夏休みの絵(写真)日記  @豊橋

夏休みを取りました。と言っても2日でお出かけ。最近は豊橋駅前がお気に入りです。

駅前に良いホテルがあり、至近距離に行きたいところー大きな本屋(精文館本店)、大きな図書館(まちなか図書館)、旨い飲食店(居酒屋とラーメン屋)、デパ地下弁当店(類似)があるからです!  僕にとっては便利な「コンパクトシティ」なんです。

名古屋に行けばもっと本格的なものがありますが、なにせ大都会。各店舗間はかなり移動しないといけません。人も多いので猛暑にはキツイ。

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8月11日。 仕事を終えて帰宅し、シャワーを浴び仕事の汗を流したのち、原付で幸田駅に向かいました。 幸田駅はバイク駐車場(無料)がある最寄りのJR駅(20分くらい)です。ここから電車に乗って豊橋駅へ。 430円。快速で18分。 着いたー。

ホテルにチェックイン。「アークリッシュ豊橋」で2泊します。 ワ~ケーションプランで朝食付き30,000円です。ちょっと高いって。いやいやこれはですね。ウフフ。

宿泊者は駅前15階のラウンジが自由に使えます。ソフトドリンクと、時間制限がありますが、数種のアルコールが楽しめるので。  19時半から夕食を食べに行くので、その前にウエルカムワインと夜景としゃれこみます。 正面に見えるのが「まちなか図書館(豊橋市)」。明日お邪魔します。

夕食は宿を出て道路を渡った「とりとり停 豊橋店」。豊橋駅についてすぐ伺ったのですが、すでに満席。19時半からの席を取ってもらいました。さすがgoogle map評価4.2!

見よこの低温調理鶏レバー。色から美味しいことが分かりますよね。レバーが臭みなく出てこれば、どの料理を頼んでも外れない。 こちらの名物は「チキン南蛮フライ」なんですけど・・・

なんじゃこりゃぁ! 僕は「鶏肉好きの胸肉嫌い(パサパサだから)」なのですが、この胸肉ヤバい!!  ジューシーな肉に甘めのたれがかかって(駒ケ根ソースカツ丼のたれに酷似)、それにタルタルソースがかかれば、そりゃ旨いに決まってる!

良い気分で眠りにつきました。

8月12日。朝食からすごいです。

16階で頂くんですが、こちらはビュッフェスタイルではなく、ナプキンを使い、給仕されるスタイルです。  写真がメインなんですが、 その前にサラダ、ヨーグルト、フレッシュジュース、コーヒー、パンがサーブされます。朝から王様かよ。

朝食後、「まちなか図書館」へ。ここで漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」 読破。終戦80年なので。戦史上、ペリリュー島の戦いは中川州男大佐の持久戦が有名ですけど、兵士から見たらこういう風になるのですね。面白かったです。

宿に帰ってラウンジでソフトドリンクを飲みながら読書。めっちゃエアコン効いて極楽っす。

今回は「積読」を減らすため、新書を2冊持ってきたのですが・・・1冊読了したのち、ふらっと精文館本店へ行ってしまい、新書を2冊お買い上げ・・・結局「積読」が3冊に増えてしまった・・・

積読、積ん読(つんどく)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉である wiki

あ、でも「ユダヤ人の歴史」面白かったです。いろいろ興味深いところはあったのだけど、僕が一番興味を持った記述はここかな。ユダヤ(ヘブライ)人の起源に関したもの。「聖書」は後世の創作ですが、まったく史実を無視したわけでもないでしょう。もちろん可能性の話だけど、この説は面白いなあ。

教科書によっては、遊牧民であったヘブライ人が前十五世紀ごろにパレスチナに移住して、一部がさらにエジプトにも移住したと記述している。・・・

・・・可能性として、教科書でも言及のある、中王国時代のエジプトにアジア方面から流入した遊牧民ヒクソスが前十六世紀にエジプトから追われたとする史実が関連して考えられる。つまり、ヘブライ人はヒクソスの一派かもしれない。

・・・エジプトでの圧政に苦しんだヘブライ人が前十三世紀に指導者モーゼの下でパレスチナへ脱出したとする教科書もある。この記述も聖書の出エジプト記に沿ったものだ。・・・

