熊野旅行記その3 那智大社他

  • 紀伊勝浦駅0825→大門坂0844(バス)
  • 大門坂〜那智大社(熊野古道)〜青岸渡寺
  • 那智山1105→紀伊勝浦駅1130(バス)
  • 紀伊勝浦駅1224→名古屋駅1610(特急南紀6号)

今日は朝少し時間があったので、紀伊勝浦の商店街を抜け、海まで散歩しました。まあ10分くらいで着いちゃいますけど。

海に面したところには、無料の足湯があります。

そういや、熊野には川湯温泉や湯の峰温泉、そして勝浦温泉など高温の温泉があるんですけど、熊野には活火山ってないですよね。どうして温泉が湧くのでしょうか? 

きちんとした理由はまだ解明されていないのですが、一つの説が下のものです。

「海のプレートが陸のプレートの下に沈み込むときに地下深くで熱水が発生し、その熱水が地下水を温めることによって温泉ができる」という考え方がある。

「勝浦温泉 プレートの動きによって生まれた温泉」足湯の解説看板より

ふーん。ってことでバスに乗って那智本宮大社に向かいましょう。

那智大社・青岸渡寺と熊野古道歩き(大門坂)

「大門坂」で下りて熊野古道をちょっと歩きます。パンフレットによれば

熊野古道のかつての面影が色濃く残る「大門坂」を上って、那智山周辺を巡る「おいしいとこ取り」のコース 

だそうです。が・・・

大門坂
夫婦杉

見ての通り雰囲気はありますけど・・・ずっと急な上り坂で、かなりキツイぞ!!!

大汗かいて、門前町までたどり着いて、ああこれが 「おいしいとこ」か!と実感しました(笑)。

那智大社門前名物。和か屋本店「お滝もち」です。おいしそうだったので撮影前に一つ食べてしまったのですが、お餅2枚とお茶でなんと230円! 餅は少し焙って香ばしくしてから出してくれます。これ、丁寧に造られてて旨いですよー。大門坂を上がってくると特にね(お土産にも買ったけど好評だった)。本当は参拝してから食べるものでしょうけどね。

ここが門前とはいえ、本丸にはここからさらに参道を上がらなきゃいけません。どれくらいかと言うと・・・

神社から門前町を望む。

餅屋は門前町にありますから、餅を食べてからも一登りありますよ〜。

那智大社(主神=イザナミノミコト)。ここも社殿はピカピカきれいであんまりありがたみがないですなあ。代わりに天幕の写真を。八咫烏さんです。日本サッカー協会(JFA)のマークとしても有名ですな。

日本のサッカー選手・指導者。サッカーを初めて日本に紹介、その普及に貢献した。 日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークである八咫烏(やたがらす)は、中村の出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をヒントにして、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の後輩の漢文学者・内野台嶺らの発案を基に1931年に日名子実三がデザインしたとされる。

wiki中村 覚之助(なかむら かくのすけ)

※そういえば、那智駅の駅前にサッカーボールと中村さんの顕彰碑がありました。あんまし興味ないのでスルーしてた。

閑話休題。那智大社にお参りしてから、隣の青岸渡寺へ。本堂は豊臣秀吉が寄進した重要文化財ですけど、写真はまあいいでしょう。オタクな僕としては同じ重要文化財でも、鎌倉時代(1322年)建立の宝篋印塔の方が興味あるな。古いものは新しいものとどう違うのか・・・

うーむ、分からねー。言われないと鎌倉時代のものとは見えないし・・・

あと気になったのが「尊勝院」という元宿坊。2009年に閉館したそうだけど、ここ泊まったら那智の滝と三重塔の絶景ポイントだね。庭も手入れされているようだし、門や建物の感じもいいよね。

まだ時間があるので、少し距離があるのですが那智の滝まで歩きます。正確には「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」です。

飛瀧神社

普通の神社のように「神様が本殿に祭られ、拝殿から拝む」という形ではなく、御神体である滝を直接拝む形になっています。 こういう古い形の神社形式としては、奈良の大神神社が有名ですが、

