「米や水田」の経済とかあれこれ

まずは米を栽培するフィールドたる、水田についてです。

・米を作るフィールドだから、英語では「rice field」でいいんじゃね?と思っていました。まあ間違いではないんですが、fieldだと「畑」ですから米畑(陸稲)と取られる可能性があり、「水」田なら「rice paddy」って言うのがいいみたい。

参考 田んぼって英語でなんて言うの

閑話休題。田んぼの面積を表す単位はいろいろあると思いますが、農家で使われるのは「反(たん)」が多いと思います。一反は10aです。概ね30m四方の広さです。(正確には31.5m四方)

その一反の田んぼから、米はどれくらいできるでしょう? うん、これは稲の品種や土地、育て方によってピンキリなんですけど、まあ目安としては一反で8~10俵位。

あ、「一俵」もなじみがないですね。一俵は60kgです。なので、一反で500〜600kg程度の米がとれることになります。 ※昔は一俵担げれば一人前と言われたんだよ。いや僕担げないと思うけど・・・

平成30年産水稲の全国の10a当たり平年収量は、前年産と同じ532kgとなりました。

「平成30年産水稲の10a当たり平年収量」について  農林水産省

さて、その米が一体いくらで売れるのかと言うと・・・まあ、これも品種でピンキリなんですけど、まあ一俵12,000円くらいかな。昨年度は1万円を少し上回る程度だったと思うけれど、ざっとこんな感じ。

すると・・・一反の水田の売り上げは、よくて12万円程度。収入ではなく売り上げ。しかも年間。ここから投入する労働力、除草代、肥料代、農業用機械費、燃料費、固定資産税、用水費を差し引くと・・・

もちろん一反ばかりの水田ではどうしようもない・・・と思われるかもしれませんが、その昔は「三反百姓」という言葉があり、これが最小単位の農家の代名詞というか、食うや食わずの貧困農家を揶揄する言葉だったんだよ。(面積に畑は入れません。面積的には、僕のうちも由緒正しき三反百姓ですな)

これだと米が年間に30俵とれて、年商36万円(笑)。うん、今なら確実に生活していけない。水田を放棄してバイトに行ったほうがいいな。

でも・・・時代を遡り江戸時代。下級武士の給与は米で表されました。例えば「30石2人扶持(30コク2ニンブチ」とか。石のほうは領地面積を示すんですけど、まあ換算すると1石=1俵、1人扶持=5俵ですから、この武士の一家には、1年に40俵の米が支給され、これで1年暮らすんだよ・・・というわけ。年間30俵取りってのも、十分あり得る数値。→※追記有り。 当初、1人扶持=6俵と誤って換算しておりました。修正します。スイマセン。

※御家人の知行1石が蔵米1俵に相当するのは、以下の通りの計算である。
天領の税率が四公六民なので、知行1石からは武士に対しては4斗の収益となる。これを精米することにより約3斗5升となり、蔵米の精米1俵分とほぼ同等となる。

「石」と「俵」  俵(単位)wiki

この貧乏クラスの武家の有名人は・・・幕末の政治家「勝海舟」かな。その実家は41石(=俵)どりの貧乏旗本。著書「氷川清話」を読むと当時の貧乏さがよく分かります。まあ41石はベーシックインカムで、無役(無職)の勝家でも支給されるのです。ただ、それだけでは暮らしていけません。役(仕事)につくと役職手当が貰えるので、仕事につけるよう努力する(親父の小吉は頑張ったけどダメだった)か、バイト(笠張り、用心棒、書写した本を売るとか)に励む必要があるんだな。

また脱線してしまったけど、注目したいのは「一人扶持」という言葉です。

武士1人1日の標準生計費用を米5合と算定して,1ヵ月に1斗5升,1年間に1石8斗,俵に直して米5俵を支給することを一人(いちにん)扶持と呼び,扶持米支給の単位とした。

