パズルにおける「気になる1ピース」としての  『人新世の「資本論」』

年末年始に、けっこう本を読みました。  新しく買ってきた本が、今話題になっている斎藤幸平『人新生世の「資本論」』です(以下「斎藤本」と記します)。

最近「資本主義の行き詰まり」みたいなのは結構取り上げられていて、最たるところが、岸田首相の言う「新しい資本主義」ですよね。言葉はともかく、中身として何をやりたいのか、さっぱり分からんのですが、それでも安倍・菅政権の進めてきた「資本主義でガンガン攻める!」ではダメだと思った。あるいは「資本主義」への世間の拒絶感を、政治家のカンとして察知した。 というのも事実ではあるでしょう。 

閑話休題。僕はちょっと天邪鬼なので、ベストセラーで話題になっている本は本質的に避けてしまい、ようやく手に取ったのだけれど・・・やっぱりすごいわ、この本。

 中身もすごいけれど、僕自身がすごいと思ったのは、この本が自分にとっての、パズル遊びにおける「気になる1ピース」となったから。 まあ、書評は検索すれば腐るほどあるでしょうし、中身は自分で読んで(笑)。 で、「気になる1ピース」ってなにさ?

パズルをやっていると、周りが埋まっているのに、中央だけ1ピース埋まらないところが出ることがあります。その穴がめちゃめちゃ気になるけど、候補のピースを色々当てはめてもハマらない・・・・諦めて他を埋めているときに、ふと思いついてとあるピースをその穴にはめる。すると、実にあっけなく、思いもよらない形ですっとハマる瞬間があるのです・・・

 それがパズルの醍醐味だと思うけれど。読書でも、似たような感覚を味わうことがあります。その本を読むことで、それまで独立していた、自分が過去に読んだ何冊かの本が繋がり合い、結果、なんか一つのまとまりとして収まったように感じること。 僕は「すべての道はローマに通ず」現象 と呼んでます。

ま、 「ように」ってのがミソで、この段階ではまだ自分の言葉として紡ぎ出せない(理解できてはいない)状態ですが、しばらく発酵させると理解できる・・・かもしれません。めったにないがね。  

で、斎藤本から繋がった本(しかも自分の本棚にあった)4冊。まずは2冊紹介しますね。

斎藤さんは哲学(経済思想)、水野さんは経済学、広井さんは公共政策・科学哲学を専門にしているのですが、 似てはいるけど異なった道筋から、現状分析とその処方箋として「資本主義は行き詰まっており、新たな社会〜脱成長した定常社会への脱皮が必要」という結論は共通しています。ま、水野さんは、斎藤本の帯書きに「衝撃の名著」とコメント載せていますし、斎藤本内部で「広井さんのいう定常社会は旧世代のもので、資本主義を脱していないのでまだまだ」と取り上げているので、このあたりは同じフィールド内かも。

三人は、現状分析の手法として、ウォーラーステインの「世界システム論」を議論に用いているのも共通していますね。水野さんは明示してはいないけれど。

次の一冊は、地球惑星物理学と三人とは全く異なる分野を専門にしている松井孝典さんの本です。こちらは「地球システム論」を提唱していて、名称はよく似てはいるけれど純粋に理系のフレームからマクロに論を組み立てている点、道が三人とは全く異なります。が、ローマ(導かれる結論)は一緒ではないかと。

  • 松井孝典「宇宙からみる生命と文明」NHK人間講座 2002(テレビ講座のテキスト。この本が一番簡潔にまとまり、読みやすいと思います。いい本だと思うけど、中古だと安いなあ・・・)

この本はちょっと毛色がちがうから、引用しますね。

環境問題の本質とは、地球システムに人間圏という新しい構成要素ができ、そのために地球システムの物質やエネルギーの流れが変わった結果なのです。現在の地球環境問題とは、地球システムの中で安定な人間圏とは何ぞや という議論をすることです。  

