主食である米について、僕らはもっと知るべきなのかも。残念ですが、自衛のために

朝のNHKニュースを聞いていてびっくりしました。 愛知県産の米って、1等米が20.7%しかないのか!って。  

ことしの新米の9月末時点の等級検査の結果は、最も評価が高い「1等米」の割合が岐阜で36.9%と去年の同じ時期を上回った一方、三重と愛知では去年を下回り、夏場の高温によって一部のコメに影響が出ているとみられます。

▽愛知県も20.7%で去年を1ポイント下回り、夏場の高温によって一部のコメに影響が出ているとみられます。

ことしの新米「1等米」の割合 愛知・三重は去年を下回る NHK

てか、1等米とか2等米って良く聞くけど、何が違うか説明できます?(僕はできなかった) そりゃ、1等米の方が高級(高価)だろうって?まあそうなんですけど、

お米の品質は『等級』で評価され、評価が高い順から1等米・2等米・3等米・規格外に分類されます。『等級』は、きれいな粒の割合や、虫に吸われて色がついたお米や異物の混入割合などによって格付けされますが、猛暑によって白い粒が多く発生した場合、平年よりもきれいな粒の割合が減少して、2等米以下の割合が高くなってしまいます。

高温に対応したおいしいお米の炊き方について  茨城県

じゃあ、1等米と2等米ってどっちが美味しいお米だと思います? そりゃ・・・

 答え、味の差はありません。 えっ?   もう少し読んでな。

もちろん、虫に食われてたり、異物混入があったら違うかもしれません。が、その辺りは現在の農業技術を使えば防ぐことが可能ですから、この点はあまり気にしなくていいでしょう。気になるのはこの文言です。

「猛暑によって白い粒が多く発生した場合、平年よりもきれいな粒の割合が減少して、2等米以下の割合が高くなってしまいます。」

あー、これ米つくってるとよくわかります。でも猛暑が常態化してる中、米粒が白濁化するのははっきり言って自然現象です。自然現象を理由に等級が決まったり、なにより見た目だけで等級が下がる(当然価格も下がる)ってのはちょっと納得がいかないなあ。

白濁化の理由は、お米の中には栄養分であるデンプンが詰まっていますが、このデンプンが貯まってくる時期に気温が高すぎると、詰まりが悪くなってしまい、それによってお米の中で光が乱反射することで白く濁って見えるのです。
・・・お米の品質は、等級によって分類されることはお伝えしましたが、これは見た目の評価であり、味の評価ではありません。等級が低くても味は変わりませんが、今年のように白い粒が多い場合は、通常の水分量で炊飯すると、割れた粒が多くなり、水を吸いすぎて柔らかくなりすぎることで、見た目や食感を損なう恐れがあります。
 県では、実際に1等米・2等米・3等米・規格外で等級別に食味試験を行いました(炊飯時の加水量は同じ)。
その結果、1等米と2等米の間に食味の差はありませんでした。一方で、3等米や規格外では、水分のベチャつきが感じられ、食味は1等米に比べて劣る結果となりました。

 同上

「記録的な猛暑は、収量そのものを激減させるだけでなく、米の品質を根底から破壊しました。高温障害による『白未熟粒(お米が白く濁ってしまう現象)』が多発し、米の等級を決定する『一等米比率』は著しく低下しました。現場では、これまで1反あたり11〜12俵(約660〜720kg)獲れていた田んぼが、7〜8俵(約420〜480kg)しか獲れない、という声が私の周りでも数多く上がっていました」
農家ができる対策は「田んぼの水を絶やさず、常に新しい冷たい水を流し続ける」といった対症療法。自然の猛威の前では、個々の努力は限界に達していたのだ。

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等級試験関連のニュースで、コメ袋に刃物を突き刺して米粒を抜きだす、下の写真はよく見ますけど、実質この視認だけで等級が決まるってことですな。僕の記憶だと、このあとエライサンが試食する画像が付随することが多い気がしますけど、味は関係ないということは、あれって試験と関係ない、ただのパフォーマンスだったんだな。

NHK記事から引用

見た目はともかく1等米と2等米で食味は変わらないなら、そんな区分は無くせばいいと思いません?米の状態で水の量変えて炊飯するのは、まあ消費者の好みでやればいいがな。  

特に今年はコメ不足(流通遅れ?)だったんだから、見た目だけの等級をつけるためだけの手仕事、なんていう前時代的なステップはやめたらいいのに。どうしてもやるなら、食味計で旨さ等級をつけるなら、まだしも、見た目、ねえ。

まあそれを含め、僕らは主食として日常的にコメを食べているのに、そしてその価格が上がると大騒ぎするのに、実は米(と流通)についてあまりにも知らなさすぎだと感じました。

1等米等の区分があることまでは知っていても、その違いは「見た目の差のみ」なんてことまでは知らなかったし・・・ひょっとして常識なのかな?

