二人の組織トップの決意 

8月26日、本人にとっては不本意な批判にさらされた二人の日本人(ともに70代)の組織トップがコメントを出しました。 まあ一人は「元トップ」だけど。

批判の中身の正当性も、興味もないけど(一方は辞任で事実究明をうやむやに終わらせることが見えてるから)、 二人のコメントは対比的で、しかも同日ニュースで印象的だったから、ここに残しておこうかと。

 トランプ米政権が制裁対象に追加した国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長が26日、オンラインで記者会見した。赤根氏は「ICCは決して負けない。正義は常にこれと対極にあるものに優越しなければならない」と述べ、米国の圧力に屈しない決意を示した。

米国が制裁対象追加のICC・赤根智子所長「決して負けない」「法の支配の危機」…オンラインで記者会見

(辞職の理由は)「来年春の統一地方選挙への影響を考慮して」

 NHKラジオニュース (NHKジャーナル 8月26日 22時~)

こういう言葉を使ってはいけないけれど、「彼女は雄々しく、彼は女々しかった」という印象です。しかし国内ニュースを顧みるに、、「彼」がトップを務める日本の組織って多いですよね。 それを受け一つの文章を思い出しました。 たとえそれが理想郷にすぎないとしても。

罪を犯したら男らしくこれを認めて罰を受けよ、これがパブリック・スクール精神といわれる。リースでは学年度最終の日曜日の礼拝は、必ず校長がみずから司祭して卒業生に餞の言葉を贈るのが例である。
 この度、学窓を出る諸君が揃って立派な人間になることは理想ではあるが、今日の社会ではまだそのようなことは到底望めない。志を得るもの、然らざるもの、社会が諸君を遇する道は千差万別であろうが、諸君の母校が諸君を遇する道は常に同じく、大臣、大将、僧正、社長、腰弁、巡査、兵卒、郵便脚夫、いずれの諸君をも、歓び迎える校門の広さに差別はない。一つのクラスがそのまま社会の縮図である以上、あるいは諸君の中から刑法を犯した罪人が出るかも知れない。男らしく己の非を認め潔く規定の服罪をすませた後は、彼とても母校は悦んで迎えるであろう。ただその然らざるもの、罪を犯して逃れんとするもの、罪を他に転じて一人免れんとするものに対しては、リースの鉄門は永久に開かずの門たることを承知すべし。男児は、罪悪においても、なお、男児らしくあれ。

 池田潔「自由と規律ーイギリスの学校生活ー」

生活道路の法定速度が引き下げられる時代~新世界へ~

生活道路に関して、2026年9月1日から改正道路交通法が施行され、生活道路における自動車の法定速度がこれまでの「時速60km」から「時速30km」に引き下げられます。

えっ…いつもの道で「一発免停」に!? 9月から「生活道路」の法定速度が“時速30キロ”へ! どんな道路が対象になる?

9月から、生活道路での制限速度が30kmに引き下げられますね。僕はこのニュースを聞いて、こう思いました。 「いよいよ日本の高齢化もここまで進展したか」 と。

規制の趣旨は分かりますよね。生活道路は幹線道路と違い、自動車だけでなく歩行者や自転車も頻繁に行きかううえ、道幅が狭く動線が明確に区分されていません(安全確保が難しい)。そこで自動車の速度を制限することで、歩行者等との衝突のような重大事故を防止し、人の命を守るため です。

趣旨に異論はありません。僕はどちらかというと車側なので、規制は面倒だなあとは思うけれど、自分も他人も確かに危険を感じる時がありますから。ゆえにこの法律改正はやむを得ないとは思います。 近い将来、僕も高齢者側になるし(笑)。

が、問題はなぜその法改正が今となったのか です。生活道路での自動車と歩行者等との接触は昔からあることですし、安全を目的にやるなら「交通戦争」と呼ばれた高度成長期にやるべき政策だったでしょう。

生活道路でスピードを出す車が多いのは、主要道が混んでいて、生活道路を抜け道に使う人が多いからです。 普段はゆっくり走らせる人でも、仕事の都合で急いでいるから(あるいは寝坊して会社に遅刻しそうだから)、抜け道として生活者道路を使うのです。だからスピードが出るし、視点を変えると危険行為ともなる場合もあるでしょう。それは今も昔も変わりません。なのに今まで規制せず、なぜ今になって規制するのか。

