今日は建国記念の日

今日2月11日は建国記念の日で、祝日でしたね。ところで日本の建国の日ってどうやって決まっているかと言うと・・・

2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。

wiki 建国記念の日

ふーん。

まあ神話なんですけど、古事記あたりを参考に、このあたりの神話に登場する主な人物を系図に表すと、こうなります。

日本と言う国は、イザナギとイザナミの神様が生んだんですな。他にもたくさん神様を生むんだけど、結局出産時のけがでイザナミは死んでしまいます。イザナギは奥さんのことが忘れられなくて、黄泉の国まで会いに行くんですけど、いろいろあって逃げ帰って来ます。(かっこわる)

帰ってきたイザナギ、汚れた身体をみそぎした際にいろんな神様が生まれるんですけど、その中にアマテラスオオミカミ(姉)とスサノオ(弟)がいます。 アマテラスオオミカミは、伊勢神宮に祭られていますね。

アマテラスオオミカミとスサノオの間には、誓約により何人かの子供が生まれました。アマテラス曰く「スサノオの剣から生まれた女の子はスサノオの子。アマテラスの玉から生まれた男の子は私の子。」すごい裁定ですねー。その長男に当たるのがアメノオシホミミノミコト。

アマテラスやスサノオたちは、高天原(タカアマガハラ・天)に住んでるんだけど、スサノオは乱暴が過ぎて追放されちゃいます。んで、現世(出雲の国)に下りてくるわけ。出雲でヤマタノオロチを退治したりして、最終的に葦原中国(アシハラナカツクニ)を支配することになります。

※葦原中国 =大八島の国(日本)?

時は流れ、 葦原中国はスサノオの子孫・オオクニヌシノミコト(大国主命)が治めてます。が、 アマテラスオオミカミが突然こう言いだします。「 葦原中国は 本来私の息子の アメノオシホミミノミコトが治めるべきだ」 アメノオシホミミノミコトは「葦原中国は荒ぶる神がいっぱいいるからやだ」と拒否。周りの神様たちは相談して大国主に「国を譲るよう」何回か使者を立てます。

大国主は使者を丸め込んだり、「わしゃ決められんで息子(一番の反対派がタケミナカタノミコト) に聞いてちょ」と精一杯抵抗しますが、最後は条件付き降伏。 大国主は出雲大社に、 タケミナカタノミコトは諏訪大社に祭られることで、 葦原中国はアメノオシホミミノミコトの支配下になります。(国譲り神話)

アメノオシホミミノミコトは 母親であるアマテラスから「行って支配せよ」って言われるんだけど、「子供が生まれたんで、彼を行かせましょう」と返答。この子がニニギノミコト。日向国の高千穂山に下ります。アマテラスの孫が下るので、これを「天孫降臨」といいます。

てか、神様のくせにアマテラスなかなか強引です。それとアメノオシホミミノミコト、弱すぎていや~。 この時代の天皇家、完全に母系支配です。

降臨したニニギとその子孫は、九州あたりで暮らしていたと思います。ニニギのひ孫であるワカミケヌノミコト氏(45)は、「天下を治めるには東に行かねば!」と兄弟とともに東を目指します。(中二病にしては遅すぎじゃね?)

浪速・奈良あたりで苦戦するんですけど、方向を変えて熊野方面から攻めたところ、天から使わされた八咫烏(足が三本ある神のお使いカラス)の導きも得て攻略成功・・・。 畝傍橿原に宮殿を立て、初代の天皇として即位した・・・と言われています。それが 紀元前660年1月1日 (旧暦) 。

最終的に神武天皇は、即位76年で死去。享年127歳(『古事記』では137歳という) 。うん、まさに伝説上の話だ・・・

参考文献 梅原猛「古事記」学研M文庫

正月に関わるいろいろ

「正月」とは、本来は旧暦1月の別名である。改暦後は新暦1月を意味することもある。現在は「三が日」または「松の内」という意味で使用することがある。

松の内は元々は1月15日までだったが、現在は一部地域では1月7日までに短縮している。寛文2年1月6日 (旧暦)、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以ての飾り納めが指示される。最初の通達が江戸の城下に町触として発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられる。

wiki 正月

正月って、元々は1月全体を指す言葉だったんですね。しかしまあ、今では一般的に晴れやかなムードの漂う1月1日から3日までの「三が日」を指すことが多いようです。カレンダーの並びが悪いと4日から仕事が始まりますんで、そこで一気にブルーモードに変化しますから、まあ現実的に妥当な線です。

