元号

3日後の4月1日に、平成に変わる新たな元号が発表されるそうですね。

新元号を巡って、その予想をしたり、先走って未確認情報を発表してね?とか一部お祭り騒ぎになってるみたい。まあお祭りなんで楽しんでくだされい。

日本で一番最初の元号は、「大化の改新」で有名な大化(645年)です。それ以来、日本では営々と何らかの元号が使われてきています。 「平成31年」みたいに元号を用いて年を表示するのが和暦、「2019年」とするのが西暦です。

明治以降は「一君主の統治期間中は一つの元号」ですので、人間の寿命から考えると、元号表記は時代区分として使いやすい適当な長さだと思いますし、和暦を使うのは日本の伝統でもあるんでこの先も続けていけばいいんじゃないかな って思いますが、一方でこんな問題も。

3月14日、経済産業省があるレポートを発表した。「改元に伴う企業等の情報システム改修等への対応状況に関するアンケートの集計結果」という長々しいタイトルだが、要するに民間企業に対する「あなたの会社は、新元号にどうやって対応するつもりですか」というアンケートである。

 和暦、つまり元号の使用状況と対応に関して回答した企業は2797社(うち中小企業は2058社で73.6%)。回答の内訳は、「和暦は使っていない(西暦のみ)ので改修は不要」が899社(32.1%)、「和暦使用部分の調査・確認が完了している」が877社(31.4%)、「調査・確認中」が458社(16.4%)、「これから」が563社(20.1%)だった。

 そもそも和暦を使っていない企業が3割にのぼるのは、経済のグローバル化を考えれば頷ける。むしろ今でも7割近くの企業が西暦と和暦を併用しているとは、ちょっと驚きだ。国内取引で事業が完結するのだろう。ちなみに、中小企業の構成比(7割)と和暦併用の企業がほぼ一致しているように見えるのは偶然で、「和暦を使っていない」という回答は中小企業のほうが多かった。

・・・おそらく日本最大の「和暦ユーザー」は、行政文書などを和暦表記でほぼ統一している、霞が関の中央省庁と各都道府県・市区町村である。

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民間企業であろうと行政機関であろうと、改修作業は「システムのどこで和暦を使っているか」、「そのシステムがどのような方法で構築されたか(パッケージ製品の単体か、パッケージのカスタマイズか、ゼロからのスクラッチ開発か、内製か外部ベンダーか、外部システムとどのような形で接続しているか)」などを調べることからスタートする。
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3月末までにダミーデータでのテスト、本番移行のリハーサルと、ここまで滞りなく終わっていればあとが楽になるのだが、3月・4月はただでさえ年度切り替えに伴う行政手続きが集中し、さらに組織変更や人事に伴うアクセス権限の再設定なども重なる。

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さらに、システムの洗い出しが進むにつれて、「ひとり情シス」の問題も浮き彫りになってきた。
 一般の読者にはなじみの薄い言葉かもしれないが、「ひとり情シス」とは、企業や組織の中でたったひとりのエンジニアや担当者が、システムの管理や回収を一手に担う状況に追い込まれることだ。
 特に地方の町村には、IT担当がひとりから良くても数人、また少数の職員がITと総務を兼務しているところが珍しくない。

平成、終われません! 改元で「ひとりシステム担当者」が見る地獄

「働き方改革」「人手不足」が叫ばれているなかで、改元によるシステム変更による業務増・・・本当に馬鹿みたい。だってこれを変更する労力って、何も生産しないんだもの。  「ひとり情シス」 って悲惨すぎる・・・

 そもそも、和暦って「それって何年前だっけ?」っていう情報処理をするのにとても不便です。 例えば「昭和36年は何年前でしょう?」と「1961年は何年前でしょう?」 は同じ質問だけど、難易度は全然違うよね。 (だからこのブログで歴史的記述をする場合、西暦表示か両暦併記で書くようにしています。)