コトバンク

一日5合の玄米を、朝と夜の二食で2.5合ずつ食べる計算です。実際には支給米を売るなりして、味噌や副産物を得る必要があるので、食べる米の量はもっと減るわけですが、帳簿上は年に米5俵あれば大人一人が生きていけるという計算なわけです。

 ※現代のコイン精米機で玄米30kgを精米すると、白米27kgになります。重量的には玄米の9掛けが白米の重量で、まあほぼほぼ同重量。昔はもっと雑に精米したでしょうから、この記事では白米と玄米は区別せずに書いてます。

江戸時代の水田の収益がどれくらいあったか分かりませんが、現代の半分。一反に5俵取れるとすれば、理屈上「三反百姓」で他に畑があれば、一家で大人3人がギリギリ暮らせることになります。あ、年貢を取られたら無理(笑)。

「武士1人1日の標準生計費用を米5合」という計算はその後の時代もまあまあ似たような数値として適用されたんじゃないでしょうか。例えば宮沢賢治は「無欲の人で1日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」ることを理想としてますね。by「雨ニモ負ケズ」

※太平洋戦争直後の日本で、米の配給が極めて少なかったため、実態に合わせ一時この部分が「玄米三合」と書き換えられていたそうな(笑)。レファレンス協同データベース 井伏鱒二の「黒い雨」には、それが戦時中のことで、批判したら憲兵隊に知れてしまい、きついお叱りを受けた話(創作だろうがあり得そうな話だ)が載っていたと思う・・・

が、その米の消費量も時代につれ減っていきまする・・・

年間1人当たりの米の消費量をおしえてください。

国民1人・1年あたりの米の消費量は、1962(昭和37)年度の118,3kgピークに一貫して減少傾向にあります。2018(平成30)年度には53.5kgまで減少しています。

農林水産省 こどもそうだん

江戸時代には、一人あたり6俵(360kg)換算だったコメの消費量が、現代では1俵弱(53.5kg)になっていて、一方で機械化や化学肥料の投入により、面積当たりの収量は増加していると・・・経済面から見ると、これ以上米価が上がるとか望み薄です。

なので、大半の水田持ち元農家は、水田を「オペレータさん(大型トラクターとかコンバインを操作するのでこう呼ばれる)」に貸し出しています。この経済環境下で水田を維持していくには、土地を集約し機械化を進め(ドローンで消毒したり)、生産コストを抑えるしかないからです。 固定資産税や用水費は個別の農家が負担し、それとは見合わない賃料もしくは米の現物支給を受けるだけなので、本当は耕作放棄、相続放棄したいくらいです。でも雑草が生えると周りの水田に迷惑がかかるから、周りに水田のない山奥の田んぼでなけりゃ、なかなか放棄できないのが実態でしょう。

国は農業の振興を掲げてはいますが、いっそ水田は固定資産税ではなく、米の現物納税とし、公務員の給与に米を支給したらどうでしょう? 米が大事なら、その消費先を産み出すのもその仕事です。 貧乏人は米を食え ならぬ、公務員は米を食え!です。

てか、もともとお役人の給与は米の現物支給が建前だったんだから、改悪ではなく先祖返りするだけですから(笑)。そもそも、水田にかかる税金が現金になったのは、明治時代になって近代国家が樹立されてからだもんね(地租改正)。

それまでは米の物納でしたから、米価変動のリスクを負うのは、農家ではなく政府やその支給を受ける役人(武士階級)の役目だったんですよね。米の価格が下がると翌年の国家予算なり、役人の(金額ベース)給与が激減しちゃうわけ。

いま考えると、明治以前の政府って、すごいリスクを背負ってたんだな・・・徳川吉宗が財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍と呼ばれた(wiki) のもよく分かりますね。

近代国家である明治政府は、その変動リスクを個々の農家に転嫁し、物納を地租(固定資産税)という安定した現金収入に転換したことで予算を確保し、富国強兵に突き進む近代国家となったわけです。ま、諸外国をみてもそれが避けられない道だったんだけど。

