最近のイラン情勢をを見ていて、あー、こりゃ終戦直前の大日本帝国の姿そのものや って思いまして。自国の歴史を振り返ることで、米国とイランの戦争終結につながる筋道が見えないかな・・・なんて。
先の大戦末期、連合国と絶望的な戦いを続けていた大日本帝国に敗戦を受け入れさせるべく、連合国(主にアメリカ)は島国日本に対し大規模な海上封鎖を仕掛けました。
大日本帝国は、太平洋戦争末期にアメリカ軍の潜水艦を中心とした無制限潜水艦作戦により、資源輸入ルート(シーレーン)を絶たれる海上封鎖を受けました。この結果、物資不足により国力が急激に衰退し、1945年春には日本近海が完全に封鎖された状態となりました。
今の自衛隊とは違い、当時の日本海軍の対潜能力は極めて低く、輸送船どころが多数の軍艦(潜水艦キラーのはずの艦まで・・・)潜水艦にバンバン沈められる始末。
1944年8月20日、「五十鈴」は対潜掃討部隊として編成された第三十一戦隊の旗艦となった。改装を終えた五十鈴は対潜掃討に従事することなく、1945年(昭和20年)4月7日早朝米潜水艦ガビラン (USS Gabilan, SS-252) から1本、チャー(USS Charr, SS-328) から3本の魚雷を受け8時46分頃に沈没した。
閑話休題。この話、「アメリカがイランに対しホルムズ海峡を逆封鎖した」ことと合致します。イランは頼みの綱の原油の輸出ができないし、様々な物資を国内に輸入できなくなります。
さらにアメリカは大日本帝国に対し、軍事施設や工場、果ては都市に至るまで大規模な絨毯爆撃を行い、日本の内湾や水路にまで機雷を投下設置。ダメ押しに二発の原爆まで投下します。 今回のイラン戦争で原爆を落とすことまではないでしょうけど、その気になれば追加爆撃するぜ(制空権は取ったし、航空母艦が3隻近海に待機してる状態)と虎ちゃん威嚇中。
ただまあ、そこまで追い詰められたことが明らかな大日本帝国であっても、敗戦(ポツダム宣言受諾)受け入れに至るには、超法規的なウルトラCが必要でした。
受け入れを巡り、帝国政府は「最高戦争指導会議」で喧々諤々の議論を交わしますが、結論に至りません。
最高戦争指導会議(さいこうせんそうしどうかいぎ)は、小磯國昭内閣が成立した直後の1944年(昭和19年)8月に、従来の大本営政府連絡会議を改称して設置された会議。国務と統帥の調整強化を目的とした..・・・最高戦争指導会議自体が法的根拠を持っていなかったためこの会合も非公式なものだったが、その後の戦争終結に向けた動きの中で重要な意思決定機関となった。
・・・最高戦争指導会議の出席者は、内閣総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長とされ、必要に応じ、その他の国務大臣や参謀次長・軍令部次長が列席した。また重要な案件の審議には天皇が臨席する御前会議の形式で開催された。
会議の参加者が「内閣総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長」とされたことを補足します。今の常識で考えれば、「内閣総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣」でいいじゃないの と思いますよね。 ところが、帝国軍においては「軍政と軍令」が厳密に分けられており、軍大臣は軍政だけのトップだったのです。実際の軍隊の指揮(軍令)は参謀総長、軍令部総長が握っていたんです。

軍令を担当する参謀本部と軍令部は天皇直属であり、行政である内閣(軍大臣はその構成員)は作戦や軍隊の指揮に口を出すことはできませんでした。それは「統帥権の干犯(かんぱん)」として、当時最大のタブーだったのです。

これ、現在のイランの国家構造と瓜二つです。天皇の位置に「最高指導者」がいて、内閣(行政)の中に軍大臣がいます。そして参謀本部や軍令部に当たる部分が「革命防衛隊」です。要するに、革命防衛隊は、行政である大統領の統率下にはない組織なのです。