僕の考えはこうです。

日本社会で2主体のバランス均衡が崩れたから。その主体とは現役世代と高齢者世代です。 

バランスとは現役世代(主に車を運転する人)の「生活や仕事のために急ぎたい、抜け道も使いたい」という利便性と、地域住民(通勤等で車を使わない、主に高齢者世代)の「静かに安全に暮らしたい」という要望との間のもの。 

*地域住民には、現役世代も子供世代もいますが、現役世代は地域住民かつ運転者として両者を兼ねていることが多いでしょう、子供世代は急激な少子化で地域にほとんどいません、ここでは考える必要がないくらいの誤差範囲に収まってしまう・・・

これまでは「少子高齢化」と言われつつも、現役世代と高齢者世代のバランスがギリギリ取れており、両者の均衡点として「生活道路だからスピード落としてね」看板の設置(運転者のマナーに期待)程度で済まされていました。 

審判役となる行政も経済活動や通勤の利便性を重視、また正直幹線道路の整備が遅れている以上、生活道路への流入をある程度「必要悪」として容認していたことでしょう。(人口的に現役世代が多かったから。下手に「生活道路への流入」を取り締まると、「俺らだって走りたくて生活道路を走ってるわけじゃない。幹線道路がまともに走れないからだ。行政は文句を言う前に整備をして、ちゃんと走れるようにせよ」と正当なおしかりが来る)

まあ「運転者のマナーに期待」なんて実際はほとんど期待できないことは、関係者みんな「暗黙の了解」の上。ある均衡がとれていました。・・・文句が出てる以上何もしないわけにはいかんが、そうは言ってもなあ・・・「お互い仕事で急いでいるんだから」「お互い様だしな(自分も通勤経路でよその生活道路を抜け道に使ってるから強くは言えん)」→「地元の道だけど大目に見よう」という意味での均衡。良い悪いの問題ではなく、バランスを考えた妥協点として。

が、昨今の「生活道路の速度規制(法律による厳しい規制)」まで行くと、急激に片側に天秤が触れたことになります。(幹線道路の整備なんて全然できてないのに!)なぜ天秤が傾いたのか。現役世代人口が急減し、社会の主役(マジョリティ)が高齢層に移ったことで、行政も「急ぐ現役世代に忖度するメリット」が薄くなり「ゆっくりを願う地域住民の安全・平穏を忖度するメリット」へと傾いた ということだと思うのです。

AIの発言を借りてまとめれば

単なる交通ルールの変更というよりも、「人口減少・超高齢化社会になった日本が、何を優先して何を切り捨てるか」舵を切った瞬間を、まさに身近な道路の景色からリアルに実感されたのだと思います。

という感じです。

少し前にあった、「自転車の歩道通行に対する青切符(反則金)の導入」も同様の構造が見られるのではないでしょうか。 確かに自転車のマナーも悪すぎるけど、そもそも自転車が安全に走れる車道脇が全然整備されていない状況は昔から変わりありません。

今までなら、「青切符を切る」なんて非難ごうごうだったでしょうが、社会の主役(マジョリティ)が現役世代から高齢層に移った という補助線を引けば、なぜこのタイミングであの政策が実現できたのか が見えてくるように思います。

あ、僕は 現役世代と高齢者層の対立を煽りたいわけではなく(これは事実として淡々と受け入れる話でしょう。)、これからの日本では、この構造変化を考慮に入れると、これから起こるであろういろんな変化の理由が説明できるし、予測も立てられるだろうということが言いたいのです。

追記 ちょっとAIと対話して指摘され気が付いたんですけど、「生活道路」の法定速度が“時速30キロ”へ引き下げられると、ナビが「生活道路」を抜け道としてナビ対象にしなくなりますよね。 すると・・・

運送業ってどうなるんでしょ? ここ最近、運送業の「ラストワンマイル」(家までの最終旅程)って、軽バンに乗った素人の方が届けてくれるでしょ。 (佐川とかクロネコとかプロの人はほとんど見かけませんね) あの人たち、スマホのナビに頼って配達してますよね。(素人だから当然だ)すると・・・

ナビは「生活道路」を抜け道として表示しない→馬鹿正直に幹線道路を通ると渋滞 →無視して生活道路入っても法定速度30km  法律無視して速度違反で捕まると罰金 → 運送の効率だだ下がり  結果、今の「荷物一つ運送して〇円という運送システム」そのものが成り立たなくなるのでは!(法律守ると彼らは暮らしていけないっす)

「人口減少・超高齢化社会になった日本は、安全を優先し生活・生産性を切り捨てるか」