無駄金ばらまくなら、俺らにくれよ

2024年4月2日、経産省は、最先端半導体の製造を目指すラピダスに、2024年度で最大5900億円を支援すると発表した。ラピダスへの支援額の累計は最大9200億円となり、対TSMCに次ぐ規模となる。
現在、国内で製造できる半導体は40nm台にとどまっているが、ラピダスは、2020年代後半に2nmの次世代半導体の量産を計画している。 

日本の「半導体業界復活」に絶対的に必要な3つ

「YS-11以来、約40年ぶりの日の丸旅客機」との経済産業省の甘言に乗せられた三菱重工業が約1兆円の資金を溶かした末、ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の開発を断念してからわずか1年余。国の出資金500億円を棄損させた経産省が性懲りもなく「日の丸ジェット機」開発の国策プロジェクトに再び動き出し、霞が関や市場でひんしゅくを買っている。

また懲りずに血税5兆円を…!? 国策「日の丸ジェット」の見果てぬ夢に「エリート官僚」たちが固執する「大ひんしゅくの理由」

経産省という役所には、無駄金が有り余っているようです。「ノトーリアスMITIの夢をもう一度」なんでしょうけど、プロジェクトXみたく夢を追いかけるなら自腹でやれや。

高度成長期、企業と手を携えて世界に挑んだ役所は「ノトーリアスMITI(悪名高い通商産業省)」と呼ばれた。民間の自由な競争を邪魔しているとの批判だ。それでも経済大国になったのだから、向こう傷のようなもので当人たちは誇らしくさえ思っていたふしがある。

この悪名は誇れない  産経新聞

役所が巨額の補助金つけてうまく言った事例、ダメだった事例、きちんと第三者が採点して、それでも合格点取ってるならやればいいと思うけど、そういう採点表は寡聞にして聞かないですねえ。(記憶の中では失敗ばかり)

そもそも、「商売して金を稼ぎ、その中から自分の給与をまかなう」経験がない人(公務員)に、次世代の国の飯の種を目利きさせ巨額の出資金をつける権限を与える というのが間違いだと思うです。 金の無駄遣いだから国民に還元(減税)してください。

そんでも続けると、国産で(ビジネス)ジェット機作れると、商売としていいことがあるんですか?  戦闘機なら国産にこだわることも必要かもしれませんけど、それは防衛省の仕事で、経産省の範疇じゃないし。

航空機産業の実情を考えると、資金さえ投じればどの企業でも機体を製造することは可能であり、ジェット旅客機分野では新規参入だった三菱重工にとっても、製造そのものに躓くということはあり得なかった。

同社が失敗したのは、アメリカの型式証明が取れなかったという手続き上のミスに加え、証明が取れたとしても採算が合わないというビジネス上の問題だった。

米ボーイングと欧州エアバスの2大メーカーがやっていけるのは、大型機に注力し圧倒的なシェアと生産量で何とか利益を捻出しているからであり、逆に言えば、この2社がギリギリで経営している以上、新規参入するのは極めて難しい。小型機となれば利益の確保はさらに難しくなるだろう。

日本企業はジェット機を作れる…それでも国産旅客機への挑戦が「次も失敗する」「無駄遣い」と言える理由

 現状、日本に航空機の大手完成メーカーはなくても、優秀な航空機部品メーカーはたくさんあります。半導体の分野だって、「最先端半導体」だと遅れていても「半導体製造装置」では高いシェアを持っています。 むしろ部品へのこだわりが日本の強みでしょうから、役所としてはそこを強くする方向へ走るほうがいいのではないかと思うのですが。

と思ってたら、先に紹介した記事で痛烈な反論が。代表的な半導体製造装置会社の社長が、「役所は余計な事すんじゃねえ!」 だそうで。(オブラートに包んでいますが)

半導体製造装置大手の東京エレクトロンだ。同社の 時価総額は10年で16倍となり、トヨタ自動車についで、時価総額が日本で2番目に大きい企業となった。半導体の主要4分野の製造工程で世界1位、悪くても2位の装置を多数持つ。とりわけ最先端の半導体製造に不可欠の極端紫外線(EUV)向けは、シェア100%であり、世界をリードしている。


