野々宮の野宮神社は、斎宮明神と言う名前で平安時代末の「三河国内神明名帳」にその名が記されているという、古い歴史を持つ神社です。
神社の記念碑によると
清和天皇の貞観元年(859年)、悠紀斎田斎宮跡に造営した斎宮明神を創始とする神社。清和天皇は斎宮明神を篤く崇敬され、第十一皇女孟子内親王に神社の祭祀を委ねられた
とのこと。いや~いくらなんでもここの宮司さんとして?皇女がいたってのも、さすがにないよねえ。 例によって西尾市史を見ると、 史料では以下の通りだそうです。(三代実録)
- 貞観元年(859年) 神祇官が占いをして、三河国幡豆郡に悠紀斎田を設けた。
- 元慶二年(878年)三河国幡豆郡の荒廃田100町を孟子内親王の一身田として与えた※
なぜ孟子内親王に荒廃田が与えられたのか詳細は不明だけど、悠紀斎田がらみで見ようとする説もある とのこと。
孟子内親王は清和天皇の娘です。悠紀(ゆき)斎田というのは、天皇が即位後初めて行う収穫を祝う祭儀の時に米を作る田のことで、神祇官が占いで決めるそうです。 9世紀末からは近江国に固定されましたが、それ以前は数度三河国が選ばれているそうなので、そういう意味で三河国と都との関りは見逃せないだろうと。
しかしまあ、悠紀斎田を設けてから、荒廃田を与えるまで20年近くたっているので、この二つのつながりは微妙と言えば微妙な気もしますね。
石碑も建っていました。碑を書いたのは、浜口内閣の文部大臣小橋 一太のようです。内容は読めませんでしたが、たぶん悠紀斎田と斎宮神社の歴史でしょう。
※以下は神社の話題からは少し離れた歴史のはなし。この記載で一番気になるのは、「荒廃田100町」ですね。当時相当荒田が広がっていたということです。
この時代は、律令制と言って「律令格式」の法体系を整え、「班田収授法」で税を収授する体制でした。 律令格式については西尾市内の神社で述べました。班田収授法とは、農地は国のものであり、それを農民一人一人に田を与え(口分田)、そこから税として租・調・庸を納めさせる方式です。
当然政府は税収を増やすため、耕地の開発を奨励し、あれこれ政策を打ち出します。(人口も増えてるしね)
- 養老 6年(722) 百万町歩開墾計画 を立案
- 養老 7年(723) 三世一身の法
- 天平15年(743)墾田永年私財法
- まず「そんな広い面積の開墾無理っすけど」というレベルのスローガンを出す。誰がやるか!
- 私欲に訴えるべく「灌漑施設を新設して墾田したら、孫の代まで三世の私有を許す。既設の灌漑施設を利用して墾田を行った場合は、開墾者本人一世の私有を許す。」少しやる気になるけど、孫の代になると「もう少しで朝廷に返さなきゃいけないなら、てきとーにやるべ」 と意欲が落ちる。当然だろ。
- しかたねえ。「墾田の永年私有化を認める」やったー!頑張るど! by資本家
まるで社会主義国(公地公民)が、私有を認める資本主義国に脱皮しようするときを見るよう(笑)
ともあれ、人々の私欲の結果、水田は広がりました。しかし同時に問題も発生します。当時元からあった水田は、台地の凹部が主流でした。ですから、新たに開発される「新田」は、残された大河川の流れる低平地を開墾することが多かったのです。
今の感覚で考えると、そこは水田に最適の場所です。 でも当時はそうではなかったのです。
そこは洪水の度に頻繁に流路を変える大河川の流域湿地。大堤防を築かない限り、洪水の度に水田が呑まれてしまいます。そもそも当時は、頻繁に移動し流量豊富な本川から灌漑用水を引くだけの技術はありません。安定的に平野で水田開発ができるようになったのは、大河川に曲がりなりにも堤防を造り川を一定の領域に納めることが必衰条件であり、それは室町時代も終わり~戦国時代にようやくできるようになったのです。
結果として、起きるべくして災害多発(正確には被害が続出)。さらに税制にも無理がありました。「租・調・庸」のうち調は、農民がはるばる都まで届ける必要があり、何とか税を都にとどけた帰りに病死や飢え死の農民続出。「郷里に帰る農民を助けよ」とお触れが出るほどだったのです。 「いや~そもそも持続可能な制度設計になってないす。」たまりかねた農民は口分田を離れ、墾田を持つ寺院や貴族の元に身を寄せます。
農民が逃げてしまっては荒廃田が増えます。すると班田収授制は揺らぎ、朝廷の力が弱まります。一方で墾田を持つ寺院や貴族は労働力を得て、さらに墾田を開発し私有し・・・やがてそれらが「荘園」化していき。荘園を多く持ち力を蓄えた大寺院や有力貴族が次の時代を担います。この辺りの土地の名称も、「幡豆郡」から「吉良荘」へと変わっていきます。
孟子内親王が荒廃田を一身田として与えられたのはそういう時代でした。 むしろ、ほぼ荘園化している土地をもらったのかもしれませんね。
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