三河湾離島の教育環境それぞれ

愛知県・知多半島沖に浮かぶ日間賀島(ひまかじま)。漁業と観光業が中心の小さな島で唯一の中学校が3月末で閉校し、76年の歴史に幕を下ろした。最後の卒業生は18人。在校生らは4月から統合先の中学校に通う。「消滅する母校」への卒業生、在校生、島の人たちの思いを聞いた。(共同通信=猪狩みづき)

島で唯一の中学校が消えるとき、島民たちの思いは 76年の歴史に幕を下ろした愛知・日間賀中学校

三河湾には3つの有人島があります。この記事で取り上げられた日間賀島、そして篠島と佐久島です。 「こんなに本土から近いのに」と言われそうですが、この3島は立派な離島です。

google mapに一部加筆

1957年 12 月 23 日の第7次指定において、指定地域名「愛知三島」として、佐久島、日間賀島、篠島が、一括して離島振興対策実施地域に指定された。

愛知の離島(資料編) 愛知県2023年3月

日間賀島と篠島は知多半島先端にある南知多町の一部であり、佐久島は西尾市の一部になります。なので「南知多町立日間賀中が閉校したなら、同町立篠島中も閉校かな?」と思いながら記事を読んでいたものの、篠島中学校が閉校するとは書いてありませんでした。そして現状、篠島には中学校が存続しています。

南知多町立中学校再編実施計画

 南知多町は、1961年に日間賀島村、篠島村、内海町、豊浜町、師崎町が合併して誕生しており、少子化の流れの中で各地区にあった中学校を一校に統合するという計画のようです。篠島については統合を目指し協議中とのこと。

他方で、西尾市に属する佐久島では、小中学校を愛知県初となる小中一貫型義務教育学校として統合、市内島外から通学生を募集して学校を存続させており、現状は三島で中学校の形態が異なっています。

公式HP

島の各種情報を一覧表にしてみました。

  出典は前出、愛知の離島 資料編 より

どの教育方式がいいか悪いかとかは分からないし、これらの差が島にどのような影響を与えていくかは分かりませんけど・・・

 島民人口や高齢化率、本土との渡船条件(日間賀、篠島はカーフェリーや別の箇所からの渡船もある)を踏まえると、佐久島で通学制を併用して学校運営を続けていくって、持続可能性を考えるとなかなか厳しいものがありそうだ という印象を受けました。 

個人的には、これくらい少人数で丁寧な教育機関を過ごせたらいいかもね とも思いましたけど、本土から毎日渡船って、親御さんが大変かもなあ。

★情報追記 233/03/09

日間賀島と篠島が属するのが南知多町。そのお隣の美浜町でも、町内七つの小中学校を一貫校に統合する計画があるそうです。 知多半島先端部は、少子化が深刻ですね。

町内7つすべての小中学校を一貫校に統合へ  中京テレビ

 

半田運河さんぽ

知多半島の付け根にある、半田の運河沿いを中心に散策してきました。

半⽥市は、江⼾時代から醸造業や海運業などで栄え、商業や製造業を中⼼に発展してきました。こうした歴史を今に伝える4つの象徴的な⾒所として、半⽥市の観光は、「⼭⾞・蔵・南吉・⾚レンガ」といわれています。また近年では、歴史的な建築物などを⽣かした、新たなスポットやイベントも年々増加しています。
四季折々、様々な魅⼒あふれる半⽥市にぜひお越しください。

半田市観光協会

このあたりは、もともと半田湊を拠点とした廻船(海運)で栄えたまちでした。まちの特産品は「酒」。造った酒を大消費地江戸に捌いていました。でも半田湊が十ヶ川からの土砂で浅くなり大型船の運行に支障をきたすので、元禄年間に十ヶ川河口に開削したのが半田運河のはじまりです。

 下の写真が現在の半田運河。使われていないので、土砂がたんまり堆積していますけど。海が近いから、潮の香りがします。

あるとき、江戸で握り寿司を見た半田のとある酒造家が、「酒造りの副産物として出る酒粕で酢を作ったら、すげー売れるんじゃね?」  とひらめきました。

当時は米を原料にした米酢で酢飯を造っていたのですが、酒粕を原料にした粕酢は米酢より安価で寿司に合ったので大ヒット。彼は大儲けできたし、安価な粕酢により握り寿司は庶民に人気の食べ物になったそうな。

彼の名前は中野(中埜)又左衛門。彼の会社は現在も同族経営で続いており、その会社を現在「ミツカン」と称します。押しも押されぬ大手食品メーカー(酢を中心に)。我が家には二本ありましたが、このマークの酢やポン酢は大抵のうちに一本ぐらいあるんじゃ?