同社の河合利樹社長は、3月30日付の日本経済新聞のインタビュー記事「半導体投資、国に頼るな」の中で、「国は直近3年で半導体の関連予算を約4兆円確保した。国の支援がなければ世界屈指の競争力を取り戻すという目標は達成できないのか」との質問に対して、「半導体の重要性が再認識され、政府が支援をすることは業界の一員として非常にありがたい」としながらも、次のように述べている。
「企業は持続的な成長が求められていて、国の支援頼みにならないように戦略を考えていく必要がある」「企業が成長するには、利益が必要」。そして、「そのために、世界をリードする技術力、継続的に成長投資を図り、実現に必要な人材」の3点が重要だとしている。

立場上、「国の支援は不要」とは言えないだろうが、「成長のために利益が必要」との答えから、真意は明らかだ。

実は・・・強い部品メーカーがさらに強くなるお手伝いをしようとすると「経産省の補助金なんて不要」と言われたのでしかたなく(補助金行政存続のため)、完成品メーカーをつくる! というシナリオをでっちあげ実行中・・・というのが真相なんじゃありません? 

と勘ぐったのは、別の省庁のもっと露骨な政策を目にしたからです。

文部科学省は26日、博士の数で世界トップ級をめざす「博士人材活躍プラン~博士をとろう」をまとめた。人口100万人当たりの博士号取得者を2040年に現在の3倍にするのが目標だ。大学院教育の改革や学生への支援強化で博士課程に進む学生を増やすとともに、産業界と連携して博士号取得者のキャリアパスを拡大するという。

博士の数、世界トップ級目指す 「2040年に3倍に」 文科省

はあ、これ少子化で学生が減り経営に困った大学と権限縮小を恐れる文科省が、それを少しでも補うため博士学生を増やしましょう っていう魂胆ですよね。 博士課程への進学が少ないのは、本音では産業界も大学も博士なんていらねと思っており、大金を払っても卒業後の需要と供給が釣り合っていないからです。 

文科省によると「主要国のなかでは、日本のみ減少傾向が続いている」という。博士課程に進む学生も減っており、日本の科学力や研究力が低迷している一因とも指摘されている。
 背景として、学生たちの将来への不安がある。科学技術・学術政策研究所の調査では、修士課程の学生のうち「博士課程に進学すると経済的な見通しが立たない」「博士課程修了後の就職が心配だ」と答えた人が3割を超えていた。

同上

省益やら関連団体の利益を「国策」というオブラートに包んで無駄金消費するの、もうやめた方がいいと思うな。日本はもう、ひとたび震災があれば、日々の生活を立て直す支えもできないほど、余力がないんだから。俺らに返さないなら、せめてそっちへ回しません?

被災地を見て回り、たくさんの人から話を聞き、現状を知ったひろゆき氏。地震から4カ月を迎える能登の今をどう感じたのか。
「ここまで放っておくのはあまり見ないんですよね。起きたことは天災なんですけど、今の景色はもう人災だと思っている。この状況を何とかしたほうがいいと思っている人が少数派で、能登を見捨てるというのは日本の皆さんが望んだ結果。政府は何もしないということなのかなと思っています」(ひろゆき氏)

ひろゆきが能登訪問「今の景色は天災じゃなく人災」 震災から4カ月も変わらない街、進まぬ公費解体

県教育委員会は、奥能登の小中学校に通う児童・生徒の数が能登半島地震の後、およそ650人減少したと発表しました。

奥能登の小中学生 約650人減少 地震の影響で転校など増加

もう、わたしは台湾国民になりたひ・・・

4月23日未明、台湾東部を再び震度5以上の地震が襲った。台湾では4月9日の地震の際にも避難所の充実や、スピード設営が話題になったが、なぜ行政はこうした対応が可能になるのか。元駐台湾代表の泉裕泰氏に話を聞いた。

なぜ、これほどに対応が速く的確であるのか。元大使は、「ひとことで表すと台湾政府が持つ透明性です」と断言した。

・・・これと強烈に対比されるのが日本の震災被害だ。 「東日本大震災のとき、私は中国の上海にいて総領事の任にありました。そのときに中国の関係者たちから『日本の原発は地震にあっても大丈夫なのか?安全なのか?』と散々聞かれたのです。『大丈夫です。日本は透明性が高い。日本政府が大丈夫だと言っているんだから大丈夫だ』と、答え続けていましたが、見事に裏切られましたね」

元駐台湾代表が語る“台湾にできて日本にはできない”迅速かつ的確な地震対応の背景とは「ひとことで言うと政府が持つ透明性の差です」

追加情報 5月28日

いや、まず「稼げる組織」へ変革すべきなのは、日本企業じゃなくあんた(経済産業省)だろ?

