日本海軍艦艇のカタパルト

空母とカタパルト(2)の続編です。ただし、今度は航空母艦ではない軍艦に載せられたカタパルトの話。

 第二次世界大戦中のカタパルト(飛行機の射出機)を調べていたら、どうもムズムズと「造りたく」なっちゃいまして・・・ 特徴のあるカタパルトを搭載した軍艦を何隻か、プラモデル(1/700WATER LINE シリーズ)で造りました。最近のプラモデルは、マニア向けにすごく考証が進んでいるので、カタパルトと飛行機の感じがよくわかる・・・。

まあ写真と一覧表を見ていただきましょう。

出典はwikipediaによる

航空母艦でない艦船にカタパルトを載せて飛行機を積む場合、普通は水上機を載せて偵察に使います。水上機ってのは、海面を利用して離発着できる飛行機のこと。普通の飛行機と比べると、フロート(浮き)が付いているので、その分速度が遅く、まあ戦闘機とかは厳しい。そういう汎用性を考えると普通の飛行機を載せたいんだけど、離陸はともかく、空母でない限り着艦する広い場所ないから、普通は載せないのです。

が、国力豊かなアメリカを仮想敵国とした貧乏日本の海軍は、量より質、奇想天外な作戦を重視し、 水上機で敵を攻撃できんか?とか、敵制空権で強行偵察できんか?とかいろいろな戦法を考えて少数多種生産を実行しちゃったのです。 だから、模型を組み立てる場合はオモシロイ。

解説が長くなりました。まず写真の一番奥が、軽巡洋艦「矢矧」です。カタパルトの形式は「呉式2号5型」、飛ばした飛行機は「零式水上偵察機」です。これは日本海軍のカタパルトと飛行機の組み合わせとして最もオーソドックスなもの(比較対象です)。まあ戦艦の場合、飛行機が「零式水上観測機」に変わることがあるけど。カタパルトの長さは19.4m。火薬式で4tまでの飛行機を加速することができます。

奥から二番目、戦艦「伊勢」です。ミッドウエー海戦で空母を4隻失った海軍は、この戦艦の後甲板を改造し、格納庫と作業甲板、カタパルトを2基設置した「航空戦艦」として使うことを計画しました。

カタパルトの形式は「一式2号11型」、飛行機は「艦上爆撃機 彗星」と「水上偵察機兼水上急降下爆撃機 瑞雲」です。艦上機というのは、航空母艦に離発着可能な飛行機のこと。ゼロ戦も正式には「零式艦上戦闘機」ですね。 「彗星」は伊勢の甲板にはもちろん着艦できないので、離陸したら陸上基地に着陸または航空母艦に着艦する予定だったそうです。「瑞雲」の方はフロートが付いているので、海上に着水しクレーンで引き上げることで回収可能。 この飛行機は、水上機としては高速の傑作機だったようです。

カタパルトの長さは25.5m。火薬式で5tまでの飛行機を100km/hまで加速することができたようです。

彗星と瑞雲の離陸訓練は行われたようですが、実戦では航空機を搭載した運用はありませんでした。格納庫に飛行機を積まず、倉庫代わりに南方から物資を運ぶ作戦に役立ちました(笑)。

手前から二番目、軽巡洋艦「大淀」です。もともと、潜水艦隊の指揮艦として計画され、潜水艦の頭脳(指揮)と目(偵察)の役割を果たすことが目的でした。敵制空権内で強行偵察を行うことが想定され、このために開発された「紫雲」という水上偵察機を6機載せるべく、長さ44mの特大のカタパルトと格納庫が搭載されました。

この特大カタパルト(二式1号10型)は、空気式で5tまでの飛行機を150km/hまで加速することができる高性能型。空気式なのは、多分火薬式だと瞬時の衝撃がひどく、伊勢級の100km/hまでの加速が人体の限界だったのでしょう。空気式は衝撃は火薬より弱いけど、加速のため44mを要すると。

水上艦艇は、圧縮空気の用途は他にないので、カタパルト専用に圧縮空気を用意する必要があり、装備の場所も必要になります。

一方、「紫雲」を造るメーカーに対しては軍から「強行偵察するから、敵戦闘機より速い水上機を造れ!」と無理を要求されました。強力なエンジン(その分重い)や様々な新機構を採用した意欲的な飛行機で、瑞雲よりも高速だけど、さすがに要求は満たせませんでした。それにね、そもそも計画された「潜水艦隊の指揮」っていう仕事がなかったんです。

