近所にできたインドカレー屋で食事堪能しながら考えてたこと。

近くにインドカレーの店ができたので、ランチに行ってきました。と言ってもすでに2回目ですが。

どれくらい近くかというと、最寄りのコンビニより近い(こちら田舎ですんで)!

一回目は、チキンカレーとナンの組み合わせにラッシを追加。セットドリンクならラッシ(ヨーグルトドリンク)100円とお得です。

まあどえらい大きなナンが来ました。「こんなでかいのどうやって焼くの?」と聞いたら、厨房に専用の窯を入れてるそうです。表面にたっぷりバターが塗られており非常においしい。ですが全部喰うと僕的にはちょっとくどいかな(お代わり自由です)

店は「インドアジアン料理」と銘打っており、メニューには生春巻きやタイカレーもあります。が、店員さんはたぶんネパールの人かと思いました。 ネパールなら主食はナンじゃなくて米だし、それっぽいカレーはダルカレーかな、飲み物はチャイだろ と勝手に決めて二回目の訪問。 米は残念ながらインディカ米じゃなくジャポニカで、ちょっと風情にはかけるけど、日本人相手なら経営合理的ではあります。個人的にはダルバート(ネパールの定番定食。日本食の汁飯香にあたる)をメニューに加えてほしいのですが、田舎じゃ客層的に無理かなあ・・・まあダルカレー美味かったからいいんだけど。

「ネパールの主食」について教えてもらいました!
日本でインド、ネパール料理屋さんに行ってカレーセットを頼むと付いてくるのが、日本人にもお馴染みのナン。だからなのか「主食ナンなんでしょ?」って聞かれるけど、実際はあまり食べない(笑)。パーティーのときだったり、外食したときに食べるくらいで、実際は日本と同じお米が主食なんですよ! しかも、めちゃくちゃな量を食べる私の家族は、一食1人で軽く2~3合は食べてるだろうな~。
・・・日本にもおかずのお供があるように、ネパールにも欠かせないお供があって、それが「ダル」という豆で作ってご飯にかけて食べる、スープみたいな料理。ダルの味付けは、ニンニクや生姜、油、塩、クミンパウダーなどを入れて圧力鍋で豆を柔らかくして作る。
味は……うっすらカレー味に豆を煮詰めてるな~って感じ(笑)。

ネパールの主食はナンじゃなくて白米! そして「ダル」

僕は異国料理好きですし(おいしければなんでもいい)、家の近所で外食ができる場所が貴重なので、長く営業してくれることを願っています。が、この場所の店舗は フィリピンパブ、その前は夜主体の喫茶店だかスナック とちょいちょい営業が変わる「飲食店には不利」な場所。まして田舎の異国料理店なんて、持続可能なのか心配ではあります。 

そういえば、最近は西尾の町中にもちらほら中国人経営の中華料理屋ができてますし(都会ではガチ中華の店が大量出店してるとか)、あちこち見渡すと外国人オーナーの料理店って結構増えてますね。 うちの近所でもブラジル料理の店ができてます。その国出身の労働者(メインターゲット)が増えたのも一因だと思いますが、一つ疑問が。 

日本で外国人がオーナーとして飲食店を経営するのはハードル高くないの?てか労働ビザ簡単に降りるん?

ちょうどよく次のような記事が飛び込んできました。(smartnews)。ここは田舎だから「インドカレー店をよく見かける」ことはないのだけれど、街でよく見かけるほどあるのなら、「競争相手の少ない田舎で起業する」のも一つの選択肢でしょうから。

街でよく見かけるインドカレー店は、どこも同じような店構えだ。なぜなのか。ジャーナリストの室橋裕和さんは「『小泉改革』で外国人経営者に対する規制が緩和された結果、ネパール人たちが同じようなインドカレー店を爆発的に増やしていった」という――。(第1回)

