明治用水頭首工の漏水

矢作川から農業用水・工業用水を取水している、明治用水の頭首工で大規模な漏水が発生し、取水ができなくなる事態が発生しています。 明治用水の受益地は、西三河南部(安城市、豊田市、岡崎市、西尾市、碧南市、高浜市、刈谷市、知立市)で、流路400km長、灌漑面積約7000ヘクタールと広大です。

よりによって、今は田植え時期で、水田は一番水が必要な時期なのです。まあ、「事故は最悪のタイミングで起こる」という感じの、マーフィの法則通りか・・・

にしても、地元にずっと住んでいて、明治用水は「農業用水だけ」 と勝手に信じ込んでいたので、トヨタ系の工場であれほど使われていたとは、報道されて初めて知りました。まあ、時代の流れを考えると、当たり前の事象ではあったのですが。

☆今の施設は、1958年に完成し、1975年から工業用水としても使われていたようです。

何が原因で漏水が起こったのか、どう対応するのか 今朝の地元紙(中日新聞)をもとに少し考えてみたいと思います。

①「頭首工」って何よ? ダムとは違うの?

答え。同じです。 同じ口径の機銃を、陸軍が「機関砲」、海軍が「機関銃」と読んでたくらいの違い。専門家的には使い分けるのだろうけど、一般にはどっちでもいいレベル。

頭首工とは、河川から農業用水を取水する目的で設置する施設の総称

農業水利施設の機能保全の手引 頭首工 農林水産省

ダムとは、 河川の流水を貯留又は取水するため設置された高さ十五メートル以上の構造物

河川法 国土交通省

②なんで漏水したの?

今朝(5月19日付中日新聞1面の解説によれば、明治用水頭首工は、フローティングタイプの取水施設だそうです。

取水堰の形式には岩盤の上に直接築造するフィックスドタイプと浸透性地盤の上に築造するフローティングタイプがある。

農業水利施設の機能保全の手引 頭首工

透水性地盤・・・ぶっちゃけ土砂の上に建造されているので、今回みたいな漏水が起きやすいことは当然想定されています。そこで、漏水が起きないよう、川の底面と側面を、コンクリートでガチガチに固め、水が浸透(漏水)。しないようにします。

なのに漏水?

もうちょっと考えてみましょう。まず、取水堰の一般的な配置は、下の図のような形状になります。

農業水利施設の機能保全の手引 頭首工

これは、頭首工付近を真上から描いた図になります。川の流れは、図の上から下へ。 中央に「固定堰」とあるのが、頭首工の本体です。 その上下流の川底には、「エプロン」と呼ばれるコンクリート製の覆いが設置され、川の側面にはやはり「護岸」と呼ばれるコンクリート製の覆いが設置されます。

一般的に言って、この護岸(側面)とエプロン(底面)の接合部は、漏水の危険箇所になりやすい場所です。隅っこだから正直施工もしにくいです。弱点であることはわかっているから、止水効果を高めるため、護岸の基礎は深めに入っていたり、さらに止水矢板を挿入しているとは思いますけど。

そのうえで、明治用水頭首工について、新聞に掲載された漏水箇所の写真を見てみると・・・

中日新聞

漏水の穴は、随分岸に近い場所です。穴はエプロンと河床の境目もしくは先に述べた護岸とエプロンの境目にできたと考えるのが妥当ではないかと思います。

後者の場合、正確には左岸側には魚道が設置されているようなので、このコンクリート魚道の壁(の基礎)とエプロンの接合部あたりの施工が甘く、穴ができてしまったのかも。魚道(河川環境に配慮した施設)は、1956年当時に設置しておらず、後付かもしれませんね。その場合、特に弱部になりやすいでしょう。

このあたりが、一番有り得そうな可能性だと思います。

③原因究明と復旧の見通しは

新聞記事によれば、 「今回穴が空いたと見られる場所の近くでは、昨年12月にも小規模な漏水が発生。砕石を投入するなどして漏水は一割ほどに減ったが、完全には防ぎ切れなかったという。漏水のメカニズムなど詳しい原因はわからないままだった」そうです。

そして、今回の事象は5月15日に漏水を確認、16日には砕石を投入し穴を塞ごうとしたが漏水は続き、17日に規模が大きくなり・・・ ということだったそう。

記事は、「対応が甘さが問われそう」と書かれており、それはそのとおりなんだけど、もし自分が当事者だったとして、そのタイミングで何ができたか と考え込まずにはいられませんでした。たぶん、僕もそれ以上の対応はできなかったのではないかと。