wikiの解説を読んで知ったんだけど、三本線に丸(環)でミツカンと読む。とか 「金のつぶ」納豆も、この会社の製品なんだね。大手納豆メーカーでもあるわけだ。

「味ぽん」などで有名なミツカングループの売上高は約2400億円(2021年度)。国内外の工場や営業拠点に勤務する社員は約3800人にのぼる。
「食酢のシェアは家庭用で7割、業務用でも5割といわれており、業界のトップに君臨しています。また、ミツカンでは代々、創業家一族の中埜家の当主が経営の舵取りを担っており、同族経営の非上場企業です」
「2006年まで公開されていた高額納税者ランキングには、半田市の上位に中埜一族がずらりと並んでいます。ちなみに1999年の前会長の納税額は約8億5000万円で、これは愛知県のトップ。全国でも6番目に高額でした」(経済部記者)

ミツカンお家騒動の内幕 創業家から追放された元娘婿が「離婚成立後も中埜姓を名乗るワケ」

ともあれ、こんな経緯でミツカンの本社ビルはいまも、半田運河沿いにあるのです。意外とこじんまりとしてるな。

株式会社Mizkan(ミツカン)は、調味料と納豆を主力製品とする株式会社Mizkan Holdings(ミツカンホールディングス・非上場)傘下の大手食品メーカー(事業子会社)である。資産管理部門の株式会社中埜酢店などと「ミツカングループ」を形成している。愛知県半田市中村町二丁目6番地に本社を置く。
・・・
江戸時代中期の1804年(文化元年)、中野又左衛門により尾張国知多郡半田村(現在の愛知県半田市)で酒造業として創業。以後、1923年(大正12年)に株式会社化する。連結売上高は1千億円を超えるが株式非上場企業であり、中埜家による同族経営が維持されている。
・・・
当地では日本酒の製造が盛んであった。酒造後に残る酒粕を用いて酢を作り、これは米を用いた酢より安価であったため、江戸時代の庶民の間に寿司が普及する要因となった。1887年(明治20年)、三本線に丸をつけたロゴ「三ツ環(ミツカン)マーク」を商標登録。
・・・
日本における醸造酢のシェアは高い。第二次大戦後、加工・チルド食品に参入し、1964年(昭和39年)に瓶詰めの味付けポン酢の元祖となる「ミツカン味ぽん」・・・を発売。1997年(平成9年)に朝日食品工業を買収し、納豆の製造・販売に参入する。酢の発酵技術を使用した納豆の「金のつぶ」シリーズは、首位のタカノフーズ「おかめ納豆」に次ぐシェアを占めた。

wiki

運河から一本入った通りは、昔のつくりの家や倉庫が並んだ小路になっています。新しい家も景観に配慮して建てられているようで。

ぶらぶら歩くと、中埜一族の中埜半六邸や、清酒「國盛」を醸造している中埜酒造の酒の博物館なんかがあります。

google mapより借用

こちらは無料の酒の博物館で、日本酒の試飲もできるんだけど、僕はドライバーなので無理でした。せっかくだから、一本大吟醸を買ってきたよ〜。

「中埜酒造」ってくらいだから、ミツカンの中埜氏となにか関係があるのかな・・・

中埜酒造㈱は、弘化元年(1844)、小栗富治郎によって創業されました。この初代小栗富治郎が、中埜酢店(ミツカン)の創業者中埜(野)又左衛門から、酒造権(酒株)を譲り受けたときを創業年としているのだそうです。
・・・文明開化の時代を迎えてさらなる発展を願い清酒「國盛」と命名しました。

houzanの気ままな人生3

ふむふむ。ちなみに初代中埜又左衛門はここで酒造権を譲り渡したことになっているんだけど、四代目の中埜又左衛門(代々この名前を襲名するそうな)は甥と丸三麦酒醸造所を設立し、ビール製造に参入。実家が造り酒屋だけに(常滑の盛田家)・・・?

受け継いだ五代目中埜又左衛門が赤レンガの近代的なビール工場を建設。丸三麦酒をカブトビールに改めたそうな。  今も残る「半田の赤レンガ建物」がそれね。

ま、地方のビール会社なので競争には勝てず、最終的にはビール事業は売却されたのだけれど。

1900年(明治33年)のパリ万国博覧会で金牌を受賞し、当時は東海地方で最大のシェアを誇った。
1906年(明治39年)12月に根津嘉一郎が譲受して日本第一麦酒株式会社となり、1908年(明治41年)に加富登麦酒株式会社へ改称する。1922年(大正11年)に帝国鉱泉株式会社と日本製壜株式会社を併合して日本麦酒鑛泉株式会社に改称する。1933年(昭和8年)7月に大日本麦酒株式会社と合併し、1943年(昭和18年)に企業整備令の適用で、半田工場を閉鎖してカブトビールの製造を終了する。
2004年(平成16年)1月、市民団体「赤煉瓦倶楽部半田」がカブトビールを復刻するプロジェクトを企画。同年3月、製造委託先を南知多町の知多麦酒株式会社とすることを決定。

 wiki

いまではこの赤レンガ建物内で、復刻した明治カブトビールと、大正カブトビールが買えるそうです(各600円)。再び、僕ドライバーなんで、呑んでないですけど・・・

うむー、このあたりは、電車で行ったほうが、飲むに良さそうです😂。