かつては夏の盆と対応して、半年ごとに先祖を祀る行事であった。しかし、仏教の影響が強くなるにつれ、盆は仏教行事の盂蘭盆会と習合して先祖供養の行事とし、対する正月は年神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになった。

数え年では1月1日に歳を1つ加えていたことから、正月は無事に歳を重ねられたことを祝うものでもあった。

 「初詣」が盛んになったのは、割と新しいことのようです。考えてみたら、参拝者が日本最大を記録する明治神宮なんて、明治天皇を祀ってるんだから、ここを参拝する風習は遡れて大正時代からですな。

「松の内」とは、正月の松飾りが出てるうち っていう意味です。wikiにもありますが、江戸幕府のおひざ元である関東では1月7日まで。関西では1月15日までとすることが多いようです。

1月7日は「人日」(じんじつ)という節句です。七草がゆを食べる日でもあります。

古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。

また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草がゆとなった。

人日

あれ、雑煮って鶏肉使うんじゃなかった? 正月のお雑煮にはつかわないんだっけな??

と、ともあれ、ここまでが狭く取った場合の「松の内」なんで、年賀状は7日までに送ることがマナーだそう。それを過ぎると「寒中見舞い」にすべきだそうな。。まあ今の時代、マナーはともあれ、近状を記した手紙はなんであれ嬉しい。

ついでに。年賀状によく書く「元旦」の文字。「 旦 」と言う字は太陽が地平線を出たさまを表すので、元日の午前中を指すとか。だから年賀状は、元日の午前中に着くのがマナーなんだそうです。ってことは「元旦の朝に」って書くと、恥ずかしい人になっちゃうのですね・・・。思わずやってしまいそうだよ。

関西は?1月15日までが松の内。松の内が終わって飾り終えた 門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く「どんど焼き」あるいは「左義長」をやるのがこの日。 この日は「小正月」って言います。

1月16日は「藪入り」

藪入り(やぶいり)とは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。旧暦1月16日と旧暦7月16日

旧暦1月15日(小正月)と旧暦7月15日(盆)がそれぞれ重要な祭日であり、嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で実家でも行事に参加できるようにという意図だったとされる.
藪入りの日となると、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物を与え、小遣いを与え、さらに手土産を持たせて実家へと送り出した。実家では両親が待っており、親子水入らずで休日を楽しんだ。
 労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになると藪入りはすたれ、正月休み・盆休みに統合されるようになった。藪入りの伝統は正月や盆の帰省として名残を残している。

wiki藪入り

 帰省は形を変えた藪入りだった(笑)。まあ形は変われど、親子水入らずを楽しみにしているのは今も変わりません。

1月20日 「二十日正月」という言葉もあるようです。

(はつかしょうがつ)とは、日本の行事。1月20日のことを指し、この日を正月の終りとなる節目の日とする土地も多い。

京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を酒粕・野菜・大豆などと一緒に煮て食べることから骨正月・頭正月とも言う。

二十日正月

骨正月ってのは聞いたことがあるな。

1月25日(2020年の場合) 旧正月。 旧暦における元日です。「立春に近い新月の日」ですから、1月21日~2月20日ごろの間で変動するそうです。 まだ旧暦が生きている中国や韓国、香港、台湾、ベトナム、モンゴルなどでは、このタイミングで正月を祝います。中国では「春節」、ベトナムでは「テト」といいます。ベトナム知識だと「テト攻勢」ってありますよね。 

ベトナム戦争において1968年1月30日夜から展開された南ベトナムに対する大攻勢である。この動きは、結果的にベトナム戦争最大の転機となった。「テト」とは「節」という漢字のベトナム語読みで、この場合はベトナムの旧正月を指す。

テト攻勢

日本も正月を旧暦で祝うようにすれば、「迎春」「新春」という年賀状に良く書く言葉たちも、多少は実感を持つのでしょうが、新暦では文字通り「春とは名ばかりの風の寒さ」 です。もっとも今年は暖かいけどな