この日の夕食は、前回お邪魔した「ろじわら」を再訪。 予約も入ってて、17時開店で18時までしか滞在できなかったのだけど、

立ち飲みカウンターのみ、店主1人に客が7人とか、どんだけ人気店なんだろ。

ここも外れないけど、いかんせん時間がなくて堪能できなかったす。が、キムチ三種盛りを頼むと、その3種が「エシャロット、クリームチーズ、ミニトマト」 って興味深くないです?  ミニトマトはキムチというよりイタリアンな味がして、おもしろーい。 

でも、食べ足りなくて吉田製麺へ。ここのラーメン、好きです。

今日もいい気分で眠りにつきました。

8月13日。 またも王様な朝食後、市電に乗って豊橋市美術博物館へ。「終戦80年 軍都豊橋の面影展」を見に。まあこの企画展はあまりめぼしいものはなかったんだけど。

市電。隣の自動車の幅との比較に注目。これで家族単位ではなく不特定多数の人を運べるのだから、狭い日本の道路でも市街地輸送の効率を考えると、その効率性は見直すべきかもね?
愛知県人なら豊橋と言えば「ヤマサのちくわ」(小さいころよくテレビCMが)ここが本店っす。

常設展で「豊橋の歴史」みたいなのをやってて、ちょこちょこ面白そうなのが。

豊橋が軍の駐屯地に選ばれたのは、市の郊外に高師原という未開拓台地があり、そこが軍隊の演習場に適したからですけど、その高師原の名物がこの高師小僧。そういうものがあることは知ってたけど、見たのははじめて。

高師小僧(たかしこぞう)は、土の中で生成される管状や樹枝状の褐鉄鉱の固まり。団塊(ノジュールまたはコンクリーション)の一種[。
1895年(明治28年)小藤文次郎が愛知県高師村(当時、現・豊橋市)で採集した標本を「高師小僧」として論文(『地質学雑誌』)で報告、地方名が学術語になる形で、日本の鉱物学でその後次第に定着したと考えられている。
高師原のものが著名だが、産出地はほかにもある。なお、著名なものは天然記念物に指定され、文化財保護法に基づいて埋蔵状態で保護され採取が禁止されていることがあるので注意が必要。
比較的若い堆積物中において、地下水に含まれる鉄が、主に土中の植物の根や茎の周りに集積して形成される。  wiki

東観音寺産経曼荼羅

海の寺、東観音寺。

渥美半島の先端、伊良湖から船で伊勢に渡る道中を「伊勢街道」というらしいんだけど、その道中に建てられた東観音寺は、海で生活する人々の安全を祈る寺として栄えたんだって。

三河の沿岸部は、熊野から移住してきた人々が多くいたそうで、このお寺のあるあたりは半島の付け根の割に結構山々して地形的に熊野に似てる気がします。曼荼羅も多数の船が描かれていて、なんか熊野っぽいですねえ。 下は熊野大社の参詣曼荼羅なんですけど、似てますよねえ。まあ、「参詣曼荼羅の基本フォーマット」かもしれないけど。

参考:熊野那智産経曼荼羅  国学院大学図書館

郊外なんで今回はいけませんでしたが、 「隠れ熊野」を求めて、一度東観音寺を見に行きたいと思います。

この日は駅ナカで夕食のお弁当を買って、昼食を食べて帰りました。

おしまい。  近隣観光地については、姉妹編 豊橋散歩 記事を参考にしてください。

豊橋散歩

豊橋へ遊びに行ってきました。 

豊橋と言えば・・・No1の観光名所は葦毛湿原でしょう。  *個人の感想です。

まあ、こんな時期にきれいな花が咲いている・・・わけもありませんが、静かな湿原散策が楽しめてよかったです。  でもここを拠点に奥の低山へ山登りに行く人が多いらしく、駐車場は平日の朝9時なのにそれなりに混んでました。

この湿原は、愛知県と静岡の境に位置する弓張山脈からの湧水で維持されている湿原です。まあ現在では「保存会の人の手により保たれている(樹木伐採とか外来種除去とか)」というのが正確かもしれませんが。