なぜ同じようなインドカレー店がコピペのように急増したのか…「インネパ」が日本に定着した意外な理由

「小泉改革で、外国人経営者に対する規制が緩和された」というのはうなずけますが、そこから「ネパール人によるインドカレー店激増」というのは面白い見方ですね。 

その核の部分はこちら

外国人だって独立して自前の店を持とうとした場合は会社が必要になる。そして会社を設立すれば「経営・管理」(当時は「投資・経営」)という在留資格が取得できる。だがこのための条件が、90年代は厳しかった。日本人を雇用することなど、外国人にとってはハードルが高かった。だからこそ従来は、パートナーの日本人が簡単に会社をつくれる国際結婚カップルか、資本に余裕のあるインド人が、インド料理界のメインストリームだったのかもしれない。

それが小泉改革で変わった。カドゥカさんは言う。
 「2002年ごろかな。外国人は『500万円以上の出資』があれば会社をつくれるようになったんです」
 外国人でも小規模なビジネスの経営者になりやすくなったのだ。この制度をうまく活用したのが、ネパール人コックたちだった。

500万円はもちろん大金だが、インド人や日本人の店で地道に働くうちにそれなりの貯えができたネパール人たちの間で会社を設立して「投資・経営」の在留資格を取得、独立起業する動きが広がっていく。コックの在留資格「技能」だけでなく、日本に住み、働くための「名目」が、いわばもうひとつ出現したのだ。


 雇われのコックではなく自前の城を持ち、もっと稼ぎたいと思うネパール人たちがこれに飛びついた。この「小泉改革説」は、ほかにも何人かのネパール人から聞いた。

同上

なるほどねえ。なんか「華僑の三刀」を思い出させるような話ですねえ。

三把刀(さんばとう、三刀)とは、かつて華僑が多く従事した、刃物を使用する料理人(包丁)、理髪師(剃刀など)、仕立屋(鋏)の三つの職業。
この三種の職業は人間の基本的な必要に対応することから、いかなる国や土地でも、またどんな時代でも安定した需要があり、かつ簡単な道具で開業できる食いはぐれの無い安定した職業技術であるとされた。

wiki

今の日本では、服は買うもので仕立てるものではありませんし、日本人理髪師が供給過多になってるくらいですから、 外国人理髪師と仕立て屋の需要はないけれど、料理人はまだいけそう ってことかな。

外国人労働者の受け入れに拒絶感の強い日本ですが、横浜や神戸にある中華街など長い時間をかけて受け入れた事例だってあります。ネイティブジャパニーズが激減する環境下で、移民受け入れとある程度の多民族共生国家化は不可避でしょうから、その場合はやっぱし生活に密接している三刀職業から入るのが自然の流れなのかなって。異国料理好きは思うのです。

横浜中華街はじまり語り、なるほど話。 その5 洋裁、理髪、料理。刀を片手に活躍!

閑話休題。インドカレー店の話は単純な需要供給話から一歩進み、そこからなぜ「同じような店ばかりになるのか」まで解説してくれてます。面白いですねえ。


 「家族親族で500万円をひねり出して日本のカレービジネスにトライする」ことが、いつのまにやら「経営・管理ビザを取得したい人間が500万円をネパールにいる出稼ぎ志願者数人に分割・負担させて日本に呼ぶ。一方はカレー屋経営者に、一方は技能ビザを取得してコックとしてカレー屋で働く」という図式に置き換わっていったのだ。つまりは日本側の独立志願者と、ネパール側の出稼ぎ志願者をつなぐブローカーが介在するようになる。  そして大量のカレー屋が生み出される中で、同じような店がコピペのごとく急増していったのは周知の通りだ。・・・

「親」の成功を見てきたのだ。それを踏襲したい、家族親族の期待と出資を受けて独立するからには失敗できないという気持ちも強いだろう。だからある程度うまくいっていた前例をそのままコピペして、安心感を得る。

同上

一旗揚げたいけど、期待背負って失敗できないから模倣し安心感を得るか。なるほど。どこかで聞いたような話でもありますねえ・・・

この記事は室橋 裕和『  日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)の一部を再編集したもの だそうです。面白い視点だからちょっと買って読んでみようと思います。

いまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。
そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?
どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?
「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか……その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。
おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。

Amazon

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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