあ?そのビミョーな関係が垣間見えるようじゃありません?うがちすぎ?

ほかにも、武田氏館跡(つつじがさき館)の絵図、桶狭間合戦図(いうても、合戦図ではなく今川方の大高、鳴海両城と織田方の鷲津、丸根、正光寺各砦の位置が描かれたもの)等等があり、楽しめます。 

地元では、寺津城の絵図が3枚ほど出ていました・・・(けど、当時でも堀と土塁の位置しかわからなかったのね)

マニアックですが、興味ある人には楽しめる展示だと思います。よろしければ、どーぞ。

煮味噌

今晩のご飯は。煮味噌でした。

野菜と味噌とだしを一緒に煮込んだ料理です。今日は汁が多い気がするけれど、「汁気の少ない味噌煮込み汁」 みたいな感じ。

うちではだしは煮干しで取り、大根、白菜、サトイモ、ネギを八丁味噌で煮ることが多いですね。 人参やこんにゃく、油揚げを入れることもあるようですが、うちはそれぞれあんまり好きじゃない人がいるので省略されてます。

たいてい、どんぶりご飯の上にぶっかけて食べます。 冬の好物の一つです。体にはよさそうですよね。(塩分過多かも・・・)

野菜の味噌煮込みなんて、全国的にどこの田舎でも食べられている料理だろ?とこれまで思いこんでいたのですが、じつはこれ、愛知県の郷土料理なんだとか。へぇ~。

農林水産省 うちの郷土料理

な、なんかうちのと全然感じが違うんだけど~、こりゃ筑前煮に見えるんだけど~。ま、まあ。

考えてみると、普通の味噌の使い方って、味噌汁に代表されるように「煮立てると味噌の香りが飛ぶから沸騰させないよう」料理の最後に溶かして使うことが多いと思います。

でも愛知県においては、ぐつぐつ煮込んで味噌の味を具にしみこませる使い方も多い(味噌煮込みうどん、どて煮、この煮味噌とか)と思います。これは確かにこの地方で特徴的な使い方なのかもなあ。

特にこの地方は、コメや麦を使わず、大豆だけで造る濃厚な味噌(赤みそ、特に八丁味噌)の本場ですから、特にその傾向が強いかも。 

うちでも、普段使う味噌は「すりみそ」なのだけれど、まだ母方の祖母が生きていた時代には、 この煮味噌を作るとき用にそちらで「つぶ味噌」をもらっていました。より味噌の風味が濃厚だった記憶があります。 おふくろの味ならぬ、おばばの味です。

粒みそとすりみその違いとは
【粒みそ】
→木桶の中心部に近い、大豆やお米の粒がしっかり残った味噌をそのまま(粒が残ったまま)包装した味噌
粒が残っており大豆や米の香り・コク・風味をしっかり楽しむ事ができるので、味重視の方は粒味噌がオススメ
*米味噌では「こうじ味噌」が粒が残ったタイプになります
*お味噌汁にする際、粒の残りが気になる方はこし器で溶く必要があります
【すりみそ(こしみそ)】
→掘り出した味噌を包装する前に細かくすり潰した、大豆や米の粒が残っていない味噌
すって濾してあるので、香りなどは少し落ちますが口当たりはなめらかです。
こし器を使わずそのまま溶かす事ができるので、利便性重視の方は摺り味噌がオススメ

桝塚味噌

ちなみに、うちで使う味噌は、近所のスーパーでは売っていない、地元今井醸造の味噌指定です。  僕は八丁味噌の味噌汁が好きなので、朝はいつもご飯と味噌汁なんだけど(肉体労働には、パンよりごはん!)、毎朝飲んでると「味噌」の違いが結構気になるのです。 まあ安くはありませんけど、うまいからしかたなし。