なので大淀の高性能カタパルトと紫雲は実戦経験なく、じきにデフォルトの「呉式2号5型」カタパルトと「零式水上偵察機」の組み合わせに交換。船としては通信が強力だったこともあり、余った格納庫を「司令部」に改造、最後の連合艦隊司令部として短期間使われました。

でも、陸上にあったほうが通信には便利なんで(当たり前だ)、連合艦隊司令部が陸上(慶応大学日吉キャンパス)に移ってしまい、格納庫&司令部跡を倉庫代わりに、伊勢と同じく南方から物資を運ぶ作戦に従事。

一番手前の艦は、潜水艦「伊400」です。 「潜水艦に攻撃機を積んで、敵要地パナマ運河を隠密攻撃する」という計画のため造られた潜水艦です。

そのために「晴嵐」という特殊攻撃機も造られました。こちら水上機としてはかなり高速のうえ、追われたらフロートを投下してさらに増速 という手もあったようです。 この攻撃機を3機積んでいました。カタパルトは空気式「四式1号10型」25m。5tの航空機を加速可能だったようです。潜水艦は潜水のため艦内のタンクに海水を入れますが、再度浮上のためには圧縮空気でタンクの海水を排水する必要があるんですね。だから圧縮空気を使うカタパルトは理にかなっています。

戦局の悪化のため、パナマ運河作戦の前に、ウルシー泊地を攻撃に向かう途上で終戦。面白い戦略の潜水艦なのでアメリカ軍がしっかり調査したうえで、ソ連に情報が渡る前に処分されました。なのでやっぱり実践経験なし。

赤線は、カタパルトの長さを示す

うーん。すべての艦に言えることなんですが、特殊な飛行機とカタパルトを搭載し建造や改造を行った計画と、実際の運用が全く整合しない って残念すぎ。こんなことなら汎用の組み合わせで一隻でも多く造ったほうが資源や造船所の無駄遣いしないで済んだんじゃ・・・そりゃ結果論ですけど。

あと、諸元表をみて思ったこと。

各飛行機の諸元を見る限り、大淀のカタパルトは、もっと小さいサイズの火薬式であっても「紫雲」を飛ばせたと思います。 逆にこの高性能カタパルトを使って離陸するなら、「紫雲」はエンジンを小型に、翼面積も小さくできたと思います。すると機体重量が減らせ、空気抵抗が減るので、もっとスピードが出せる傑作水上偵察機になったと思うんだけど・・・。専用機として造った割に、カタパルトの性能と機体諸元がうまく組み合ってない感じです。

*日本海軍の太平洋戦争時の軍用機についてもまとめましたので、参考までにどうぞ

日本の軍用水上機(太平洋戦争時)

追記。伊勢級戦艦「日向」のYoutube画像を紹介していただきました。

Damaged & Sunk Japanese Navy Ships @ Kure, Japan (1946) WWII

映像は、伊勢級戦艦「日向」「伊勢」航空母艦「天城」戦艦「榛名」の戦後の着底映像かと思います。これらの大型艦は各種戦闘を生き残りましたが、終戦間際の日本には、もはや大型艦を動かす燃料はほとんど残っていませんでした。なけなしの燃料は戦艦大和の沖縄特攻作戦に使っちゃったので、残余の大型艦は燃料無し。「不動の浮砲台(特殊警備艦)」なのでアメリカ軍の空襲で被害を受け着底(浅い海なので、沈没はしません)。その状態で敗戦を迎えました。

ちなみに、これらの船が着底した場所は、日本海軍の正規士官を養成する海軍兵学校のあった江田島あたりです。歴戦の主力艦が燃料もなく鎮座し、空襲で破損し着底していくのを見守る兵学校生徒たち・・・かなりシュールな図式・・・

映像は、戦後アメリカ軍が調査のため撮影したものでしょう。すでにカラー映像。しかもすごく鮮明です。公文書館?とかで大切に保存されていたのかな。直ぐに捨てちゃう日本とは大違い。

空母とカタパルト(2)

空母とカタパルト」の続編です。さらに マニアックな話なので、興味のある方だけご覧ください。趣味に走ってすいません。

歴史上、航空母艦(空母)を何隻か集めて集中運用すると、敵の基地だって攻撃できる大戦力になる と言うことを証明したのは日本海軍でした。(真珠湾攻撃)

ただし、その日本の空母には、最後までカタパルト設備がありませんでした。一方で、アメリカ海軍は開戦時にはすでに装備済み。(1937年ヨークタウン)

航空母艦にカタパルトを設置することのメリットは、前回の記事に書いた通りです。そして日本海軍もカタパルトは持っていたのです。

戦艦と規模の大きな巡洋艦には、偵察および弾着観測用の水上機と、それを打ち出すカタパルトが設置されていたからです。こんなヤツ↓。

重巡利根に搭載された水上機とカタパルト

アメリカと日本が戦争する場合、国力が違いすぎるので日本海軍は軍艦の「量より質」を重視しました。カタパルトがあれば空母の質が上がることは自明なんですが、なぜ装備しなかったのか?