最近のアメリカとの停戦・休戦交渉には、行政のペゼシュキアン大統領やアラグチ外務大臣が登場しますが、彼らは行政の代表にすぎません。戦時下に残存する軍隊(革命防衛隊)を動かす「革命防衛隊のドン」がうんと言わなければ、交渉は前に進まないのです。
要するに、革命防衛隊と行政組織を別個に有するイランの体制は戦時下における大日本帝国の構造と酷似しており、同様のものだと見なせばよいのです。
大日本帝国では、この二頭体制を一とすべく「国務と統帥の調整強化を目的とした」「最高戦争指導会議」を発足させました*。そしてその場で敗戦(ポツダム宣言)を受け入れるか決を採りましたが、「内閣総理大臣、外務大臣、海軍大臣」は受け入れに賛成。「陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長」が反対。3対3になり結論が出ぬまま膠着。その間も軍部は絶望的な抗戦(特攻)を続けていました。
現代の革命防衛隊が特攻するとは思いませんが、彼らはドローンや外国人部隊(フーシー派とかヒズボラ)のような、安価に使い潰せる、それにあたる兵器や手段を有しています。
*あるいは暗殺された前最高指導者も、「最高戦争指導会議」を御前会議でやってたのかもしれませんね。 ”3月1日のイスラエル軍の発表によれば、ハーメネイー関連施設(最高指導者事務所)において彼が高官と一緒に会議していたところを攻撃したという。・・・アジーズ・ナシールザーデ国防軍需相、安全保障担当顧問アリ・シャムハニ、革命防衛隊司令官モハンマド・パクプールら、ハーメネイーの最側近らもその場におり、全員が死亡している。”wiki
このような場合、今の日本なら、内閣総理大臣が反対する陸軍大臣の首を切り、賛成する大臣に変えて可決させます。しかし大日本帝国の制度では、内閣総理大臣は大臣の第一席というだけでその権限はありません。しかも軍部大臣現役武官制という縛りまで。
現役とは平時軍務に従事する常備兵役を指し、現役武官の人事は天皇大権の内統帥権に属し、国務を司る内閣の関与は基本的に不可能であった。このため、軍部大臣現役武官制の採用によって、明治憲法下の内閣総理大臣が「同輩内の主席」でしかなく組閣に軍部の合意が事実上必要となっていたことから、軍部によるその意向に沿わない組閣の阻止が可能となった。また、たとえ一度組閣されても、内閣が軍部と対立した場合、軍が軍部大臣を辞職させて後任を指定しないことにより内閣を総辞職に追い込み、合法的な倒閣を行うことができ、軍部の政治進出の梃となっていた。
アメリカのような物事を合理的に考える国はこう考えます。「これだけ経済的に締め上げ詰めば、当然降伏(交渉に応じる)やろ」なのに「ちっとも必要な政治決断しないまま、現場では特攻という狂気の戦法が進められ、それに対して国民や兵士のサポタージュすら起きない。理解不能の狂信国家は潰すべし!」その恐怖が狂気の原爆投下決断に走らせた面もあると思います。
イランの場合は狂信なのか、強権的な治安維持体制なのかよくわかりませんが。
でもまあ、大日本帝国だって非合理的ながら、国内には通じる彼らなりの「受け入れられない理由」を持ってはいたのです(国体護持)。同様の状況がまさに今のイランの状態です。それを見たアメリカはこんな風に感じるのです。
アメリカのトランプ大統領はイランとの戦闘停止に向けた交渉をめぐり、「イランは交渉を望んでいるが、そのリーダーが誰なのか分からない」などと主張しました。
トランプ大統領「イランのリーダーが誰なのか分からない」と主張 新たな最高指導者モジタバ師についても「彼は死んだという人もいる」
現代のわれわれの感覚ではトランプの言い分はもっともなのですが、歴史を振り返れば、日本人はイランのおかれたポジションが分かる(知ってる)はずなんですね。「いやリーダーをアンタが殺したから収拾つかんのやで」
その歴史とは次のようなものです。「最高戦争指導会議」で結論を決められなかった日本政府(内閣総理大臣・鈴木貫太郎)は、「聖断」という超法規的手段でこの危機を乗り切ります。
