正月に関わるいろいろ

「正月」とは、本来は旧暦1月の別名である。改暦後は新暦1月を意味することもある。現在は「三が日」または「松の内」という意味で使用することがある。

松の内は元々は1月15日までだったが、現在は一部地域では1月7日までに短縮している。寛文2年1月6日 (旧暦)、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以ての飾り納めが指示される。最初の通達が江戸の城下に町触として発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられる。

wiki 正月

正月って、元々は1月全体を指す言葉だったんですね。しかしまあ、今では一般的に晴れやかなムードの漂う1月1日から3日までの「三が日」を指すことが多いようです。カレンダーの並びが悪いと4日から仕事が始まりますんで、そこで一気にブルーモードに変化しますから、まあ現実的に妥当な線です。

かつては夏の盆と対応して、半年ごとに先祖を祀る行事であった。しかし、仏教の影響が強くなるにつれ、盆は仏教行事の盂蘭盆会と習合して先祖供養の行事とし、対する正月は年神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになった。

数え年では1月1日に歳を1つ加えていたことから、正月は無事に歳を重ねられたことを祝うものでもあった。

 「初詣」が盛んになったのは、割と新しいことのようです。考えてみたら、参拝者が日本最大を記録する明治神宮なんて、明治天皇を祀ってるんだから、ここを参拝する風習は遡れて大正時代からですな。

「松の内」とは、正月の松飾りが出てるうち っていう意味です。wikiにもありますが、江戸幕府のおひざ元である関東では1月7日まで。関西では1月15日までとすることが多いようです。

1月7日は「人日」(じんじつ)という節句です。七草がゆを食べる日でもあります。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。

また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草がゆとなった。

人日

あれ、雑煮って鶏肉使うんじゃなかった? 正月のお雑煮にはつかわないんだっけな??

と、ともあれ、ここまでが狭く取った場合の「松の内」なんで、年賀状は7日までに送ることがマナーだそう。それを過ぎると「寒中見舞い」にすべきだそうな。。まあ今の時代、マナーはともあれ、近状を記した手紙はなんであれ嬉しい。

ついでに。年賀状によく書く「元旦」の文字。「 旦 」と言う字は太陽が地平線を出たさまを表すので、元日の午前中を指すとか。だから年賀状は、元日の午前中に着くのがマナーなんだそうです。ってことは「元旦の朝に」って書くと、恥ずかしい人になっちゃうのですね・・・。思わずやってしまいそうだよ。

関西は?1月15日までが松の内。松の内が終わって飾り終えた 門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く「どんど焼き」あるいは「左義長」をやるのがこの日。 この日は「小正月」って言います。

1月16日は「藪入り」

藪入り(やぶいり)とは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。旧暦1月16日と旧暦7月16日

旧暦1月15日(小正月)と旧暦7月15日(盆)がそれぞれ重要な祭日であり、嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で実家でも行事に参加できるようにという意図だったとされる.
藪入りの日となると、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物を与え、小遣いを与え、さらに手土産を持たせて実家へと送り出した。実家では両親が待っており、親子水入らずで休日を楽しんだ。
 労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになると藪入りはすたれ、正月休み・盆休みに統合されるようになった。藪入りの伝統は正月や盆の帰省として名残を残している。

wiki藪入り

 帰省は形を変えた藪入りだった(笑)。まあ形は変われど、親子水入らずを楽しみにしているのは今も変わりません。

1月20日 「二十日正月」という言葉もあるようです。

(はつかしょうがつ)とは、日本の行事。1月20日のことを指し、この日を正月の終りとなる節目の日とする土地も多い。

京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を酒粕・野菜・大豆などと一緒に煮て食べることから骨正月・頭正月とも言う。