飛行甲板前部に空母用カタパルトの設置のための溝をつくる工事も佐世保海軍工廠で行われ、1941年9月末に極秘裏にカタパルトを搭載して射出実験が長崎沖で実施されたが、実用には困難と判断されたため、即刻カタパルトを撤去した。当時の証言によれば、射出そのものには成功したが、パイロットの命がないような射出であり、また航空機を射出状態にするには時間と手間がかかりすぎるとのことであった。結局未搭載のまま開戦を迎え、カタパルト完成の機会はなかった。結果的に、日本海軍は終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかった。

wiki 加賀(空母)

少し調べてたですよ。その結論としては「日本海軍は、空母に搭載できるような実用的なカタパルトを開発できなかった」ってことではなかったかと。残念ですが。

まず、先ほど触れた日本の戦艦や巡洋艦に装備されたカタパルトは、少数の例外を除き推進力を「火薬」とするものでした。

空母で運用する飛行機の翼の下には、外部燃料タンク(増槽)や爆弾、魚雷が装着されています。その直下で「火薬式」カタパルトを作動させたら・・・爆発事故が恐ろしくて無理っす。水上機の場合は翼の下にあるのは海面に着水するときのフロート(浮き)だけですから、まあ大丈夫だったのでしょう。

追記。ただし、「彗星」艦上爆撃機を火薬式カタパルトで射出するという計画を持った「航空戦艦・伊勢級」も存在しました。「彗星」は爆弾を胴体内部の爆弾倉に格納していましたから(日本製艦上爆撃機として初装備)、「火薬式」カタパルトの射出も危険性が少ないとして計画されたのでしょう。どの程度の実験かは分かりませんが、一応射出は成功しているそうです。航空戦艦の運用実績は皆無でしたけど、マニアとしてはイロイロ妄想が膨らみます。

第六三四海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。航空戦艦を母艦として運用する変則的水上機・艦上機部隊として整備されたが、母艦と連携する機会がないまま、小規模の水上機基地航空隊として終戦まで運用された。
 割り当てられたのは水上偵察機瑞雲と艦上爆撃機彗星で、着水能力がない彗星は、基地または空母に着陸・着艦する片道運用を想定していた。 6月23日カタパルト射出実験開始。全機成功。

wiki「第六三四海軍航空隊」

それから火薬式の場合、爆発を利用してカタパルトを動かすんで、飛行機の重量が増加し離陸速度が速くなるにつれ(=カタパルトの出力を上げる必要がある)火薬の爆発規模が大きくなり、加速(G)に耐えられずパイロットが失神するリスクが増加するみたいです。水上機は割と軽量で離陸速度が低かったので、火薬式でなんとかなったようですけど。

まてまて、日本海軍には「潜水艦から水上機を発射させる」という素晴らしい技術があってだな。この発射はさすがに火薬は使えんから空気式(圧縮空気)カタパルトだそうな。中でも潜水空母(伊400型)は、「晴嵐」という水上機だけど800kg爆弾を積んだ攻撃機を発艦できたそうな。これはかなりの重量機だったはず。だからこの空気式カタパルトを空母に載せたらいいんじゃね?

追記。水上艦艇のカタパルトについては、別ページを建てたので、よろしければ参考まで、こちらもご覧ください。

うん。これは可能性はあったと思います。ただし、このカタパルトは最初の飛行機を飛ばして、次の飛行機を飛ばすのに準備時間として4分間が必要だったそうです(1944年)。うーん時間かかりすぎ。 

※潜水空母は計画上、晴嵐を3機積んでパナマ運河を攻撃する予定でした。が、この攻撃には潜水艦がアメリカ大陸近くで飛行機を3機飛ばすのに15分程度水上に浮上してなきゃいかんわけです。潜水艦は、海中に潜ってこそ真価を発揮できるわけで、水上ではレーダーを活用してたアメリカ軍に対して無力でしょう。これって有効な作戦だったのかなあ?