が、いまならベーシックインカムとして、現金じゃなくて集めた米を全国民に配ったらどうよ?水田維持(環境保全)にもなるし、金は喰えんけど、配った金で買うインスタントラーメンより健康的だし、安いし栄養バランスもいいでよ。→アメリカでは必要な人に「フードスタンプ」を配ることもあるようだから、お米券配るのはあり得ない話じゃないよね。

追伸。質問を頂きました。「実質的に同じ米40俵の支給になるのに、30石2人扶持と40石って何が違うの?」と。

本文中では実質的に同量の米の支給になるとしか書いてないから、確かに違いが分かりませんね。答えは「同じ収入だとしても、明確に身分が違う」です。

まず「40石」の方です。この武士は40石の米がとれる土地が与えらえれます。与えられる土地を「知行地」と言うので彼らは「知行取り」と呼ばれます。江戸の始めの頃、彼らは小さな知行地の「領主」として、直接年貢を徴収して生活していました。その後、幕府からそれに相当する量の米を支給されるように変わり、実質的には後で述べる「扶持取り」と変わらなくなりますけど、身分の上では彼らは徴税権をもつミニ領主様。 

一方「2人扶持」の武士は、雇われて定額の給与(この場合は米10俵)をもらう存在です。つまり我々と同じ雇われサラリーマン。こちらを「扶持取り」と言います。

領主とサラリーマンなら、領主の方がエライというか、サラリーマンとは身分が違いますね。だから結果として同じ40俵の米を貰う武士だとしても、40石>30石2人扶持>>8人扶持というような明確な武士階級内部の身分差があったのです。

ちなみに、本文中に「下級武士」って書きましたけど、これは身分を表したものでははなく、分かりやすく低収入どうかというだけの評価ですんで、40石の知行取りも30石2人扶持も8人扶持もひとしく下級武士でしょう。

「山川草木悉皆成仏」という思想(2)

先回からの続きです。先回は、「一切衆生,悉有仏性」から「山川草木悉皆成仏」への変容において

①「成仏の可能性がある(仏性)」と「成仏する」と差はどこから来たの?

②「衆生」ではない草木、山や川がどうしで成仏できるようになったんだ?

という二つの疑問を上げました。・・・回答にならないまでもそのあたりを追えればと。

「成仏の可能性がある(仏性)」と「成仏する」と差はどこから来たの?

先回、大本の仏教の根本思想は、「輪廻から逃れたければ、仏教修行をして解脱(悟りとか成仏)しなさい。」だと書きました。これは大乗仏教以前の「部派仏教(小乗仏教)」の考えなんですけど、これだといろんな事情で修行できない人は救われる(成仏)できないのでしょうか? それに、修行の末に確実に解脱できるわけじゃないですよね? 答えはいずれも「はい、出来ません」だと思います。

え、それは凡夫にはひどすぎる・・・ってことで、修行できない人にも救済の道を開く手段が考えられていきます。(大乗仏教)

修行によって悟りまで到達するのは凄く大変だし、相当の知的能力と意志が必要とされる「難行」だが、それらが十分でないものには、「信じる」ことを根本とするもっと容易な方法ー念仏を唱える(称名という)「易行」という方法もある    「十住毘婆沙論」

この段階(中国浄土教)では、本当は難行(修行)が尊いのだけど、それができない人は易行(信じて念仏を唱える)もあるぜ というくくりですが、まあこれなら凡夫も救われるかも・・・。

ところが、これが日本に伝わるととさらに発展し、仏(阿弥陀如来)が善人悪人を問わず誰でも成仏させて下さる というさらに過激な思想に変容します。つまり、「衆生は修行して成仏する(衆生仏性)」という自力救済色が強かったものから、「仏を信じ念仏を唱えれば、誰でも成仏できる(衆生成仏」の方向へと変化していったのです。(浄土宗、浄土真宗)

 ※そこまで根本思想が変化したものを、同じ「仏教」と言ってしまうのは、仏教の奥深いところと言うべきでしょうが、一方で乱暴だとみることもできます。(「救済」思考が現れた大乗経典は、すべて釈迦とは無関係な偽経 という説もあります。江戸時代の思想家富永仲基)