でもまあ、政府に経済安全保障大臣とかがいる時代です。経済はともかく食料安全保障ー具体的には自分の主食である米ーについては、個人レベルでも知っておいたほうがいいな~と反省した次第。

というのはですね、食料安全保障の司令塔たる某役所がまともに機能していないからです。だから国民それぞれが勉強して自衛しないと危ないと思うんですよ。奴らが正しいことを言ってるか信じられないので。

コメ政策は、またしても百八十度転換だ。鈴木憲和農相は24日、自民党の部会で2026年産の主食用米の生産目安について前年比2%減の711万トンにするとし、減産の方針を示した。・・・政権が代わったことで、コメ政策は再び大転換である。石破前首相はコメ不足が米価高騰の要因とし、生産量を抑えて米価を維持する「減反政策」の見直しを掲げ、今年8月には増産への方針転換を打ち出していた。
しかし、新たに農相に就いた鈴木は22日の会見で「需要に応じた生産が何よりも原則であり、基本である」とし、増産方針の転換をにおわせたばかり。

コメ増産から2カ月で一転、高市内閣の新農相が減産へ180度方針転換…生産者は大混乱  日刊ゲンダイ

政権や大臣が変わったからと言って、増産するか、減産するか 180度方向転換する時点で官僚機構として異常でしょう(基本日本の省庁というのは、名前を見ればわかるように供給側しか見てないから、新政権の方向が省庁としては正しい。でも安全保障って究極的には需要側の視点じゃない?)。

でもねえ、問題はそれ以前に・・・君たち政策の基本となる「正確な需要予測」は持ってんだよね? 以前は、それが間違ってました、さらに嘘もついてました。すいません という話だったけど。 前大臣が言及したけど、そろそろ政策の失敗について、誰に責任があるか明確に申し上げてくださいな。

テレ朝ニュース

それはともかく、両記事の結論を繋げると「実態に即した幅のある需要見通し」をもとに「需要に応じた生産を行う」ことになりますな。ま、これで物事がまともに動くなんて、僕には思えないけれど。

と、追加した記事には、こんなショッキングな言葉も。 でも、根本的には、この認識が正しそうな気がするなあ。 これは良記事なので、ぜひ原本を読んでほしいな。

もはや日本の気候はコメづくりに適していない
それは、日本の気候そのものが米作りに適さなくなりつつあるという、より大きく、深刻な現実だ。この状況を打破する方法として、生産現場からは高温に強い品種の開発が強く求められている。竹ヶ原さんは次のように指摘する。
「現在、全国で多く作付けされている『コシヒカリ』などの主要な品種は、何十年も前の猛暑が起こる前の環境を前提に開発されたものです。気候がこれだけ変わってしまったので、米の品種もアップデートされなければ対応できないのは当然のことです。国や研究機関が高温に強い品種開発を早急に進めることが必要でしょう」


「令和のコメ騒動」の教訓を活かし、生産現場の声に耳を傾け、データに基づいた的確な政策を打つ。そして、信頼できる羅針盤(統計)を手に、気候変動という荒波に立ち向かうための新たな船(高温耐性品種の開発・技術革新)を官民一体で開発していくこと。それこそが、日本の主食であるコメを未来へつなぐ、真の展望と言えるだろう。

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生産現場が直面する「気候変動」と「農業統計」二つの大問題

大須 15分散歩  (信長関連の寺たち) 

名古屋は栄で、友達と呑む機会がありました。

でもまあ、名古屋で夜吞んでしまうと、西尾駅まで電車で帰ってきても、そこから自宅までの足がない・・・夜中に家族に迎えに来てもらうのもね・・・。

こういうときは名古屋駅前のカプセルホテルに泊まるのが定番。チェックインは夜遅くだし、翌朝も早めにチェックアウトするから(午前中に西尾で用事がありすぐ帰る)、普通のホテルだともったいですから。

が、平日のビジネス需要+予約が直前 のため空いてませんでした。

それで泊まったのが、大須のドミトリーです。「トリップ&スリープホステル」さん

大須は、栄からも徒歩15分程度なので、酔えば徒歩圏内です。

そんなことより、50歳目前のオッサンが、ドミトリーに泊まるんかい・・・と思ったアナタ。いや僕もそう思ったんだけどね、観光地である大須商店街近くで、一泊2,970円(booking.com価格)。評価の口コミもいいとなれば、ちょっと興味わきません?

