西尾市の文化財(1)   久麻久神社 本殿(重要文化財)

西尾市の文化財シリーズ第一弾です。 最初は八ッ面山にある、久麻久(くまく)神社です。ここは、本殿が国の重要文化財に指定されています。    駐車場:八ツ面山の頂上に停められます。

本殿

はい、これが「本殿」ですね。建立は1527年。たいてい神社はこの前面に拝むための「拝殿」があります。なので「拝殿」を「本殿」と間違えて写真を撮ってしまう恐れが高いので注意しましょう。たいてい拝殿には立派な額が飾ってありますしね。ちなみに久麻久神社の拝殿です。

拝殿

重要文化財の指定、正確には「付鰐口・棟札(2枚)厨子」となっていますが、そもそも鰐口ってなんだろ

正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である。神社の社殿で使われることもある。金口、金鼓とも呼ばれ,鈴(すず)を扁平にしたような形をしている。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部がある。金の緒と呼ばれる布施があり、これで鼓面を打ち誓願成就を祈念した。(wiki)

ふーん。拝殿にぶら下げてあるのがそうかな?いや、まさか重要文化財をぶら下げて使ってたりはしないよね。しまってあるんじゃないでしょうか? 棟札と厨子は建物内部にあるものですから、普通には拝観できません。

えーと、祭神は3柱。まず「大雀命」うーん・・・聞いたことない(笑)。調べてみると、「おおささぎのみこと」と呼んで、仁徳天皇を示すようです。仁徳天皇っていうと、第16代の天皇です。日本最大の古墳「仁徳天皇陵」で有名ですね。名の通り(後世の贈り名だから当たり前だけど)の仁徳を持ってた天皇です。

ある時大君は、高台から国を眺めて、民家から炊事の煙が上がっていないのを見て、みんな貧しいから3年間年貢を免除するぜーと宣言しました。税金が入らないから御所が荒れ放題になっても我慢、我慢。天候も回復し、課税を開始し御所も直したところ、老いも若きもみな喜んで御所の改築に参加しました、めでたしめでたし。 主に大阪にいたようなので、なぜここに祭られているかはわかりませんけど。

つぎに「須佐之男命」 あ、これはスサノオのミコトですね。略歴:天照大神の弟で暴れ者。あんまり乱暴ばかりするので、神々の住処(高天が原)から追放。地上(出雲)に来て心を入れ替えたのか、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し英雄となります。生贄の花嫁(櫛名田比売・奇稲田姫・くしなだひめ)と結婚、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

それから「熱田大神」(八剣社) 熱田神宮の主神ですな。正確には、三種の神器の一つである「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)を神体とする、天照大神のこと。そもそも「草薙剣」は、スサノオがヤマタノオロチを退治した時、オロチの尻尾から出てきた宝剣ですから、スサノオつながりでしょうか?

神社の説明を読むと、近郊十七ケ村の総氏神です。その中の久麻久郷※は第十代崇神天皇の御代、京都丹後半島与謝の里から久麻久連一族が移住開拓し、その産土神を祭ったことが当社の始まりとか。スサノオさんは大宝年間(701年)に旧大宝村(どこ?)から勧請されたそうな。(ということは、それにつながる熱田太神も後代だろうね。)

となると「大雀命」は、久麻久氏につながるんじゃね?と思うところですが、前述の通り大雀命は第十六代仁徳天皇でしたから、つながりませんね。。うーん、残念。もしかして久麻久氏当主の孫の子の妻の実家の隣の家の旦那が仁徳天皇だったのかもしれませんが、それ他人だし(笑)

また、この神社は一時、荒川大宝天王宮と呼ばれていたこともあったそうです。ちなみに天王神社で検索してみると・・・

牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。現在の祭神は、牛頭天王を祭神とする神社は数社のみで、主に神仏習合で牛頭天王と習合されていたスサノオを祀っている神社が多く、明治の神仏分離の際、スサノオ以外に、古伝に記載された祭神に戻したりした神社もある。(wiki)

牛頭天王とは?