二十日正月

骨正月ってのは聞いたことがあるな。

1月25日(2020年の場合) 旧正月。 旧暦における元日です。「立春に近い新月の日」ですから、1月21日~2月20日ごろの間で変動するそうです。 まだ旧暦が生きている中国や韓国、香港、台湾、ベトナム、モンゴルなどでは、このタイミングで正月を祝います。中国では「春節」、ベトナムでは「テト」といいます。ベトナム知識だと「テト攻勢」ってありますよね。 

ベトナム戦争において1968年1月30日夜から展開された南ベトナムに対する大攻勢である。この動きは、結果的にベトナム戦争最大の転機となった。「テト」とは「節」という漢字のベトナム語読みで、この場合はベトナムの旧正月を指す。

テト攻勢

日本も正月を旧暦で祝うようにすれば、「迎春」「新春」という年賀状に良く書く言葉たちも、多少は実感を持つのでしょうが、新暦では文字通り「春とは名ばかりの風の寒さ」 です。もっとも今年は暖かいけどな

墓ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

卑弥呼の墓? 箸墓古墳を「透視」調査、宇宙線使い

奈良県立橿原考古学研究所は9日、邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説がある同県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(全長約280メートル、3世紀後半)で、物質を透過する宇宙線「ミューオン」を利用して敷地外から内部の様子を探る調査を実施していることを明らかにした。 宮内庁が天皇・皇族関連の施設として立ち入りを厳しく規制する「陵墓」でミューオンを使った調査は初。古墳の実態解明につながるか注目される。

・・・ミューオンを使った調査は同県斑鳩町の春日古墳や同県大淀町の石神古墳でも実施され、いずれも内部の空洞を確認。エジプトでは、クフ王ピラミッドに未知の巨大空間があることが分かった。

毎日新聞

宇宙線を使った遺跡の調査です。技術的には面白そうな話だな とは思うんだけど、仮に結果として空洞が見つかったとしても、自然崩落かもしれないし、最終的には立ち入り調査できなければ学術的に意味なくないすか?むなしい・・・

ただし、これは研究所の責任じゃないです。『宮内庁が天皇・皇族関連の施設として立ち入りを厳しく規制する「陵墓」 だから』です。

高松塚古墳キトラ古墳は調査できたのに、他はなぜダメなんだろう。

邪馬台国の存在は、中国の歴史書「魏志」に記載されているんですけど、そのその歴史書を編纂した魏王朝の創始者、曹操の墓が見つかったとニュースになりましたね。 (「三国志」の曹操です)

2009年に発見された「曹操の遺骨と墓」が本物と断定される

 中国河南省安陽にある、2009年に発見された「魏(ぎ)の曹操(そうそう)」の墓ではないかとされる遺跡について、河南省文物考古研究院が本物の曹操の墓であり、また遺骨も曹操本人のものであると見てほぼ間違いない、と発表したという。

財形新聞

こんなニュースが流れると、「卑弥呼の墓? と言われる遺跡を調査したい」と言うのは学者としては当然、というか考古学や日本史の発展のためにも是非やるべきことだと思うんですけど、なぜ学術調査も厳しく規制されるんだろう。静かに眠っていてほしい という遺族の意向でもあるのかな・・・

 もちろん簡単な問題じゃないことは分かっていますが、組織として管理する宮内庁の意向ではなく、歴史学を専門とし、遺族代表に相当するであろう徳仁さんに意向を聞いてみたい気がします。(←今上陛下です)

※表題は、大日本帝国憲法第三条のパロディです。現在は無効化されているはずです。僕の理解が正しいなら・・・

この条文では「天皇の神聖不可侵」(天皇の尊厳や名誉を汚してはならないこと)を規定している。また天皇の尊厳や名誉を汚してはならない為に55条において「国政は国務大臣が輔弼し、その責任を負う」となっている。

法解釈としては、無答責の法理の根拠とされ、不敬や身体を害する行為が不敬罪として刑罰の対象になり、また、天皇はあらゆる非難から免れることを意味している。

大日本帝国憲法第3条