実際、なかなか良い宿でしたよ。

こんな感じのベットが貰えます。 寝台特急の個室だと思えば、おっさんでも十分ありだと思いませんか?

トイレは清潔でウオッシュレット付き。 シャワーは浴びてないけど、たぶんトイレから推測するに綺麗でしょう。    チェックインは22時までと健全な宿だし(24時までチェックイン可能だけど、追加料金がかかります。23時まで+500円。24時まで+1000円)、各部屋にも電子ロックがかかる等セキュリティもしっかりしてます。

少し難があるとすれば ①シャワー浴びた後、室内履き兼用のサンダルで移動するんだけど、濡れて不快かも ②各部屋電子ロックかかるので安心だけど解除面倒。夜中に火事とかあったら逃げるの難儀そう(部屋はベットが容積を占め、バックパッカーの荷物も置いてあるから通路は狭い)

まあドミトリーならどこでも状況は一緒なので、利用するかどうかは各人の考え方次第ですね。コスパと立地は素晴らしいので、僕的には「アリ」だと思います。また利用するかも。

チェックインのあと、深夜ラーメンを食べに外出。 この辺りは何件かガチ中華の店があります。 そのうちの一軒、「牛百味」さんへ。

蘭州ラーメンでございます。パクチーいっぱいで実にうまし。これで780円なら言うことないす。

ーーーようやくタイトルの回収に入ります。^^^

翌朝8時、チェックアウトしてモーニングを食べに行きます。名古屋ですから。 歩いて数分のところに、「コンパル大須本店」があります。たしか「えびふりゃーサンド」が有名な店。 いや、いくら有名でもサンドイッチに1200円は俺には出せねーけど。

ってことで、カフェオーレ(500円)+200円のモーニングセットを注文。ハムエッグトーストが来た。

いや、このホットサンドでも十分旨いぞ。その割に平日の8時過ぎだからか、空いてました。あ、僕の後に入ってきた中年の観光客(たぶん)夫婦連れがエビフライサンド頼んだよ・・・味はどうなのかなあ・・・。

このお店の目の前に、「万松寺」があります。そもそもこの通りの名前が「万松寺通り」なんだけどね。

いきなりですが歴史の話。織田信長が「父の葬儀で位牌に抹香を投げつけた」というのは、若いころはうつけと呼ばれた彼の有名な逸話ですよね。

んで、その投げつけ現場が「万松寺」なのです。つまり、ここが織田信秀の廟所なわけ。

なんか、だいぶ雰囲気違う気もするけれど。

お賽銭だってpaypay対応。「支払い条件あり」だって(笑)。

まあ織田信秀という人は、大交易拠点である津島湊と熱田湊を押さえてのし上がった、当時としてはめっちゃ商業意識の高い戦国大名であったから(信長の経済感覚は父親譲り)、それにふさわしいお寺かもしれないな。

地下鉄・上前津駅に向かう途中で、もう一軒いわくありげなお寺を発見。

総見寺 とな。(寺自体は非公開)

ちなみに織田信長の戒名は「総見院殿」(正確には「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」だそうな)と言いまして、菩提寺は大徳寺の総見院。順序が逆になりますが、生前自らの居城である安土城のある安土山に「総見寺」を建てており、この名称は信長に関連ある寺名です。

じゃあ、大須の総見寺はどんな経緯があるのでしょう。門前の看板によると・・・

はじめは伊勢国大島村にあって西明寺といったが、天正年中、織田信雄が父信長の供養のため清州に移し、僧忠嶽を開山として今の寺号に改めた。慶長十六年清州からこの地へ移建した。・・・
 なお、明治四年、ここでわが国初の博覧小会が開かれた。 