日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られない。

垂迹とか本地は、まあ在来のカミと、外来の仏を繋ぐ(神仏習合)一つの説明だと思ってください。お寺に神社も祭るため(あるいはその逆)の、宗教を併存させるうまい考え方で、日本文化の特徴ですね。明治維新の時の廃仏毀釈でOUT!と教育的指導を受けましたけど。教科書だと、「本地垂迹説」で出てると思います。

大宝から来たスサノオ→スサノオ=牛頭天王+戦国時代荒川城(麓です)城主の荒川義弘から厚く信仰された=荒川大宝天王宮ですね。それにつながるのか社宝として、牛頭天王像一体が保管されているそうです。(愛知県指定文化財)

(と、祇園って祇園精舎から来てるのね。八坂神社の麓だし、納得。)

また、八ツ面山は良質な雲母が採掘され(採掘口も残っているそうです)、古くは「きらら山(雲母山)」と呼ばれ、中世の「吉良荘」あるいは「吉良氏」の名の由来とも言われているそうな。雲母は高価な巻物の装飾とかにも使われますから、或いはその縁で、都や八坂神社とつながっていたのかもしれませんね。

※麓の熊味町に久麻久神社があり、かつては下の社と言われてました。八ツ面山のほうはかつて上の社と呼ばれていたそうです。そもそも上の社は山頂にあったようで、そうすると山体信仰として八ツ面山自体が神山だったんじゃないかと。で、本格的に雲母を掘削するため神山だと都合が悪いので、神社を中腹に移したとか。ちなみに移すよう命令したのは、徳川家康。永禄年間に荒川城主鳥居元忠に命じたそうです。

※熊味町の久麻久神社を訪れたレポートはこちらです。

矢作古川に沿って

バイクの慣らし運転、僕のバイク慣れの練習を兼ねてドライブです。

矢作古川は、一級河川矢作川の分流です。もともとはこちらが矢作川の本流だったんですけどね。その旧矢作川は、下流部で丘にぶつかって湾曲するので、しょっちゅうそのあたりで氾濫が起こってたようです。で、業をにやした徳川家康の命で「放水路を造れ!」となり、丘を開削してちょっと放水路を造ったんですな。そしたら放水路(新川)のほうが通りがいいもんだから、そっちが本川(矢作川)になり、旧川は、矢作古川になったってわけ。

矢作川河口は、現在の油が淵あたりにあったんだけど(油が淵まで海だった)矢作川の流す大量の土砂で海が埋まり、これ幸いと干拓を行い、海岸線ははるか遠くに行ってしまったけれど、油が淵だけは湖として残されんだね。  地図はこちら

(地図の真ん中で東西に流れているのが矢作川。左上の湖が油が淵、中央「八ツ面山」の脇を通って湾曲しながら南北に伸びるグリーンベルトが、矢作古川です。

矢作川が出来たことで、大半の水は矢作川を流れるようになったので、矢作古川は矢作川と比較すると狭くて蛇行したままです。管理も矢作川は国(国土交通省)、古川は愛知県となりました。それでも、洪水時にその分配があまりうまく行かないので危険だわ ってことで、矢作川と矢作古川の間に、平成28年5月に、分派堰が出来ました。

お待たせしました。それでは、主に右岸堤防を下流から上流へ向かいます・・・ほとんど橋の写真ばかりだけど。

河口です。
衣崎漁港 地元なのに、漁港あるの知らなかった。
最下流の松大橋
大富橋(河川敷はゴルフ場)
笹子橋(やっぱりゴルフ場)
富川橋
横須賀大橋
名鉄鉄橋
橋脚工事中(県道西尾幡豆線)
吉良頭首工(これより流れが更に穏やかに)
宅野島大橋(これより古川橋まで堤防道路未舗装)
小焼野橋(木がたくさん)
古川橋(舗装はありがたいね。路肩は走りにくいが)
江原橋(川はどこじゃ〜林の向こうです)
八ツ面山展望台(麓を古川が流れる)
展望台からみた下流部
展望台から見た上流部
きらら橋
矢作古川橋(23号バイパス)
小島橋
竜宮橋(最上流の橋)
竜宮橋たもとの小島龍宮の参道を、社殿も越えて林の中の踏み後をたどると・・・
分派堰が見えました。これで矢作古川はオシマイです。

うむー、あんまり川らしく「流れている」ところはありませんね。河口は干潮区間で穏やかに、中流は堰の湛水域でさらに穏やかに。上流も矢作川から少なめの量が流れてくるだけなので、やっぱり穏やかに。まあ、下流部の河川なので、勾配もほとんどないですからね。

だから、河川内は木もたくさん生えてて、野鳥観察やのんびりルアー釣りにはよいところ川かもしれません。釣ってもあまり食べたくないくらいの水質・・・でしょうけど。

追記 2011年に、アリゲーターガーが発見されているそうな(笑)

ガー