まあ仏教内部でも、さすがにその思想は極端じゃね?という揺れ戻しもあり、もう少し当初の「修行重視に戻るべき」「あるいは修行そのものが仏道」と考えたのが、「禅宗」の位置づけなのかと。しかしここまでくると、「信じるものは救われる」というか、ほぼキリスト教の「救済」と変わらない気が。救ってくださるのが阿弥陀如来かGODかだけの違いだけ・・・みたいなもちろん差異はあるけどね。(実際、司馬遼太郎氏が戦国時代の日本でキリスト教が受容された要因として、救済思想の強い一向宗(浄土真宗)の広まりが、その重要な素地にあったのではないかと書かれています。)

②「衆生」ではない草木、山や川がどうしで成仏できるようになったんだ?

インドから中国に仏教が伝来した際に、そこには孔子・老子・荘子の思想(形而上学)があり、特に伝来初期には老子の思想的観念を利用して仏教を解釈したので、その考え方が入ったからじゃないのかとのこと。

まずは・・・次の二つの議論を読んでみてください。

東郭子(東)が荘子(荘)に尋ねた。「道といわれるものはどこにあるのかな」荘「どこにだってあるよ」東「はっきりきめてくれると、いいんだが」荘「オケラやアリの中にあるよ」東「なんと下等なものだね」荘「アワやヒエのなかにだってあるよ」東「なんとまたいよいよ下等になったね」荘「瓦や敷瓦にだってあるよ」東「なんとまたいよいよひどいね」荘「大便や小便にもあるよ」東郭子は黙ってしまった。

雲門和尚はある僧から「仏とはどういうものですか」と問われて「乾いたクソの固まりじゃ」と答えられた。

前者は、荘子 秋水篇にある問答です。 後者は「無門関」という禅宗の公案集にある問答でいずれも有名なものなんですけど、この二つは「道の思想」「仏教(禅)の思想」の違いは有れど、同種の思想を持っているように思われます。 すなわち、万物に「道」あるいは「仏(仏性)」は存在する というような。 

そもそも中国の思想では「子、怪力乱神を語らず」と言うように、「死後の世界」「前世「来世」というものにほとんど関心を示さないのが特色だそうです。すなわち、輪廻とか衆生という理論にあんまり関心がないのですね。

だから、このような思想をもって仏教を解釈すれば、草木山川だって、等しく成仏できるのではないか となりそうですな。

てなことで、「衆生成仏」の思想がインドから中国へ、そして日本へ伝わり土地に適応していく中で、いつしか「山川草木成仏」という形に変容して来たもののようです。

もっとも、同じ草木成仏と言っても、中国仏教ではあくまで「有情のものが成仏するのにあわせ、はじめて無情のものである草木も成仏できる」という依存関係があるのに対し、日本では、中国由来の依存説と草木それ自体が仏性を持ち、自ら成仏できる」という両説が並立しており、日本の方が、より草木の仏性を認める説が強いようですが。

やや未整理ですけど、いろんな本を読んで「こんな感じかな」ってまとめてみました。本当はもっと複雑なんだけどね。 詳しいことが知りたい人は、以下のような本を読んでみてください。

  • 末木文美士「草木成仏の思想」
  • 南直哉「超越と実存 「無常」をめぐる仏教史」 →草木成仏を扱う本ではありませんが、一人の人が統一した視点で描いた仏教史(あんまり仏教臭くない)で、非常に読みやすいです。
  • 司馬遼太郎「このくにのかたち一(日本と仏教)」「街道をゆく17(島原・天草の諸道)」
  • 金谷治訳注「荘子」  岩波文庫では4分冊です。知北遊篇は第三分冊です。
  • 西村恵信訳注「無門関」 この公案に無門さんがコメントつけてんだけど、なかなかひどくて笑っちゃいます。こんなコメント書くなら、この公案を載せなきゃいいのに。