応急処置として砕石を投入し(根本的な処置ではないけれど)、漏水の九割は止められたのであれば、まあ上出来。あとは経過観察しかないかなあと思ってしまいました。

根本的な対策としては、水を反対側に回し(仕切りの仮設締切構築が必要だろうね)、穴周辺の水を切り、現地を直に見ないと、原因究明も本格的な対策工事もできないでしょう。

でも、工業用水として常時使われている状況では、事前にその対応が取れたかどうか。非常に厳しい判断になります。

工業用水に常時使われており、完全に水を止めて確認したり工事をしたりすることができない状態だった」

中日新聞 頭首工を管理する東海農政局の局長 談

これからの対応は、これをやるしかないでしょうね。 ポンプを多数設置して、ある程度の量の水供給を続ける一方、現場の穴付近は水を抜いてドライな状況にする。そのうえで原因究明と穴を塞ぐ工法の立案と実施、再度水をためてみて、結果良好なら本格的水供給の復旧 という流れでしょう。 かなり時間がかかるでしょう。 何台ポンプを設置したとしても、頭首工の取水能力までは、なかなか追いつかないでしょうし。

④他事例への波及

先の機能保全の手引によれば、エプロンや護岸をどう監視・維持管理していくか の記載も書かれており、言われていることはそのとおりなのですが・・・

エプロン
性能低下はコンクリートのひび割れや摩耗などコンリート自体の劣化と、洗掘やパイピングによる不同沈下など構造物の外形的な状態に着目する。・・・。空洞化が進行した場合、大規模な対策工事が必要となるので、できるだけ早期に空洞化の発生を把握する必要がある。
護岸・取付擁壁
取付部の護岸や高水敷保護工は背面土砂や基礎土砂の吸出しによる変形やひび割れ変状が生じやすい。水中部の洗掘が著しい場合は、土砂の吸出しの危険性が高いため、水中部の洗掘状況を把握しておくことが望ましい。

農業水利施設の機能保全の手引 頭首工

純粋な農業用水取水施設なら、農閑期に水を抜いて、これらの点検を行うことは可能でしょう。

しかし、常時水を使う工業用水を併用する施設では、おいそれと水を抜くことができませんから、「早期に空洞化の発生を把握」とか「水中部の洗掘状況を把握」ってどうやるんだよ? って現場の声が聞こえてきそうです。

今回の漏水事象の原因が、施設の老朽化が一因か まではわかっていませんけど、その可能性は否定はできません。その場合、高度成長期に整備されたその他多くの類似施設においても、同様の事象が発生することは避けられないわけです。 現実問題としてどうやって施設の状態を把握していくか・・・マニュアルで対応できない場合も多々あるはず・・・広範囲に影響のある問題だと思います。

追記

2022年5月19日 12時07分

大規模な漏水で水をくみ上げることができなくなっている愛知県豊田市にある取水施設ではポンプの設置が進められ、愛知県などによりますと、工業用水は19日午前10時から取水が可能になった一方で、農業用水の確保は19日中は難しいということです。

愛知 大規模漏水の取水施設 ポンプ設置で工業用水は取水可能に

先程入ってきたニュースだけど、この対応は「非常にまずい」気がします。トヨタなど、大企業への水供給は経済にとって非常に大事なことだけど、 あくまで農業用水施設で、そこに後のりで工業用水事業がのっているわけです。 それを「工業用水は先に復旧、農業用水はまだ無理」っていう優先度では、農家側の反発は避けられません。

水の恨みは恐ろしい・・・というか、水利権の分配は多分に「経済合理性」だけで測ると取り返しのつかない自体になりかねません。東海農政局はもちろん、そのあたりは十分理解しているでしょうから、どこかから天の声が降ってきたのか・・・苦渋の決断だっとは思うのですが。

名古屋下町散歩(柳橋中央市場〜四間道〜円頓寺商店街界隈)

名古屋駅から徒歩圏内に、市場があるのを知っていますか? それが「柳橋中央市場」って言うんですけど、そこから堀川にと平行に、円頓寺商店街まで朝の散歩を楽しみました。 四間道のあたりは古い町並みが残っていて、なかなか風情もありますよ。

駅前の大通りを南下し、スパイラルタワー(専門学校が集結した高層ビル)を左折し東に向かいます。柳橋という交差点で左折し北上すると、市場に出ます。

ここには、朝から営業しているラーメン屋「大河」があります。ラーメン700円。もやしがたっぷり、チャーシューが3枚載っててお得。特にもやしは丁寧に下ごしらえしてあるのか絶品ですね。ラーメンと麺は丁寧につくった「中華そば」。美味しいです。市場の中に机並べて、席は8席くらい。時間帯を選ばないと並ぶことに・・・ まだ食べたことないんだけど、きしめん屋も気になりますが・・・