下の駐車場(に隣接するため池)から撮影した弓張山脈。「愛知県側からみた弓張山脈」ですね。   

ちなみに静岡県側から見た弓張山脈はこんな感じ↓。 浜名湖中央に位置するガーデンパークの展望台から撮影した写真なので、かなり遠距離ですけど。

こうしてみると、弓張山脈というのは、地形的にかなり愛知県と静岡県を隔てているのが分かるなあ。

散策のあと、「ゆのゆ豊橋」という日帰り湯施設に立ち寄ってから豊橋駅に戻りました。この施設、名古屋鉄道の子会社が経営する「日帰り温泉施設第1号」なので、冷菜株主としては、施設の良し悪し、客の入り等点検しておかねばなりませぬ。(単純に株主優待使いたいだけ)  うむ、平日なのにかなり混んでて、よいですのお。 よく流行る入浴施設はどうしても不潔になりがちだけど、今のところここは清潔が保てて、大変良いです。 

豊橋駅に戻って、豊橋の街と言えば・・・路面電車。

運賃は乗車一回につき200円です。基本一路線(最後の一駅で「赤岩口」「運動公園前」の分岐します)。バスのような乗り心地。 専用の線路を走るから、渋滞しない分通勤時間帯ならバスよりいいかもしれません。

市役所駅で降ります。まずは豊橋ハリトリス正教会

ふーん、この建物がなに?と思われるかもしれませんが、実は国の重要文化財なのです。そんじょそこらのお城の天守閣より偉い(貴重)のだぞー。

「ハリトリス」というのはキリストのギリシャ語読み。正教会は中近東からギリシャ、東欧、ロシアに信者が広がっていますね。 キューポラの上のこの十字架が特徴かと。

「八端十字架」というそうです。僕は「ロシア十字」だと思ってましたが、これは俗称のようです

そこから吉田城へ。 豊橋は古くは吉田と呼ばれ、江戸時代ここを領した吉田藩七万石、実は三河国で最大の藩だったのです。2位が西尾藩六万石、3位が岡崎藩五万石。三河国は小さな譜代大名ばかりだったので、明治維新の際、討幕派につくか佐幕派につくか、みんな隣国の大藩・尾張藩の動向を注視する「金魚のフン」状態だったようです(笑)。まあ結果官軍に乗れて良かった。

城は、大河である豊川を後ろの守りとし、川沿いに本丸、それを囲み守るように二の丸以下を配する平城です。この防御形のお手本のような縄張りです。

復元図を見ると、城が川の曲がり部分に造られていることが分かります。下は本丸から豊川を撮影した写真です。よく分かりますね。

川が曲がる部分では川の深さはカーブの外側が深くなるので、防衛を重視する城としてのこの立地は理にかなってます。まあ水の浸食力も強いので、がっつり水害防御もしないといけません。それもあって、本丸北側(川に面した部分)はしっかりとした石垣が組まれています。他の部分はけっこう土塁で済ませてたようですが。

川側はかなりの高低差があります。平城と言いつつ、河岸段丘の高低差を利用しているようですね。 石垣が新しいのは、ここ水害でやられて何回か直しているのかも。

対して、鉄櫓直下の石垣は池田輝政城主時の城で一番古い石垣(野面積み)だそうです。つまり、ここまで水は来なかった・・・のかな? 

*追記 豊橋市美術博物館に資料がありました。安土桃山時代のものとしては、東海地方屈指の高石垣だそうです。また、豊川沿いの軟弱地盤に高石垣を築くため、石垣の下に石組み基礎や地盤改良工事がしてあることが発掘調査で判明したそうです。

お隣にある豊橋市役所の13階が無料の展望室になっており、城を一望できる・・・と思いつつ、樹木が繁茂して攻城計画立案の参考にはなりません。もちろん眺めはいいですから、ぜひどうぞ ですが。