 経済産業省は、日本企業がグローバル競争で勝ち抜くため、組織体制を根幹から変革する「コーポレート・トランスフォーメーション(CX)」を進めるよう求める報告書を初めてまとめた。本社の財務や人事など管理部門を強化し、海外に点在する経営機能の統合を促すのが柱となる。人材と資本を有効活用し、「稼げる組織」への変革を促す。

経産省、日本企業に「稼げる組織」への変革促す…本社管理部門強化と海外機能の統合が柱

遺跡が「発掘」されるワケ(2.人為説編)

以前、「遺跡が「発掘」されるワケ」という記事を書きました。(今は自然現象編に改題)、

それについて「でも継続的に人が暮らしてきた都市でも遺跡は地下から発掘されますよね。 風成層の堆積速度なんて人の暮らしから考えれば微々たる速度で、掃除すれば簡単に排除できる程度だと思うから、別の要因があるんじゃ?」と質問を頂きました。

ううむ。確かにその通り。局所的には「洪水で土が堆積したから」説も成り立つでしょうけど、「都市全体が洪水で」というのは想定しにくいです。うーん。google 先生に聞いてみましょ。

最初に見つけたのは、京都の事例。ゴミ処理説。

京都の町も自然の土砂の堆積で埋もれていくような立地条件にはない。しかし、元の平安京の左京域(現在の千本通よりも東)では、2m以上にわたって地層の堆積が認められることがある。実はその殆どが盛り土なのである。考えてみれば当り前のことだが、現在のようにゴミ収集車がこない前近代の都市空間では、空き地や家の裏あたりに穴を掘って、埋めてしまうのが最も一般的なゴミ処理方法だった。そしてゴミ穴を掘った時に出てきた土を埋め戻すのだが、必ず捨てたゴミの分だけ土が余るので(本当は、土は掘ると膨らむので量は増える)、それを地表面に積んでならす(整地する)のである。かくして、遺跡は埋まってゆくのではなく、捨てられたゴミの分だけ埋められていくのである。

埋まらないのに、掘らないと出てこない…

京都国立博物館の記事なので、それなりの裏付けがあるものだと思います。 でも当時は今より資源リサイクルが徹底しており、ゴミの量は今よりはるかに少ないです。江戸の事例ですが、 古金、紙屑、古着物、空き箱、灰まで回収業者がいた時代です。(双葉社「江戸の暮し」より)人糞や生ごみは畑で肥料にしてたでしょうから、そこまで量が出るかなあ。

それにこの説明だと、日常生活で住居周りに盛土される理由にはなっても、住居「跡」が盛土される理由にはならないですよね。代々そこに住んでますって場合はどうなるか。 うーん、住居が一時的になくなり、そこが埋められる状況って ・・・

 !

「日常生活ゴミ」だけを想起してしまったからいけないので、メインは「火事で燃えた住宅や家財(災害ゴミ)」 だったと考えたらどうでしょう。 これなら大量に出ますし。「住宅跡を埋める」ことも可能です。

江戸の事例になっちゃいますが、江戸の町は火事が多いことで有名でした。その度ごとに発生する災害ゴミはどう処理したでしょう? 現代なら「処分場まで運んで埋める」というのが正解でしょう。ですがバックホウもブルドーザーも、トラックだってない時代。大八車で運ぶ・・・そりゃ無理。なので、住居跡も含めて敷き均し、その上に新しい住宅を建てたかもしれません。 

現代の知識(住宅火災の現場映像や土木建築技術)から考えると、燃え残りの建築資材や家具を土に埋め、その上に新居を建てる なんてちょっと考えにくいです。ですが当時の消火技術や建て方を考えると、「動力ポンプで水をかけて消火」できない分よく焼け、運搬も大変だしその場でばらまき処理するのが合理的だったかも。 

「いつ焼失するかもわからない長屋も燃えることを見越して、あえて簡素な造りとなっていた」「完全に炎を消し止める現代の消防とは違い、当時の火消しの仕事は風下の家屋を破壊して延焼を防ぐことが中心だった。そのため、高所が平気で、家屋のつくり方、すなわち倒し方もわかる鳶職の者が火消しになった(同書)」