と、腹ごしらえできたら、更に東に進みます。 堀川の手前で左折。界隈には「コーヒーハウスKAKKO花車本店」という有名なモーニングの喫茶店があります。ここは朝7時開店。7時前にもお客さんが入っているのでびっくりしますが、彼らは常連さん。小さなカウンターと2卓しかないから、しょうがないですねえ。 もちろん美味しいんだけど、「かわいさ」にお金を払っている部分もあるのかな、量の割にはちょっと高い と個人的には思いました。(そんな奴は、コメダで小倉トーストとゆで卵モーニング食っとけ!・・・)

「花車」優美な地名ですが、花車神明社があるからですね。住宅密集地にある「まとまった緑地」です。

ちゃんと山と海、それを鎮護する社まであります(笑)。

花車社の「山」
花神社の「海」

ここから、北上して広い道路(桜通り)を渡ったら、四間通(しけみち)界隈です。南端の浅間神社(ここも住宅密集地にある「まとまった緑地」)に界隈の地図が貼ってあるので、大体の位置を把握したら、あとは適当に路地に入ったり、散策を楽しみましょう。

慶長15年(1610年)に名古屋城築城と共に始まった清洲越しにともなって商人達がこの地に住み着いて作られた商人の城下町として始まり、最初の「名古屋」の街の誕生となった。

元禄13年(1700年)の大火で1600軒余りが焼失し、その後尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、中橋から五条橋までの道幅を4間(約7メートル)に拡張したのが始まりである。このことから四間道と呼ばれるようになったという。
延焼を防ぐ防火壁の機能を持たせるため、尾張藩が通りの東側に石垣の上に土蔵を建てることを奨励したことから、土蔵造りの並ぶ街並みが形成されたとされている。


1945年(昭和20年)の名古屋大空襲時の那古野地区は、被害が比較的少なく破壊を免れた為、四間道には多くの古い町屋や土蔵など古い町並みがそのまま残った。戦後、名古屋市の都市開発などの影響で幾つかの古い町屋や土蔵は取り壊され、マンションや住宅、駐車場になった所があるものの、現在に至るまで多くの白壁の土蔵が連なり、2階に屋根神様が祀られている古い町屋も多く残っている。


この古い街並みが残っていたことから、1986年(昭和61年)6月10日に名古屋市の街並み保存地区に指定された。
元々は、中橋から五条橋までの堀川の西側にある地区を指していたが、南の浅間神社から北の円頓寺商店街のアーケード入口までを名古屋市が街並み保存地区に指定したことから、その保存地区の一帯をさすことが多くなった。

wiki 四間道

wikiの解説がしっかりしていて、あんまり補足することもない(笑)。

「四間道」の東側から土地が上り坂になっていています。坂を登りきると「熱田台地」。この台地上の町並みは、航空写真でもわかるけど、規則正しく碁盤目状に町割りされ、計画的な街が作られていました(その北端に名古屋城が位置)。つまり東側は、同じ城下町でもより格が高い町並み。下町と高級住宅街を分かつのが人工河川(運河)たる堀川 というわけ。

当時は運河が物流の大動脈でしたから、「堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、中橋から五条橋までの道幅を4間に拡張し、通りの東側の石垣(坂の途上に宅地用平坦地を造成)の上は土蔵を建てることを奨励した」のも事実でしょうが、堀川を背に、より完全な防火帯にすることで、これより東への延焼は避けたい という意識もあったんじゃないかなぁ・・・

典型的な「四間道」構造(南から北を眺める)
まわりは「しっくい」の蔵ばかりなのに、珍しい石造り。大谷石かな・・・?だとすれば、流通が盛んになった明治以降のものかと。
隣は覆われてはいますが、「しっくり」造りです。にしても、両側を蔵に挟まれた住宅ってのも珍しい。
さまよった先の路地(子持地蔵尊の路地)  手水鉢に金ひしゃく 風情あります。
旧商家・中村家に残る屋根神(火除の秋葉さん) 低い二階が特徴的。 にしても、隣の家がすごく気になる!

楽しいのでフラフラ彷徨った挙げ句、ようやく「円頓寺商店街」に到着!