大神神社は三輪山(三諸山)を神体山として直接、拝するようになっているため本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。

wiki大神神社

拝殿もない飛瀧神社のほうが、さらに古神道の形態を色濃く残しているようです。

この付近の山が「那智原始林」で、そこに沢山の滝があるそうです(那智48滝)。この滝が一の滝で、上流に二の滝、三の滝があるとのこと。

そう言えば、二の滝の近くで花山法皇(第65代花山天皇の出家後の呼び名)が庵を結び千日修行されたそうです。この天皇は平安時代、安倍晴明や藤原道長と同世代の人です。17歳で即位し、19才で退位。退位して出家した理由は、女性問題の上に、藤原氏にだまされて出家させられちゃったようですが(笑)。

まあその修行中に「修行が終わったら西国三十三ヶ所巡礼をしなさい」と神託を受けたそうで、ここ熊野から巡礼をスタート。ってなことで、ここ青岸渡寺が 西国三十三ヶ所巡礼の一番札所になってるんですな。

この由緒に天皇が関係することが、「明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した(wiki)」時に役立ったのかもしれません。明治政府としては、天皇の権威をあげることが大事でしたからね。

これでこの旅も終わりです。熊野三山を巡ることで、イザナギ、イザナミ、スサノオの神様のビックメジャー三つを拝んだことになります。さらに伊勢神宮を巡ればアマテラスも揃い、メジャーな神さんをコンプリートすることができます。

あ、そうか。熊野古道の「伊勢路」ってのは、まさに伊勢神宮と熊野を結んだ道ですから、観光パックとしてもうまくできたもんですね。さらに足りない方は霊場高野山を追加したらよろし(高野山と本宮大社を結ぶのが、熊野古道「小辺道」)。たんまりお金使っていってや~(笑)。

バスに乗り紀伊勝浦駅に戻り、昼ごはんは昨夜に引き続きいちりんさんへ行って、マグロ丼を頂きました。

帰りがけに、「マグロの刺身をお土産に買って帰りたいんだけど、どこかいい店ないですかね?」と聞いてみたら、なんとお店のすぐ隣に、ショーケース一つのお店があるそうで、そこを紹介していただきました。「勝浦でも小売りをやる店は凄く減っちゃったよ」でも目の肥えた地元民向きなのでさすがでした。価格は市価の半値くらい、新鮮なマグロ刺身が買えて満足満足〜。

※昼の名古屋行特急「南紀6号」の指定席は、平日にも関わらずけっこうお客さんが載っていたので、早めに予約しておいた方がよいかもしれません。

熊野旅行記その2 本宮大社と熊野古道他

  • 山水館みどりや0800→発心門王子0830(宿の送迎バス)
  • 発心門王子→熊野本宮大社(熊野古道歩き)
  • 熊野本宮大社1115→新宮駅1216(バス)
  • 新宮駅1330→那智駅1409(バス) 補陀落山寺
  • 那智駅1440→紀伊勝浦駅1444(電車)

発心門王子から熊野本宮大社(熊野古道)

旅館を8時に出て、旅館のバスで熊野古道ウォーク(4時間コース)の出発点である発心門王子まで送ってもらいました。 

発心門王子

古道は山間の河川脇を通っているのかと思っていたのですがさにあらず、基本的に尾根歩きになるんですね。一緒に乗ってたご夫婦が「こんな寂しいところから一人で歩いていくなんて!」って言ってました(笑)。

まあ一人で山登りをする僕からすれば、その寂しさというか自由さがたまらなく好きなんですけどね。

ガイドブックには「美しい山里の集落をたどるように古道が残り、アップダウンも緩やかで手軽に歩けるコース」とあります。まあ迷うようなところはないし、キツイ上り下りは少ししかありませんが、雨具としっかりとした靴、水は必須です。しっかり歩かされます。

いくつか写真を並べましたが、こういう景色を眺めながらの山歩き?山里歩きは楽しくていいですね。途中いくつかの集落を通りますが、けっこう過疎がすすんでます。カフェもいくつかあったようですが、すべて閉鎖済。

一番下の写真に「果無山脈」って写ってますね。この旅のお供に持って行ったのが、 宇江利勝「山人の記」中公新書 ですけど、この本の副題はずばり「木の国 果無山脈」とドンピシャでした(笑)。この本、今は消えつつある「山人の営み」を綴った本で、僕の愛読書の一つです。オススメ。