家の基礎だって、柱の下に石を置くだけ(礎石)だから、平行さえ取れば移動は容易です。もちろん、敷地に余裕のある武家屋敷なら災害ゴミは空き地に埋め、屋敷は元の基礎を再度使って再建したかもしれないし、余った土を敷き均した上で再建したのかもしれません。 それは火災の規模にもよりますね。

「火事と喧嘩は江戸の華」の言葉が示すように、江戸は火災が頻繁に起こる都市であった。・・・木造建物が多かった江戸の町は、一度火の手が上がれば広大な範囲が焼き尽くされてしまうことから、その痕跡も江戸市中の遺跡で数多く発見されている。
 遺跡に残る火災痕跡は、①地表や礎石などの建物基礎部分が直接被熱した痕跡、②火災で発生した焼土や灰を敷地内に敷き均(なら)した整地の痕跡、③いわゆる「災害ゴミ」である被災した家財道具や建物の部材を片付けた痕跡などがある。江戸遺跡で発見される火災痕跡は、圧倒的に②・③が多い。
 二章三節二項・同五節二項で取り上げる交代寄合本堂家屋敷(愛宕下遺跡〈No.149〉、東京都埋蔵文化財センター編 二〇一四)を例に見ると、年代が最も古い火災痕跡は、被熱して赤化したり、膨れたりした瓦が大量に含まれた浅い落ち込みである。幅一〇メートル・長さ一四メートルにわたって屋敷地の一角に広がるもので、上面には部分的に焼土層が薄く広がっている。共に出土した陶磁器片の年代から、寛永一八年(一六四一)の火災で発生した瓦礫を屋敷地の一角に埋めて処理したものと考えられ、前述の③にあたる。また、この遺構の六〇センチメートル上方に、厚さ約二〇センチメートルの焼土層が広がっている(図1-3-コラムA-1)。この焼土層は「振袖火事(ふりそでかじ)」の名で知られる明暦三年(一六五七)の大火、もしくは寛文八年(一六六八)の大火で発生した焼土を、屋敷地内の空地となっていた箇所に敷き均した痕跡と考えられ、前述の②にあたる。このような焼土層は屋敷地内に点在しており、かなりの量の焼土が発生した証と言えよう。

港区史 第2巻 通史編 近世 上 火災の痕跡(テキスト)

が、人口密集していた町人地は敷地余裕がなく(長屋なんてまさに)、住居跡を含め敷き均しその上に新築。んで、また大火事が襲い・・・という繰り返しで土砂が蓄積していくという流れだったのではないかと考えました。

江戸(隅引内)の用途別面積  「江戸の暮し」より引用

 江戸町奉行所の管轄範囲(墨引内)の用途別面積をみると、武家地50%に対し町家15%なのに対し、人口は武家50万人、町民50万人と推定されるそう。町家はかなり密集して建てられていたものと思われます。

もちろん、「都市遺跡の覆土はほとんど焼土である」とは言えないでしょうから(「火災痕」という表現だし)、これがすべてではないけど、遺跡が「発掘」されるワケは、特に都市では、自然現象だけでなく、火事からの復興とか人為的な理由によるものも大きいのかなと。

最後に、yahoo知恵袋に似たようなQがあったので、僕が一番説得力ありそうと思った回答(人為説)とともに載せておきます。

  

Yahoo知恵袋

平安京(両京)と長岡京の比較は説得力があります。人為的に埋め戻したという結論に異論はないのだけれど「埋戻土」となると、大規模輸送手段がなかった時代に、どうやって運んだかという疑問が残ります。一戸だけならともかく広域ですからね。大量の埋戻土をどこからどうやって運んで来るのでしょう。

例えば、江戸建設時の日比谷入り江の埋め立てには、神田山(現代の駿河台、お茶の水)が切り崩されたそうです。量は違えど、大火の度にそれに類するような工事をしたわけじゃないだろうし・・・したのかな・・・

だから埋戻土=住宅の燃えカス(災害ゴミ)説を考えてみました。暮らす以上住宅は必要ですから、建築資材は外部から搬入したでしょう。それが何度も燃え、埋土になり、堆積し・・・と考えた次第です。