形式上のトップであった天皇に「我々ではもはや決められないんで、アナタ決めてください!」と。 昭和天皇が良識的な人間で本当に良かったです。 とはいえ、めっちゃあやうい綱渡りな組織運営だったのは確かです。
なのに、アメリカはイランの天皇に当たるアリー・ハメネイ氏を一番最初に殺してしまいました。次代の最高指導者モジタバ・ハメネイ師(前最高指導者の息子)の出方 はどうなのか・・・
・2026年3月、第2代最高指導者であった父のアリー・ハーメネイーが殺害されたことを受け最高指導者の座に就いたが、後述するように同年2月下旬の開戦以降は公の場に姿を見せておらず、所在はおろか生死も含めて不明な状況が続いている。
・世襲制の王政を倒して現体制ができたこともあり父親自身は世襲には否定的であったとされ、2025年のイラン・イスラエル戦争後に父アリーが指名した3人の後継者候補には含まれなかった。
・最高指導者選挙はシーア派の聖地コムの議場が爆撃されたため非公開の場所で召集されたため、出席者できないものは多かったものの定足数の2/3には達していた。そのうち80-90%がモジタバ師を支持したが、イスラム革命防衛隊が後継者にモジタバを推したため、異論は封殺される形となっていた。
・妻ザフラーとの間に息子2人、娘1人。妻は父のアリー共々イスラエル軍の攻撃で死亡したと報じられている。
・イスラム法学者としての称号は最高指導者に必要とみられていた「アヤトラ」ではなく、中堅聖職者に与えられる「ホッジャトル・エスラーム」であり最高指導者就任にあたり懸念されたとされる。
うーん、「聖断」を下せるほどの力量やポジション、権威を有しているとは言いづらい感じ。さて、どうなることやら・・・
【ドバイ=岐部秀光】イランでペゼシュキアン大統領が率いる政権と軍事組織である革命防衛隊の対立が深まっている。最高指導者に選出されたモジタバ師は双方の調停役として機能せず、米国との交渉を一段と複雑にしている。
唯一望みがあるのが、革命防衛隊というのが大日本帝国の陸海軍のような純粋な軍隊ではなく、一種の財閥企業な面もあることです。 商売人であれば、アメリカの合理的な戦略に、不合理な「特攻」とか「玉砕」とか選択せず、合理的な対応も期待できるかな・・・と思うんだけど。
今では巨大な複合企業となり、イランのミサイル部隊や核計画を支配するだけでなく、ほぼ全ての経済分野に進出した数十億ドル規模の大財閥となっている。 この財閥は従属企業や信託の連鎖を通じて、イラン経済のおよそ1割から3分の1を支配していると見積もられている。
停戦条件に「賠償金」とか入れてますしね。当然商売人であるトランプも、そう考えているから、脅しながら有利な条件で交渉妥結できるよう誘導していると思います。要するに双方「プロレス」してる感じだと思うのですが、やってることは「戦争」なので、ボタンの掛け違いやメンツの問題で、逝っちゃわなければよいが と。
聖断がくだり、そして戦争は終わった――。
連合艦隊の消滅、沖縄の陥落、広島・長崎への原爆投下、ソ連の満洲侵攻など、刻一刻と破局へと突き進んでいった戦争末期の日本。本土決戦が当然のように叫ばれ“一億玉砕論”が渦巻く中、平和を希求する昭和天皇と心を通い合わせ、二人三脚で戦争を終結に導いた一人の老宰相がいた。その名は鈴木貫太郎。
運命の昭和二十年八月十四日、鈴木は御前会議ですっくと立つと、原稿はおろかメモひとつなく、語りはじめた。八月九日の第一回の聖断以来の全ての出来事をよどみなく報告するのである。そして最後に言った。
「ここに重ねて、聖断をわずらわし奉るのは、罪軽からざるをお詫び申し上げます。しかし意見はついに一致いたしませんでした。重ねて何分のご聖断を仰ぎたく存じます」
不気味な静寂がしばし流れた。やがて天皇裕仁が静かに口を開いた――。
昭和史最大のドラマである“日本敗戦”を描いた不朽の名作!

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。