てこてこ2時間くらい歩いて、熊野本宮大社の裏門に出ます。ここまで観光客とは一人もすれ違わなかったんですが、さすがに本宮大社にはちらほらいますね。

この神社は元からここにあったわけではなく、その昔は熊野川と支川の中州にあったのです(旧社地大斎原)。そこの櫟の巨木に神(月)が降臨したことが始まりで、神社の正式名称は「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」です。主神ースサノオ

大社は上・中・下社の三社、十二殿に祭神が鎮座していたので、熊野十二社権現とも言ったんですが、前回触れた「明治二十二年の大水害」で中・下社が倒壊し、残った上四杜のみを高台に移転。この上四社が現在の熊野本宮大社なのです。つまり明治二十二年以前は、さらに大規模な神社だったのです。

バスで新宮駅に戻り、昼食を求め仲町商店街をうろつきますが・・・食堂がない。てか、そもそも開いている店が少ない。

一軒だけColor’sというおしゃれなカフェを見つけました。非常においしかったのですがちょっと高めかなぁ。あとオッサンが1人で入ると、なんとなく居心地悪い、というか。他はみんな女性客でしたし・・・。

こういう時、ラーメン屋、王将、吉牛とかないかなあ と思ったんですが、駅からここまでの間では見つけられませんでした。後で紀伊勝浦方面に向かうバスに乗って国道42号(幹線)を通ったら、この道路に沿ってそういった店やショッピングモール、警察署などが建ってました。田舎は電車は本数が少なくて不便だから、幹線道路上に店が立ち並び、駅前が寂れるモータリゼーション化が進むのも仕方ないのですが、公共交通機関を使う観光客には・・・

補陀落山寺(ふだらくさんじ)

新宮駅から那智駅に向かいます。目指すお寺は那智駅のすぐ前にあるのです。

補陀洛山寺 。隣は熊野三所大神社

ところで、「補陀洛」って「ほだら」って読みそうになりませんか?それもそのはず、この言葉の語源は サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳で、チベットのダライ・ラマの宮殿ポタラ宮と同じだそうです(wiki)。

このお寺は補陀落渡海(ふだらくとかい)という捨身行の出発点として知られます。

船の上に入母屋造りの箱が置かれ、三十日分の食物や水とともに行者が乗り込む。行者が中へ入ると入り口は板などで塞がれ、沖合まで伴走船が曳航した後、人々が海流に流されて漂流していく船を見送る。

wiki補陀落渡海

このお寺から 補陀落渡海したのは25人。補陀洛山寺の住職が主体だったようですが、伝承上最も有名なのは平維盛でしょう。(平清盛の長男が重盛。重盛の長男が維盛。すなわち、平清盛の嫡孫です)

のちに高野山に入って出家し、熊野三山を参詣して3月末、船で那智の沖の山成島に渡り、松の木に清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだして補陀落渡海(入水自殺)したとされる(『平家物語』)。

wiki平維盛

まあ、さすがに江戸時代になると、補陀洛山寺の住職の遺体を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化したようです。今は整備された静かな海が広がるばかりですけど。

このお寺はもともと那智大社(熊野権現)の末寺の一つだったそうです。さらに那智の滝(那智大社)の水が流れ込む湾の頂部に位置しており、 ここにも思想的なものが感じられますね。

ちなみに寺のすぐお隣の熊野三所大神社には熊野速玉、那智、本宮大社の主神(イザナギ、イザナミ、スサノオ)が祭られており、 渡海する行者はここで最後に熊野の神々に祈りをささげたことでしょう。

と、湿っぽい話はこれくらいにして、電車で紀伊勝浦駅(那智勝浦町)に移動し、今夜のお宿へ。ソフトバンクが出資しているOYO-Hotelグループのホテルが、紀伊勝浦駅前にあるのです。「OYO 44422 Hotel&Renta Car 660」

孫正義も唸らせたインド発ホテル「OYO」、日本上陸の衝撃

まあ唸るほどじゃなかったですけど、大浴場(勝浦温泉)、並ビジネスホテル部屋、部屋に加湿器あり。500円の朝食、交通の便よし で、値段的になかなかよいと思いました。

晩御飯は、口コミで評判の良かった「いちりん」さんへ。 那智勝浦は全国有数のマグロ漁基地であり、隣の太地町は鯨の調査捕鯨基地ですから、ここは・・・

新鮮な鯨四種盛りと、マグロの血合い揚げ。いやあ、どちらも新鮮だと臭みも全くなくて、飛び切り旨い。