名古屋市教育委員会

ということだそうです。ちなみに気になる「博覧小会」については、日本電気協会中部支部の発行紙?に記載がありました。

日本最初の博覧会は、明治4年(1871)、京都で開かれた「京都博覧会」だとされています。10月10日から11月11日まで、西本願寺
大書院で行われました。・・・ 国内最初の京都博の行われた明治4年の秋、実は、名古屋でも博覧会が開かれていました。
 京都博の終了日の11月11日から5日間、大須の総見寺で「名古屋博覧会」が開かれたのです。名古屋は、全国でもトップを追って博覧会都市になりました。
 もちろん当時は今日のような博覧会ではなく、見世物を少し発展させた程度の催しでした。が、ヨーロッパの博覧会も、スタートは
そんなものだったようです。

・・・4年の名古屋博の詳しいことは分かりませんが、主催者は文明社(後に「名古屋新聞」を発刊)で出品録が残っており、出品数は400程、まだ古美術品が多かったようです。

 プロジェクト紀行 名古屋の街と展覧会 池田誠一

記事によれば、当時の総見寺はもっと寺域が広く、その広い空間で博覧会が開かれ、明治11年には博物館が建設されたそうです。またその門前町は明治時代の名古屋では最も繁華な場所だったそう。 へえ~。

補足 ややこしいけど、清須市にも総見院という寺があるそうな。んで、「清州の興聖山總見院」、「安土の遠景山摠見寺」、そして「大須の景陽山總見寺」の関係が分かる(マニア向けの)よい記事があったので、抜粋引用しておくっす。

滋賀県にある遠景山摠見寺は・・・1576年(天正4年)の安土城築城とともに建立されました。・・・その摠見寺において織田信長は盆山(ぼんさん:砂礫や石を積んだ小さい山)を造って自身の分身として祀り、権威化を強めました。
 1582年(天正10年)の「本能寺の変」で織田信長が没したのちも、摠見寺は「豊臣秀吉」や「徳川家康」により寺領を安堵(あんど:承認、保証すること)。また一度焼失した本堂ですが、1932年(昭和7年)に「伝徳川家康邸跡」へ仮本堂が建造され、現在に至っています。
 一方、愛知県にある興聖山總見院は、織田信長が没した翌年の1583年(天正11年)に、菩提寺として清州市に建立したのがはじまりです。織田信雄が伊勢国(現在の三重県北中部)にあった「安国寺」(あんこくじ)を移築し、父・織田信長が建立した遠景山摠見寺にならって「景陽山總見寺」と名付けました。
 その後、1610年(慶長15年)の清州越し(きよすごし:徳川家康によって名古屋城築城に際して行われた、町全体の引越し)により、名古屋市大須へ移転。さらに1644年(正保元年)には、尾張初代藩主の「徳川義直」(とくがわよしなお)と「亀姫」(かめひめ:徳川家康の長女、加納御前とも呼ばれる)の帰依をうけて清州市大嶋へ再移転し、興聖山總見院と名前を改め、現在の地におさまっています。

刀剣ワールド 總見寺と織田信長 東建コーポレーション株式会社

刀剣と東建に引っ掛けたのか~、でもいい仕事してます~。

*先の記事にあった伊勢国大島村の「西明寺」は、途中で「安国寺」と名前が変わっていますので、同一の寺です。ちなみに 「安国寺」ってのは一種の制度みたいなもので、ある時期に有力な寺院だったことの証でもあります。

安国寺(あんこくじ)と利生塔(りしょうとう)は、南北朝時代に足利尊氏、直義兄弟が、北海道、沖縄を除く日本各地に設けた寺院と仏塔。寺号と塔名は光厳上皇の院宣による。
 臨済宗の夢窓疎石の勧めにより、後醍醐天皇以下の戦没者の菩提を弔うため、聖武天皇が国ごとに国分寺を建立したことに倣い、国ごとに1寺1塔を建てる計画を立てた。45年(貞和元年)に、北朝光厳院の院旨を得て、寺号を安国、塔の名を利生とした。1338年(暦応元年)に、和泉・久米田寺を始めとし、以後、南北朝時代中期にはほとんど完成した。
安国寺と利生塔は新しく造営されたものもあるが、既存の寺院を修理してこれにあてた国もある。安国寺による禅宗(特に臨済宗)の地方への波及、また、利生塔による禅宗以外の宗派の統制など、文化的、政治的意義も大きかった。しかし、室町幕府の没落と共に、安国寺と利生塔も衰退した。

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