秋の花

少し遅くなってしまいましたが、こちら10月2日に撮影したヒガンバナです。この時が満開。

こちらは9月27日。咲き始めですね。

今年は少し咲く時期が遅かったように感じましたね。大抵秋の彼岸の頃咲くので、ヒガンバナと呼ばれますけど。

秋の彼岸・・・秋分の日を中心にした7日間。2019年は

9月20日(金) 彼岸入り
9月23日(月) 中日(秋分の日)
9月26日(木) 彼岸明け       でした。

写真のとおり妙な植物で、秋の彼岸の頃、葉のない花茎が急速に伸びてきて、花が咲きます。ここまではまるで桜の花みたいな生態ですね。そのあと冬は葉はつくんですけど、春には枯れ、次の秋が近づくまで地表には何もないのです。

他の植物が春から秋にかけて元気なのに比べると、完全に「逆張り」戦略を選択した植物です。まあ競争相手がいなくていいのかもしれません。

最近ではこんな花も見られます。

このピンクの花が、ゲンノショウコです。有名な薬草で、煎じて飲むと食あたりや下痢に素晴らしい薬効があるそうで、現に良く効く証拠があるので、「現の証拠」って名づけられた とか。

僕はお腹が弱いんで、是非我が家の庭にも欲しいんですが、なかなか根付きませんで・・・。

室町幕府を支えた名族(2)

この記事は、「室町幕府を支えた名族(1)」の続きです。

先回の記事では、三管領四職や七頭、相伴衆、御一家など、室町幕府の名家と呼ばれる氏族を紹介しました。

室町幕府は、足利氏の政権ですから、名家にはやっぱり足利一族が多いわけです。 三管領の細川氏、斯波氏、畠山氏。四職のうち一色氏。御一家の吉良氏、渋川氏、石橋氏 それから今川氏。

となると、その系図を見たくなります。どーぞ。

最上段で横に並んでいるのが、足利本家です。この流れの先に、室町幕府を開いた足利尊氏が出てきます。

先ほど出てきた○○氏は、尊氏の祖先の兄弟の家系なわけです。三管領(臣下筆頭)が青色で、御一家(将軍の家族)が黄色で示されています。赤色で示した一色氏と、黒色で示した今川氏ももちろん名家なんですが、四職につける階級なので、臣下次席って感じですね。

系図をみてて面白いな って思ったのが、この時代の足利本家を継ぐ男子(嫡男)は、長男とは限らなかったってこと。

これはね、足利義氏以降(鎌倉時代で、執権北条氏が権力を握る時代)、「北条氏から嫁いできた母に生まれた息子が嫡男になる」っていう事態が起こっていたからです。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の直系はわずか3代で絶え、そのあとは血筋は引いてるけど、公家である藤原氏の男の子を鎌倉に呼んで将軍にしてたのです(摂家将軍)。公家の子供に武家政権の舵取りができるはずもなく、彼らはお飾りで実験は執権である北条氏が握ったのです。 男の子が大きくなると(言うこと聞かなくなると)京都に返品して新しい子をもらってくるとか芸が細かい(笑)

でもね、鎌倉幕府の御家人の中で、何で北条氏が実権を握るのか。他の有力御家人は面白くないわけです。そりゃ頼朝の奥さんは北条氏だったから、北条氏が鎌倉幕府の成立に大きく貢献したのは事実ですけど。

なので、北条氏と他の有力な御家人の間は常に緊張し、時に権力争いが起こっていました。主な物だけあげても・・・1203年比企能員の変、1205年畠山重忠の乱、1213年和田合戦、1247年宝治合戦、1285年霜月騒動

全部北条氏が勝つんだけど、そんなわけで北条氏から見たら有力御家人ってのはつねに仮想敵だったわけです。源氏の一族で有力御家人だった足利氏は、北条氏から妻を迎え、彼女から生まれた子を嫡子にすることで家を守ってたんですね〜。

ってことで、三男が嫡男になったとしても、べつに長男や次男が「ぼんくら」だったわけじゃありません。むしろ、万一対北条氏との戦があった時には頼りになる味方になってもらわねば・・・と思ったのか、歴代当主の兄筋の家は大事にされていたようです。それが室町幕府の制度を造る際に考慮されたものでしょう。

俗説で「室町殿の御子孫絶えなば吉良に継がせ、吉良も絶えば今川に継がせ」 って言葉がありますけど、言の真偽はともかくそのあたりの事情から出てきたものでしょう。

 ただ、家系図を見る限りは、斯波氏が一番足利本家に近い気がします。なのになぜ斯波氏は臣下筆頭で、その子にあたる石橋氏が御一家なのか、斯波氏より一代前の世代で将軍家から分かれた吉良家が御一家筆頭なのか、そこら辺の事情はよく分かりませんね・・・。

 それから、名をあげた一族の名家発祥の地が、矢作川流域に多いことも注目すべき点かと(岡崎と西尾)。三河の地が初期足利氏の拠点だったこと、矢作川の水運を重視していたこと なんかが言えそうですね。