我々の欲望のままに、人間圏への流入量をいくらでも増やし拡張できるという条件が満たされていた。そのような条件下で人間圏の内部構造とか内部システムを考えていた。これが二十世紀です。  

二十一世紀には、地球システムから流入してくる物質やエネルギーが強制的に減らされます。人間圏が拡張できなければ、その内部では資源の分配の問題がおこります。現代の人間圏の内部構造や内部システムはこのような事態に遭遇すれば大崩壊せざるを得なくなります。つまり、人間圏を取り巻く境界条件が大きく変わるということです。   

民主主義や市場主義経済、人権、愛、神、貨幣など、二十世紀的な枠組みの中で確立してきた色々な概念とか制度をもとに二十一世紀を考えたら必ず破綻するとも言えるのです。

これらに変わるどういう概念や制度をかんがえればよいのか。それが本当の意味での人間圏の構造改革だと思います。 ただし、この問題は、我々現生人類にとっては、自らのレゾンデートルを否定するようなもので、大変むずかしい問題です。なぜなら、我々は様々な共同幻想を抱いて生きる知的生命体だからです。

前段は「人新世」や「資本主義の問題点」をうまく説明しているし、斎藤本と同様の現状分析と捉えてよろしいかと。 後段でいうところの「地球システムと調和した新たな人間圏」が「脱成長した定常社会」である   とまで明示はされていませんが、そのように読むことも可能かと思います。  「共同幻想」が出てくるあたり、「サピエンス全史」の先駆けでもあるな(笑)。

もう一冊。実は消化不足の部分なんだけど、斎藤さんが描く「脱成長コミュニズム」の部分を読んでて、これ「内発的発展論」に繋がるんじゃね?と思ったんだよね。

「内発的発展論」とは、比較社会学を専門とする鶴見和子が提唱した理論なんだけど、彼女の本は相性が悪いらしく、何冊呼んでもよう分からん。が、「生命誌」を提唱する中村桂子さんの解説だとこうなります。

内発的発展論は、水俣の調査から「人間が自然の一部であること、そして、自然破壊とは外部の自然を壊すことだけでなく、人間自身の内なる自然の破壊でもあること」に気づいたところから始まっている。 

とても魅力的な論である。ここでの発展とは、地域住民の創造性に依拠するものであり、それぞれの地域の持つ伝統を生かし、そこに異質なものを加えて暮らしやすい社会を作っていくことである。これまでの進歩史観のように、唯一の物差しですべての社会を測り、進んでいるとか遅れているとかいう発展とは違うのだ。

 システム的なものの見方といい、非・進歩史観といい、来たるべき定常社会と繋がりそうに思いますが、どうでしょうね・・・もっとも、これは中村的見方 であり、鶴見的見方、ではないのかもしれないけれど。

内発的発展論は、川勝平太(学者としての彼は尊敬してますが、政治家としての彼は評価してません)も注目してて、なにかあるとは思ってるんだけど・・・。

と、長々と書いておきながら、僕は資本主義に対して「資本主義はそんなにヤワじゃない※」という認識(というか直感だな)を持っているので、「脱成長した定常社会」への移行(ソフト・ランディング)なんて不可能じゃね? と同時に思ってもいるのだけれど。

※この文言は 花里孝幸「自然はそんなにヤワじゃない」新潮選書 2009 へのオマージュです。上記の議論には関係ありませんけど、斎藤本では、「マルクスは晩年、進歩史観を捨てて新しい歴史観を打ち立てるために、エコロジー研究にも打ち込んでいた」 という言葉が出てきますんで、ちょっと異色の生態系本として、紹介させていただきました。 これは僕の趣味です(笑)。

ブラックバスは排除するのに、サケの放流は推奨する。トキの心配はするが、そのエサとなっている希少なカエルには冷たい。人は、かわいい動物、有益な植物はありがたがり、醜い生き物、見えない微生物は冷遇しがちだ。選り好み、好き嫌いによる偏った生態系観は、やがて人類を滅ぼしかねない。自然の見方が一変する本。