と、三の丸の入り口にこげなものを見つけました。

城跡は十八連隊の駐屯地だったし、その後も練兵場として陸軍の施設でしたから、その時の歩哨塔だと思われます。

お宿は、豊橋駅前のアークリッシュ豊橋です。 お値打ちなちょっと良いホテル という感じかな。

「どの部屋に泊まっても眺めの良い(15階)ラウンジが使え、ラウンジではソフトドリンクと20時~23時はアルコールをご自由にどうぞ」というのが売り。 まあその分部屋は平凡ですが、素泊まり1万円くらい、在ホテル中はラウンジにいるんだ!という方ならたまには奮発しても! 街並みに興味がある方にはいいんじゃないでしょーか。

が、夕食兼飲みに外に出かけたのが運の尽き。 食事が美味しかったのでつい吞みすぎて、20時~23時のホテルラウンジアルコールタイムには参戦できませんでした。 ね、て、た。

 いや、行った店が悪かったのです。「酒と肴 すたんど割烹 ろじわら」 この店けしからぬ。ぜひまた行きたいです。美味かったし楽しかったよー。

朝、ホテルのラウンジから見つけた「emCAMPUS」と「水上ビル」にも行きました。

豊橋駅東口から駅前大通りを歩くこと約10分。右手に24階建ての白い高層ビルが見えてくる。駅前再開発によって誕生した「emCAMPUS(エムキャンパス)」だ。
2021年11月にオープンした「EAST」棟には、フードホールや市立図書館、行政機関、大学のサテライトオフィス、住居となるマンションを備え、豊橋市の新たなにぎわいの拠点として期待されている。
 そんな真新しい高層ビルと対峙するように立つ“水上ビル”をご存じだろうか。豊橋市民なら知らない人はいないというほど、まちにはなじみ深い建物だ。昔から商店街として機能し、市民に親しまれてきたこのビル。実はまれにみる特異な建造物なのである。

“水上ビル”とは愛称で、豊橋駅から近い順に「豊橋ビル」、「大豊ビル」、「大手ビル」と3つのビル群で形成された、長屋ビル群のことを指す。どこが特異なのかというと、このビル群が水路の上に建てられているという点だ。農業用水である牟呂(むろ)用水を暗渠(あんきょ)化し、その上に建設されたコンクリート造3~5階建ての「板状建築物群」が“水上ビル”だ。
暗渠とは、川や水路の流れを見えないように地下に埋める、または蓋をすることを指す。暗渠化された川や水路は、日本の都市ではそんなに珍しくはないが、その上にコンクリート造の建造物が約800mという長さにわたって連なっているというのはなかなか見られない光景だ。

水路の上に立つ商店街!? 豊橋市“水上ビル”の成り立ちと、にぎわい創出の仕掛けとは

「emCAMPUS」の方は主に綺麗で使いやすそうな図書館になってて、それはそれで素晴らしいのだけれど、都市計画や建築物として特筆すべきほどのことはありません。最近のこぎれいな再開発複合ビルの一例。

水上ビルの方は、水路の上に3階建ての建物を建ててしまう。しかもそれが800mも続く。高いところから見ると、一種の壁がずらーっと並んでて壮観です。 今は駅前の高層ビル化も進んでいるので、高さ的なインパクトはありませんけど、建設当時はすごかっただろうなと。

現地に行ってみました。

ちゃんと橋が架かってて、建物が水路の上にある ということが分かりますね。ちなみに水上ビルはアニメ「負けヒロインが多すぎる!」の聖地の一つだそうで、壁にヒロインたちの絵が描かれています。

僕も「負けヒロインが多すぎる!」は見たのですが、建物や場面がアニメに出てきたところを「聖地」として巡る楽しみは無いですねえ。てか、ヒロインたちの壁画像見ても、萌えねーよ・・・

これってある種のファンの人はうれしいでしょうけど、街の景観としてはどうなのよ って思います。何事も(オタク系趣味は特に)「秘すれば花」だと思うんですがね。

午後から雨の予報だったので、近くでラーメン食べて帰りました。「吉田製麺」しょうゆかけそば

安くはないけれど、丁寧に作られたうまいラーメンでした。 「それほど腹も減ってないから、ラーメン少な目だろうけど、まあいいか」と思って食べてたら、いい出汁の出たスープが大変おいしくて、残すのが惜しく「追いメシ」を追加で頼んじゃったくらい。ごちです。