トレーニングとしての水泳

今は、週に一回のペースで泳ぎに行ってます。暑い日にダラダラ汗をかきながら運動するのは苦手ですが、プールなら水に浸かって体を冷やしながらですし、全身運動かつ有酸素運動。さらに体への負担も小さいはず! まず100m!

え、無理無理無理。25mがやっとです。25m泳いで少し休んでまた25m、それを続けてなんとか50m。それを数回やるだけでもう精いっぱいだよ!  という状態が、ここ一か月くらい続いています。どれだけ体力ないんだ。平泳ぎならもっと泳げるのですが、やっぱしクロールで優雅に長い時間泳ぐのが、トレーニングとしてはかっこいいですからね。それに向け どうするか?

いまやっている訓練「浮き輪に乗って脱力したまま、流水プールに流される」こと。泳げない理由の一つは、たぶん体に余計な力が入っていて、進む距離の割に体力を使ってしまうのが問題ではないかと思います。そこで、流水プール二周ほど流されることで、身体の力を抜き、水と一体で流されているような(水和したというか)イメージのまま泳ぐことを心掛けています。こちらはなんかうまく行きそうです。 まあ浮き輪に乗って流水プールでプカプカやってるのは、少し恥ずかしいですけど。

もう一つの課題は「息継ぎ」です。楽に泳ぐコツは、体の力を抜いて、いかに水の抵抗を少なくするかにかかっていると思います。息継ぎは重い頭を水上に出さざるを得ないので、大きな抵抗になります。これをいかに短く、スムーズに行うかが大きな課題でしょう。

僕の場合、その息継ぎがうまく行ってないようです。

「水中で息をしっかり吐きましょう。」・・・水中で息を吐いておけば、水上で息を吸うだけで済むので、水上に頭を出す時間を最小限にできます。 うん理屈はわかるよ。でも水中で息を吐くと・・・うーん、苦しい。余計疲れているような気もするな。

「頭を上げる量は最低限に」・・・口の半分が出てれば という本もあったような気がするが・・・上述の通り、僕の場合はうまく息が吐き切れていないのと、苦しいので頭を余計に水上に持ち上げており、そのせいでフォームが崩れてしまい、水の抵抗が大きくなっているようです。もう少しスムーズにできるよう練習しましょう。

 

てなことで、ホワイトウエーブ21で、いい年こいて流水プールでプカプカ流されているモトでした。あ、遊んでるわけじゃないわよ。頭の中は超絶水泳理論とそのトレーニング法を構築中なんだから!

 

 

 

西尾の文化財(2) 後奈良天皇宸翰般若心経

宸翰(しんかん)というのは、天皇直筆の文書のこと。

般若心経(重要文化財)

西尾市立図書館の岩瀬文庫へ行くと、無料で見ることができます。ただし「複製」ですけど・・・先ごろ、皇太子殿下が名古屋に来られたついでに拝観されたそうで、その時は本物を見られたことでしょう。   駐車場:西尾市図書館の駐車場が使えます。

後奈良天皇は、第百五代の天皇で在位1526〜1557年。この世はまさに世紀末。虐げられた人々は救済を求め、北斗神拳が・・・いやちがう、戦国時代の真っ只中でして、朝廷が非常に貧しかったころです。次代の正親町天皇の時に、ようやく織田信長や豊臣秀吉が覇王あるいは魔王として出てきて・・・だから違うって、パトロンとして出てきて、かなり潤ったのですが。後奈良さんの時は困窮の極みでございました。どんな感じかというと・・・

皇室がいかに窮していたかは、天皇の直筆がたやすく売り買いされていたことからも察せられる。御所の簾に紙を結び、銅銭などを添えて天皇の直筆を手に入れていたとはまさに皇室の財政的衰退がいかばかりであったかが、容易に推測されるであろう。               こうした荒廃した時代にあっても、天皇は自己の役割を十分に踏まえて、疫病流行の際には般若心経を諸国の神社に納めるなど、民衆の平安をつねに祈願した。      笠原英彦「歴代天皇総覧」中公新書1617

とあります。この後半部分の「般若心経を諸国に納め・・・」の部分、天文9年(1540年)参河国に納められたものがこの写真のもののようです。直接伝わっているわけではなく、 岩瀬文庫が明治40年代に京都の古書店から購入したものだそうですが。三河国と言っても広いですから、どこに奉納されていたんでしょうね?

あ、岩瀬文庫ってのは、西尾の実業家岩瀬弥助が明治41年に無償公開した私設図書館です。大正年間には児童館を併設したりしましたが、戦争や三河地震の被害で存続の危機を迎えましたが、昭和29年に西尾市が買い取り(いろんな大学や愛知県が買い取るという話もあったみたい)、今も市立図書館の一部になっています。

いま、岩瀬文庫では、6月25日まで岩瀬文庫の古書から「縁起の世界」という企画展をやっています。ここでいう「縁起」は、寺社仏閣の起源、伝説や歴史を描いたもの のようです。 歌舞伎で有名な道成寺の縁起とか、京都の北野天満宮の縁起(左遷され怨霊になった菅原道真の霊を祭る)が展示してありました。

一番興味深かったのは、併設されていた和装本のコーナー。そこに百万塔陀羅尼が展示してありました。

百万塔陀羅尼とは

天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱を平定した称徳天皇は、戦死した将兵の菩提を弔うと共に、鎮護国家を祈念するために、6年の歳月を掛けて宝亀元年(770年)に『無垢浄光大陀羅尼経』に基づいて、陀羅尼を100万巻印刷し、小型の塔に納めて10万基ずつ大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・西大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺・川原寺・崇福寺の10大寺に奉納した。(wiki)

その時の「百万塔」と塔の中に納めた「無垢浄光大陀羅尼経」が展示してあります。塔は法隆寺から譲り受けたものだそうです。

百万塔
経詳細

ちなみに、この経典は神護景雲4年(770)年印刷の、日本最古の印刷物だそうです。710年平城京752年奈良の大仏開眼とほぼ同時期ですな。永らく現存する世界最古の印刷物とされてきたのですが、近年韓国の慶州仏国寺から、それより20年ほど古いとされる陀羅尼経が発見されたそうで、残念ながら現在は世界最古ではないようです。