・・・なんてことは当時の海軍および技術陣も分かってたことでしょう。でもこれ以上次発時間を縮められなかった。これが日本の技術の限界だったってことですよね。※

閑話休題。対してアメリカ軍のカタパルトは「油圧」で動いたそうです。現実的な選択ですね。現在工事現場で見るバックホーは油圧でバケットを動かしていますから。油圧を使う特徴として

  • 比較的小型の油圧ポンプで、大きな力を出すことができる。(空気圧機器よりも高圧で使える)
  • 出力や速度の調整が容易であるため、繊細な操作が要求される航空機の舵面操作にも対応できる。

つまり、火薬式より安全で、空気式より強い力を出すことができ、飛行機を離陸させるに十分かつパイロットが失神しない、微妙な速度でカタパルトを運用することが比較的容易だった ってことです。 

ちなみに、油圧カタパルトの場合「エセックス(1942」は二基のカタパルトを持ち、二機をたがいちがいに30秒毎に発艦させることができたようです。一基のカタパルトが最初の飛行機を飛ばして、次の飛行機を飛ばすのに準備時間として必要なのは1分間ってことですね。実用にはこれくらいの速度が必要だったってことでしょう。

この日米差は、カップラーメンができるぐらいでかい(技術力の差があった)ってことです。もっとも、アメリカは油圧式カタパルトの技術を、イギリスから導入したんですけど。 イギリスすげー。

 ※大淀という巡洋艦に、 空気式 全長44m のバケモノカタパルトが搭載されていました。(伊400型のカタパルトは全長26m)。こいつが飛ばせる荷重は伊400と同じ。紫雲という高速水上機を発射させるためのものだったのですが(搭載6機)、どのくらいの間隔で次の飛行機を発射できたのかは不明です。まあ、潜水艦の方が条件がシビアなんで、水上艦搭載のものが、潜水艦搭載の4分を切ることはないと思うけれど。

「葛城(1944)」もちろんカタパルト非搭載。
完成時には航空機も搭乗員も足りず、戦闘どころか外洋にもほとんど出られませんでした。「助けてよ、ミサトさーん!」(苗字の由来)

当時、カタパルトなしでどうやって空母から飛行機を発艦させたかと言うと・・・最大戦速で風上に突っ走り、向かい風をつくり飛行甲板で飛行機を滑走させ、合成速力が離陸速度に達したら発艦可能。繰り返しますが「敵艦に向かい」ではなく「風上に向かう」のです。

アメリカの場合、 カタパルト設備に頼ることもできたので、速力が遅い「護衛空母」という小さな空母を造ることができました。速度が遅くても良ければ、増産は各段に容易になったでしょう。

「カサブランカ級」全長156m 全幅33m 排水量7800トン 速力20ノット(9000馬力) 搭載機34機?

日本の最小空母 (実用)

「千歳型」全長186m 全幅21m 排水量11200トン 速力29ノット (56000馬力)  搭載機30機?  

エンジン出力(馬力)が全然違います。さらに日本の空母の場合、 速力をあげるため、 エンジン出力を何倍にも上げるだけでなく、抵抗を減らすため全幅が非常に細いことにも注意。(空母だけでなく、一般的に日本海軍の艦艇は速力を重視したので、プラモデルとしてはほっそりして優美。飾るにはおススメです(笑)。実用上は、戦闘で横転する艦が多かったように思うのでどうかと思うけど)

 しかし実用上は・・・排水量の割に飛行甲板(特に幅)が狭くなります。多分千歳級よりカサブランカ級の方が広いんじゃないかと。だから船は思いっきり小さく軽装備(エンジン)なのに、カサブランカ級のほうが搭載機は多いのかな。搭載方法の違いもあるでしょうけど。

それに護衛空母って基本的に対潜哨戒とか船団護衛に使われる空母です。質重視の日本海軍には護衛空母なんてありません。千歳は対艦対空母のガチ戦闘空母なので、本当はこの2隻を比較したらいかんのです。でも、護衛空母と搭載機似たり寄ったりの戦闘空母なんていや~。

最盛期にはこの護衛空母が1週間に1隻完成したので、「週刊空母」と呼ばれたとかなんだとか。第二次世界大戦で登場した空母の数、日本二十五隻。アメリカ百二十隻。 げにアメリカの国力恐るべし。

参考資料