「キタナイ」という表現もあれですけど、 公的機関や報道機関が、こんな難しい表現を使って、「チミたちは、その表現で人にものを伝える気があるのかね?伝達する責任とか考えないのかね?もう少し言いようがあるんじゃないかね?」って思ってしまったので。
①「広く親族関係にある人物として矛盾はない」
山梨県警は12日、同県道志村山中で発見された子どもとみられる頭の骨を詳しく鑑定した結果、行方不明になっている千葉県成田市の小倉美咲さん(9つ)の母親とも子さん(39)と、広く親族関係にある人物として矛盾はないと明らかにした。とも子さんと、ミトコンドリアDNA型が同じだった。山梨県警は美咲さんの可能性があるとする一方で「断定はできない」と説明した。
東京新聞
専門家や学者間で話をするなら「○○で矛盾はない」という表現で別に構いませんけど、一般人に向けた表現じゃないですよね。最初聞くと「は?」と思うし、少し考えないと意味わかんなくない?
これ、 例えば「鑑定の結果、母親と親族関係にある人の骨と見られる」という表現だと不適切なんですか? そのほうが意味が通じると思うし、ニュースでは、そのレベルの表現を使うべきだと思うんだけど。
(報道機関の価値は、当事者の難しい説明をいかに本質を変えず、易しい言葉で表現するか だと思うし、当事者も広報するなら、それを心がけるべきだと思う)
②「必ずしも着用の必要はない」
マスク着用の緩和を求める声が高まる中、専門家らが考え方を整理した。周囲の人との距離が十分にとれる屋外での散歩や自転車での移動中などは、着用不要とした。距離が十分にとれない場合でも、会話が少ないか、ほとんどない場合は、必ずしも必要ないとした。 ただし、屋外でもマスクを持ち歩き、会話の際や屋内に入る時には着用するよう求めた。公共交通機関での通勤や通学時には、引き続き着用が必要としている。
読売新聞
「必ずしも」という表現は取れない?
「必ずしも必要ない」という表現は「必要ない」とは異なり、「基本不要だが、例外的に必要な場合もある」というメンドクサイ意味だと思います。だとしたら、どんな必要となる例外事象があるか、丁寧に説明すべきでしょう。
それをせず、この表現のままだと、ある人(僕)は「会話が少ないかほとんどない場合は感染リスクは十分に低いのだな、とすればマスク不要だ」と解釈します。。 一方で、「この表現だと必要な場合もあるのだから、大事を取ってマスクが必要だ」と解釈する人もいるでしょう。 嫌マスク派と親マスク派、お互いの不幸を避けるために、もう少し表現に工夫を凝らして頂いたほうが良いのでは・・・
ついでに言えば、この文書自体は「屋外で距離が十分取れずとも、会話が少ないかほとんどない場合、マスクは必ずしも必要ない。ただし、(普通に)会話する際には着用するよう求める」 という結論でしょう。
でもね、会話の量が 「ほとんどない」「少ない」「(普通)」ってどうやって判断するんですかね。不毛な神学論争が続くだけのような気がするなあ。
単純に「屋外で会話するときはマスクが必要。しなければ不要」くらいしか、分けられないのでは・・・
追伸
助言機関の見解を受けて、午後6時に厚生労働大臣が記者会見をしました。結論はこうです。
「後藤厚生労働大臣は、会話が少なければ、必ずしもマスク着用の必要はないとの見解を発表した。政府見解によると、会話をほとんど行わない場合は、マスクの着用は必要ないとした。」
「会話が少ない」と「会話をほとんど行わない」の境界・・・、「マスクの着用は必要ない」という表現が存在する上での「必ずしもマスク着用の必要はない」の解釈って・・・こんな曖昧な怪文書(ことばあそび)が日本政府の見解って、大丈夫なのか、この国・・・
後藤厚生労働大臣は、午後6時すぎ、記者会見を行い、屋外では、周囲との距離が十分とれなくても、会話が少なければ、必ずしもマスク着用の必要はないとの見解を発表した。 政府見解では、感染対策としてのマスク着用の位置づけは変更しないとしつつ、周囲との距離が確保できないが、会話をほとんど行わない場合のマスク着用の考え方を明確化した。 政府見解によると、屋外では、周囲と2メートル以上の距離が確保できなくても、会話をほとんど行わない場合は、マスクの着用は必要ないとした。具体的な事例として、徒歩での通勤など、屋外で他人とすれ違うような場合を挙げた。 これに対して、通勤電車の中では、会話をほとんど行わない場合でもマスク着用を推奨するとしている。 一方で、政府見解では、未就学児のマスク着用についても言及。2歳未満については、引き続きマスク着用は推奨せず、2歳以上で就学前の子どもについても、一律にマスク着用を求めないとした。
FNNプライムオンライン