風情あるアーケードが残っています。それが縁でフランス・パリの商店街「パサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携しているそうです。しかし、フランスのパサージュと比較すると、空き店舗も多そうだし、なかなかなあ・・・。

長久山圓頓寺(えんどんじ)の門前町として広がっている商店街である。南側にある真宗高田派名古屋別院から御本坊筋とも呼ばれ、古くからの商家が集まる市西北部唯一の盛り場として、特に夜間に賑わいを見せたという。

商店街の路地に行くと円頓寺銀座街と言うこじんまりながらも昭和時代の古い平屋長屋の建物が並ぶスナック、バー、ベトナム料理、割烹、居酒屋、など何軒か立ち並ぶ小さな飲食街がある。

wikiより抜粋
これが噂の「円頓寺銀座街」だっ!

商店街を歩いていると、面白い建造物を見つけました。超省スペースな「金比羅神社」。

中央に人が写っていますが、比較すると神社のサイズがよく分かるでしょう。 それでも細長い敷地をうまく使って、参道を最大限確保してるのがわかります(笑)。

案内看板によれば「名古屋城築城当時より城内三の丸の重臣大通寺氏邸に祀られていたが、安政六年(1859年)この地に移された。 毎年十月十日は大祭が行われる。」ですが、「そんな由緒ある神社が、なんでこれだけの敷地しか確保できてないの?」とか「大祭はどこでやるんですか?(場所ないじゃん)」とかいろいろツッコみたいところ。

御本坊筋」の由来となった、高田派名古屋別院がこちら。 写真に写ってる石碑には「愛知別院」と書いてあるけれどなぁ・・・

真宗高田派ってそれなりの規模の宗派で、三重県津市一身田に立派な本山があるよね。地域的に尾張は多くの末寺があったはずで、その「別院」なら、「地域本社」として立派な寺であるはず・・・なんだけど、本堂しょぼくね?(山門は立派だけど)

真宗高田派(しんしゅうたかだは)は、三重県津市の専修寺を本山とする浄土真宗の一派。親鸞の門弟真仏、顕智が率いる下野国高田(現在の栃木県真岡市高田)の専修寺を中心とする高田門徒の流れを汲む。末寺数、約640寺。

wiki

浄土真宗高田派、江戸時代には、東西に分裂した本願寺(本願寺派と大谷派)に次ぐ第三勢力派だったのね。この寺も江戸時代は末寺73寺を持ち、昭和期まで愛知県下に於ける高田派の拠点(愛知別院)だったんだけど、大戦末の空襲で山門や鐘楼を残して全焼。境内跡に、羅災者のバラックが53戸も建っちゃったそうな。立ち退きさせて昭和27年以降再建が進んだけれど、宗教法人法に基づく寺院規則の制定に際し、護持地域等を考慮して「愛知別院」を改め「名古屋別院」と称したとな(参考;wiki別院紹介

超訳すると「なかなか再建できないうちに、末寺がほとんど独立し、当寺は衰えちゃった」ということかいな・・・    名残の門と鐘楼。

商店街を西に進み、少し内部に入ってみると、また面白い建物を見つけましたよ。(江川線沿い)マンションの1Fに店舗が入居しているようですね。外階段を上がった2Fには広い外スペースがある感じ。どうなっているのかな?水害に備えた高所避難スペースにでもしてるのかな?(駐車場は地下に設置されているようです)

もう12月29日なので、シャッターしまっていますが、看板は出ていますし、事務所とか店舗が入居しているようです。それにしても、この部分にこんな広い遊歩道を作る必要があったのかなあ?それほど人通りが多いとも思えないのですが・・・

「那古野ビル」と言うそうで、南館と北館に分かれています。SUUMOの情報によると

・エントランスが江川線に面しており、買物など便利な環境です。
・昭和53年4月築、名古屋市住宅供給公社旧分譲のマンションです。

僕が撮影したのは江川線に面していないほう。ま、その必要性とかはよくわかりませんでした。

少し早いですが、名古屋駅まで戻って昼食にしましょう。いつも昼食を取る店があるので。 あじのあとりえ「まつなが」です。 駅地下街、近鉄改札口の近く。 今日は、おまかせ定食にします。

唐揚げ二個、刺し身(マグロ、タイ、ねぎとろ)、漬物と味噌汁で1080円。味噌汁の濃さが好みですし、刺し身も新鮮で美味い。ご飯けっこう盛られているし。場所を考えると妥当かむしろ安い価格設定だと思うのですが、食べログの評価はあんまりよくないですねえ。そういえば、コロナ前は冷奴がついていたような気もしますけど・・・