今日は空気が乾燥して、秋晴れの気持ちの良い日でしたね。こんな日はそぞろ神に誘われ、海が見たくなります。 じゃあ!とは言っても、原付バイクで堤防を海まで下ること15分ってとこ。あとは三河湾を見ながら海岸堤防を少し走ります。 車通りは少ないけど、車を止めて景色を見てるのか、まったりしてる人たちが何台か、釣りをしながらまったりしている人たちがちらほら。餌を見張りつつ身体を乾かしてるカワウ君もちらほら。
ちょうど干潮の時間だったらしく、貝を掘る人たちも。対岸にあたる知多半島を見ながら、湾内に浮かぶ島を見ながらのんびりと。 ゴールは一色町の魚広場。
あわよくば、ここで「むさし」のお任せにぎり 食べちゃおうかな〜 と思ってたんですが、平日なのにすげ〜並んでたので断念。地元なのに、もう何年も喰ってねえ。が、あれだけ並んでるってことは、いまでもちゃんとうまいんだろうなあ・・・まあ金もなし、仕方ないから帰りましょ。
と、帰りがけに一色の街中で高い楼門を発見!もちろん存在は知ってたんですが、なかなか近所だと寄らないのよね。原付バイクの利点、ちょっと寄り道ってみましょう。
わおう!正面来るとすげぇ立派じゃん。こちらは「真宗大谷派(東本願寺)赤羽別院親宜寺」
門の内部は、物見遊山としては普通のお寺でしたが・・・二つ面白いものが。
ひとつめ。マニア向け。
門前にある、西尾市教育委員会の看板です。 ここは昔「赤羽根古城」があったところで、「平安末期(1159)より平遠衡とその末裔が治めた」 とあります。 へ、平氏ですか!
この辺りは室町時代以降、足利氏の支族一色氏((四職筆頭の名門)の本拠地ですし、周りは吉良荘と、これまた足利氏の名門の領地でした。だからてっきり、源氏の勢力圏かと思い込んでいたので・・・
そう言われてみれば、吉良氏の前は藤原氏の荘園だったわけですし、そのそも平清盛は「伊勢平氏」出身です。だから伊勢が本拠地なんですね。伊勢は船を使えばここから遠くありません。別にここを一時平氏が治めててもおかしくないわけです。 と、マニアックな話題でした。
ふたつめ。今度は俗な話。
高須治兵衛翁旧里の碑
「・・・三河幡豆郡赤羽出身の人である。以降、住居を東京に移し、一門はみんな繁昌している・・・(翁は東京に葬ったので)・・・今ここに妻の〇〇子、古里に碑を建てることにより翁の故郷への思いを表すことにした。大正十一年親戚××」
何だこりゃ。石碑建ててるのに、結局「高須治兵衛」が何者かわからん。変な碑だな?
と思ったら、最後に「平成二十年孫××、曾孫克弥 碑を改修する。」と。曾孫 高須克弥って・・・あ〜わがった! 「Yes,高須〇〇」(笑)。
そういや門から病院が見えるわ。wikiによると「生家は江戸時代から続く医師の家系で・・・」ってことだそうなので、治兵衛さんもたぶん医師で地元の名士だったんでしょう。けど、名士の碑が地元に建つ場合、周りが寄ってたかってある程度盛った美文を造るのが普通じゃね? その点、この碑文、正直すぎ。盛るどころかなんも書いてない(笑)。
てなことで、ここは西尾市が誇る有名人の出身地でした。僕西原ファンなんで、克っちゃん、たくさんネタ出してね〜。
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