三河地震と深溝(ふこうず)断層

西尾市のお隣、幸田(こうた)町に、「深溝断層」の観測できる場所があります。断層が地表にはっきりと出ているのは珍しいということで、昭和50年に愛知県の天然記念物に指定されています。  場所はこちら。 数台の駐車スペースあり。

深溝断層は昭和20年にこの地方を襲った「三河地震」(内陸直下型地震)の震源です。地震は太平洋戦争末期に起こったため、戦意喪失のおそれあり ということで報道管制された結果、おそらく全国的にはあまり知られていません。 まずは現地の写真をどうぞ。

断層に垂直な方向から見たところ(向き合ったポールの間が断層。ポールは高さ1m毎に色が変えてある)
断層を跨いで写真を撮ったところ

カメラマンの腕が悪くて、これだとなんだかわからないですよね。 ちょっと本から取った写真を参考までに・・・

木股・林・木村「三河地震60年目の真実」中日新聞社より

棚田の地下に断層が走っており、地震の際に段差が生じ、一枚の田んぼが上下にズレてしまったのです。 国土地理院の地理院地形図で場所を示します。(データ重いので、少し待ってね)

赤の四角で囲んだ位置です。茶色の線が深溝断層、左下の線が横須賀断層です。どちらも三河地震の時動いてます。

地震の経緯は以下の通り。その前の地震と連動しているのかと。

昭和19年12月7日紀伊半島沖を震源とするM7.9の東南海地震発生。強い揺れが三重・愛知・静岡を襲い、巨大な津波も発生しました。この地震と津波で1200余人の命が失われました。

本格的な本土空襲が始まり、政府は戦意高揚に必死でした。 三重県では、県知事の指示で災害調査に出かけた翼賛会の幹部を、憲兵が機密漏洩活動として拉致暴行する事態が発生したそうです。 東海地方は軍需工場も多数あったので、被害状況を調べるのも別の意味で命がけ。  ちなみにこの地震により愛知県下で深度7を記録したのは一カ所、幡豆郡福地村です。

翌年の昭和20年1月13日。愛知県三河地域をM6.8の地震が襲います。これが「三河地震」です。震源地付近では震度7と推定され、死者2300人余りを出しました。

しかし全国紙は1段記事「東海地方に地震 被害、最小限度に防止」等。この地方の新聞でも「再度の震災も何ぞ、試練に固む特攻魂。敵機頭上、逞しき復旧」との見出しで、被害は「若干の全半壊家屋があり死傷者を出しただけ・・・」と報道されたそうです。

実際には、愛知県だけでも 家屋の全壊率が30%を越えた町村は、桜井村、明治村、三和村、福地村、横須賀村、吉田町と6町村を数え、なかでも先の地震に続き二度目の震度7を経験したと思われる福地村の全壊率は、なんと67.6%でした。 「損壊した家屋の比率」ではなく、「全壊率」ですからね!おそろしや・・・

これらの町村は矢作川および矢作古川流域の沖積平野部だったため、地盤が緩く、全壊率が大きかったのではないかと推定されています。

(以上の記述は 木股・林・木村「三河地震60年目の真実」中日新聞社及び愛知県防災会議「昭和20年1月13日三河地震の震害と震度分布」昭和53年による。)

三河地震そのものはM6.8とそれほど大きくありません。深溝断層も活断層に指定されていますが、昭和20年以前の活動履歴を見ても、活動があった5万年以上前で、それほど活発ではないC級活断層だと言われています。熊本地震の事例として、現在の基準でも震度7が2回来ると、住宅が重大な被害を受ける可能性があります。『新耐震基準も倒壊多数 「2回の震度7」想定外の破壊力 検証・熊本地震住宅倒壊』現在の耐震基準では、震度7の地震が2回来ることは想定していないからです。

C級活断層だから、近い将来に、深溝断層を震源とした大規模直下型地震は起こらない のかもしれません。 それでも、紀伊半島沖の東南海地震によって、遠く離れた三河の地(の一部)でも震度7が記録されるということも合わせて考える必要があります。

自分が住んでいるところが震源から遠いか近いかを問題にするより、沖積平野部等で地盤が緩いのではないか、また緩かった場合、どのように対策を考えておくか ということをシビアに考えておくべきだと思います。

の程度の直下型地震は日本のどこでも起こり得ます。詳しくは下の追記を参照ください。(これまでに、C級活断層のすべてが見つかっているとは限らないこと、5万年静かだった活断層が突如動く可能性もあること)

私事ですが、我が家は旧福地村にあります。そして当時の我が家は倒壊したそうです。そのため、現在の位置に家を建て直す際、より頑丈な洪積台地への移転を真剣に考えました。

総合的に考えて断念しましたが、現位置に家を建てるにあたり、平屋造りとし、構造用合板の耐力壁も使い(筋交い部もあるが)、地盤補強工事もしつこく考えました(前回記事)。結果として今の我が家はかなり安全になっているとは思います。が、来るべき南海トラフ地震に対しては万全ではないだろうと思っています。

防災は難しいんですよね。安全だけ考えれば、窓のない家を造るのが一番だけど、そんな家は日常生活に不便で、そんな家には住みたくないですから。

防災と日常の生活の快適さ。両者をどこでバランスを取るのか。設計者としては設計・施工の見せどころでもあります。一方、完璧は無いのだから、予算と相談のうえ、どこで納得(あるいは妥協)するのかは、施主も一緒に考えていかないといけないと思います。なにせ自分たちがそこに楽しく住む(一方でリスクを背負うことでもある) ためなので。

追記:岩波新書423 松田時彦「活断層」より 追加情報です。なかなか有益な情報だと思います。

・活断層の定義「現在の地殻内部の力の状態のもとで活動してきた断層」

・活断層の活動度 平均的なずれ量の累積速度「平均変異速度」で表す。(僕の理解。活断層は間欠的に動くので、一断層の活動回数×断層のずれ量/時間をもって、平均的なずれ量を算出し判定)結果、活動度は3つに区分される。A級活断層 1000年あたり1m以上、B級活断層 1000年あたり0.1m~1m未満、C級活断層 1000年あたり0.01m~0.1m未満

・明治以降の内陸直下大地震は、各級の活断層からほぼ同じ数(2~3個)発生。級が一つ下がると、地震の発生頻度は1/10になるはず。つまり、活断層の数が、A級1に対しB級10C級100の比率で存在するはず。

・実際、A級活断層約100に対し、B級活断層約1000しかし、C級活断層はわずか数百しか見つかっていない。つまり、まだ見つかっていないC級活断層が多くあるはず。

・三河地震の震源となった深溝断層はC級活断層だけど、地形観察だけでは見落とされていたぐらい見つけづらいもの。

・深溝断層の最近のトレンチ掘削調査では、少なくとも最近5万年以上動いてなかった。それが、昭和20年に突然動いた。

 

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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