それはともかく。平成の次の天皇になられる方が59歳。その次の方が53歳。それほど遠くない未来に、何度も改元の機会があるわけです。もうそれは見えてるんだから、改元は全然いいんだけど、システム改修という無駄な作業が発生しないようにしておいてほしい。それこそ真の働き方改革です。

この改革を実施するのは簡単で、システムを西暦オンリーで動くようにしておけばいいんです※。 でもたったそれだけのことが難しい。

引用記事では 「おそらく日本最大の「和暦ユーザー」は、行政文書などを和暦表記でほぼ統一している、霞が関の中央省庁と各都道府県・市区町村である。」 「むしろ今でも7割近くの企業が西暦と和暦を併用しているとは、ちょっと驚きだ。 国内取引で事業が完結するのだろう。 」と書いているんですが、そこにはちゃんと理由があるのです。

 公文書の年表記に関する規則  

平成六年三月三十一日 規則第三号

公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする。

公文書の年表記に関する規則

という規則があるのです(もしかしてこの規則は廃止されたのかも。ただしその場合でも、平成6年以前から国の文書は和暦を使用していたこと、さらにこの規則に基づく慣例として、和暦使用が踏襲されている)。

これは国の行政機関内部を拘束するにすぎない「決まりごと」・・・なんですが、国の機関とやりとりする地方行政機関や大企業は、まあこの規則に則ったシステムを構築し運用すべきと考えるのが大人のふるまいでしょう。 中小企業のほうが あんまり和暦使ってないのは「お上」とあんまし接点ないから、その制約を外れて合理的に判断した結果じゃないかと思うです。

※もちろん、キリスト教徒が多数派を占めるわけでもない我が国が、なぜその誕生を基準とする西暦を使うんだ?という意見はあるだろうし気持ちは理解できます。でもそれって、 小学校で必修にする外国語が英語になる理由と同じ。

西暦がグローバルスタンダートな時間表記法だからというだけに過ぎません。(パソコンの基本システムにwindowsを使うかMacを使うかっていうのと同じレベル。ここでTRON(国産OS)を使え!!っておかしいよね。)

ま、システム改修しなくていい ってだけの理由なら、イスラム教圏がつかうヒジュラ暦を使うのでもいいんだけどさ、あれは太陰暦だから、太陽暦を採用する日本で使うにはちとつらい面があるわけさ。

それに和暦は和暦で並行して存続してたらいいんだからさ。

神谷伝兵衛 

神谷 伝兵衛(かみや でんべえ、神谷傳兵衛、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正11年(1922年)4月24日)は三河国松木島村(現在の愛知県西尾市一色町)出身の実業家である。東京都台東区浅草の洋酒バーの神谷バー、茨城県牛久市のワイン醸造所のシャトーカミヤの創設者。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西尾市出身の有名人です。てか、 地元でも長らく忘れられていた人で、最近少し騒がれるようになりました。市の広報に取り上げられ(2月16日号)、一色町にある「一色学びの館」で、今日までミニ企画展が開催されていました。          ※以下写真はその企画展で出されていたもの。

でんべえ氏

さて、この伝兵衛氏の業績のなかで一番知られているのは、浅草の門前町に「神谷バー」を創設したこと。神谷バーは浅草の観光地としてそれなりに有名ですよね。(たぶん)

神谷バーでは「電気ブラン」というカクテルを飲むことができます。

電気ブラン

味の好みは人それぞれだと思いますが、個人的評価は 「まずい」の一言。

デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝になっています。

神谷バー デンキブランとは

何せ「薬草」が入っています(笑)わし養命酒嫌いだわ。

しかし当時はこれが日本人好みの洋酒であり、ハイカラなものだったのです。以下、大正時代に都会を闊歩したであろうモボ(モダンボーイ)の記述をお借りしましょう。太宰センセーです。

淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

太宰治「人間失格」

いや、今の言葉で言えば、「吉牛とかウイスキーちゃんぽん酒ってコスパいいよね!」って記述だから、ほんとにハイカラなのか、これ(苦笑)。でも 「料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分」ってこれは現代、確実にハイカラでしょうから・・・

まだひっぱります「ブランデーにジン、ワイン、キュラソーをブレンド」って、ちゃんぽんでそれなりの量を呑んだら確実に悪酔いしますね。※神谷バーでは小さなカクテルグラスで提供されますんで問題ありません。しかし強いお酒であることは間違いなし。

閑話休題。バーだけではなく、ワイン販売も手掛けた伝兵衛さん。 でもワインもそのままでは当時の日本人の味覚には合いません。そこで・・・

「輸入ワインにハチミツ・漢方薬を加えて甘みの強いワインに改良しました。」

今度は漢方薬入り(笑)。恐ろしくて呑みたくありませんが、それを「蜂印香竄葡萄酒」として売り出します。蜂印香竄葡萄酒のポスターは、女性がワインを片手に登場するもので、とても美しく魅力的で目を惹きつけました。

ポスター

美しいかはいろいろ意見の分かれるところでしょうけど、PRのセンスはいいんじゃありません?おかげで大当たり!

儲けたでんべえさんは、その後国産ワイン造りにも手を出します。現在の茨城県牛久市にワイン醸造所を造り、それが現在も「牛久シャトー」として残っています。 しかし牛久って、ワインづくりに向いているのかねえ??(向いてるからそこにシャトーを造ったようなんですが、隣のつくば市元住民としてはちょっと不思議に感じるなあ)  

文末に追記あります

そのほか災害対応など様々な社会活動にも巨額の資金を投じ、皇室から銀杯を下賜されているほどなんですが、あまり知られていないのは、 どうもそれらの行為にあまり名前は出していないからみたい。

もちろん地元発展にも尽くしました。愛知県に設立された「三河鉄道」の大株主であり、赤字経営の立て直しのため請われて社長になっています。でも直後に死亡。

三河鉄道関係


彼の死後、三河鉄道は蒲郡まで延伸されることになり、地元一色町松木島には二代目でんべえさんが寄贈したコンクリート造りの駅舎が建ち「神谷駅」と名づけられました。駅名からしても、地元がどれだけ喜んだか分かりますね。

松岡敬二編「古地図で楽しむ三河」より

駅がこのままの名前で残っていれば、少なくとも彼の名が地元で埋もれることは無かったでしょう。 地元の実業家であり、やはり各種社会事業に私費を投じた岩瀬弥助※に匹敵する実業家でしたから。  

ですが、神谷駅は昭和24年に「松木島駅」と改名されているのです。地元に住んでいたわけでもないし、名前が消えれば段々人々の記憶からも忘れ去られてしまうのは仕方がないですね。

しかし、 田舎の人々が我田引水の恩を、駅名を変えるって形で返すような事象が、そう簡単に起こるとも思えません。いったい何があったんでしょう?? 

ここから先は推測ですが・・・神谷家は社会貢献を精力的に行ってきたから、昭和24年という戦争終結直後の時期に、公職追放等でなんらかの処罰を受けたのかもしれません。すると「地域として個人名の駅は具合が悪いし、あんまり顕彰するのもどうだべなー」って、あり得そうなシナリオじゃないかと・・・

※岩瀬弥助は、 集めた古書を元に岩瀬文庫を造ったことで有名です。ですが同時に大成功した実業家であり、伝兵衛と同じように地元「西尾鉄道」の初代社長でもありました。 余談ですが西尾鉄道と三河鉄道は 現在名古屋鉄道の西尾線と三河線の母体となっています。

※2019年12月27日追記 中日新聞によれば、神谷伝兵衛がご縁で、西尾市と茨城県牛久市は、大規模災害に備えた防災協定を結んだそうです。両市の距離が離れていて、同時に大災害に見舞われる可能性が低いことからだそうですが、よい取り組みだと思います。縁は異なものですねぇ。