世が不穏になると、道徳的に「正しい生き方」が求められるのかねぇ・・・

2カ月で43万部大ヒット!『君たちはどう生きるか』漫画化売れた理由とは?
1937年に出版された小説『君たちはどう生きるか』が、2017年8月に漫画化され、不況に喘ぐ出版界で約2カ月で43万部の大ヒットとなっている。

原作の著者は後の雑誌「世界」初代編集長・吉野源三郎。主人公の男子中学生“コペル君”と叔父さんのやりとりを通し、「人はいかに生きるべきか」を説いた物語で、宮崎駿さんや池上彰さんも愛読書という名著だ。

ははあ。いま書店に行くと、表紙に描かれた生真面目そうななコペル君の似顔絵がこちらを睨んでいます。「表紙が目立つよう陳列してある」ってことだから、売れ筋本か書店のイチオシ!とは見ていましたが、こんな真面目な本が大ヒットしてるんですね。

とはいえ、僕は漫画版は読んでません(笑)。オジサンになって世に擦れてくると、この手の本にはなかなか手が伸びないですね。さらに僕の場合、少年のころに(ませて可愛くない少年だったと補足しておこう。)文庫版原作を読み始めたけど「つまんね。放棄!」って感じだったので、書評にはならんなあ・・・何を書くのやら・・・

そうそう、大人になった僕は、この記事を読んで「屈原の故事」を思い出したのです。

屈原 中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。wiki

屈原氏は入水自殺する前に、こんなことを言ってるんですね。

世を挙げて皆濁る、我れ独り清む。衆人は皆酔う、我れ独り醒めたり。 屈平「漁父辞」

秦の謀略を受けて踊らされたのは、主君である楚王懐だけでなく、楚の朝廷全体だったのです。祖国の将来に絶望し入水自殺する前の屈原(楚の王族)に、漁師が尋ねます。「なぜあなたは世の中から遠ざけられたか」それに答えた屈原の答えがこれでした。

「世間の人はみな利欲に濁っているけど、私一人は清く生きている。また、世の中の人はみな酒に酔っているが、わたし一人は醒めて理知の世界にいる」

漁師は諫めます。    聖人は物に凝滞せず、能く世と推移す。

「聖人は固定観念をもって物事にこだわったままでいるものではない。世間の移り変わりに応じて、自分も一緒に変わっていくべきものだ。」

やり取りはまだ続くんですが、結局屈原は孤高を守り入水自殺します。僕にはコペル君と叔父さんの生き方が、屈原に見えてしまうんです。

現代社会で組織に入ると、ホワイト企業と呼ばれるところでも 不法決算しとけとか、不法検査合格させとけとかあるんすよ(笑)、 不法じゃないけど、不適切処理くらいしとけ、ってくらいは経験するでしょうね。やっても大半はばれないけど、仮にバレても指示した奴は「知らぬ」「存ぜぬ」「証拠ないす」で無罪。現場で実施した奴だけ有罪になったり、議事録残しても「それは怪文書」「見たことない」「残ってることが違反」と言われちゃいます。 その罪状は 「(バレないよう)うまくやらなかった」もしくは「運悪くババを引いちゃった」罪・・・。

そんな皆濁り、皆酔う社会で、我れ独り清んだり醒めたりするのは、賢い生き方なんでしょうか。むしろそれで自死するなら、なんにもならんやん って思うんです。

あ、もちろん悪に流れろって言ってるんじゃないです。ただ漁師の「世間の移り変わりに応じ、自分も一緒に変わっていく」感じに似た、流れに身を任せる海藻になりつつといいますか・・・ただ流れに身を任す海藻も、ある程度は根を張らないと流されちゃいます。自分はどんな海藻で、どんな流れに乗り、どこまで根を張っておけば、本体が流されないかを自分で考える力を養うべきだと思うんです。そして、その程度は一律ではなく、個々の海藻によって違いますよね。

コペル君の本は「清く正しく」異論ないっすって 道徳の本みたいなんです。たぶん朝日新聞で書評されると激賞される感じね(笑)。まあそれも潔い生き方なんすけど、現代社会だと剛直に生きるより、もうすこし「しなやかさ」をもって生きる方が生きやすいと思うんす。さらに、ここからいろいろ考えだすには退屈な本だと思うんす。

それにはもっと「お行儀の悪い」本が良いのではないかと。てことで似たようなジャンルの本で僕がおススメするのは

池田清彦「正しく生きるとはどういうことか」    アマゾン中古なら1円(笑)

山梨大学はよくもまあ、よりによってこんな人を教育学部の教授にしたもんだ(笑)。まあ生物学のせんせ だから、「珍種、客寄せパンダです」ってことでいいのかも。

読む人を選ぶ本ではあります。あとがきに この本を書く直接的な理由 が書かれているのですが、これが理由を問うことなく受け入れられない人は、この本を読んでも得ることはないと思うので、読まないほうがいいでしょう。(下の言も、ボランティア自体を否定しているわけではない)。

ほう、どういう論理でそういうのか? 知りたい人は、読んでみると面白いかもしれないね。

 ボランティアをしなければ教員免許が取れないという、アホの極みのような法律が造られたこと。私はこれでキレてしまった。頭に来た私は、昔もらった教員免許をズタズタにして野菜のクズとともにごみ箱に捨てた。 人はボランティアなどしないで、ハナクソをほじくりながら朝から酒飲んでいる自由がある。

 

 

 

 

 

 

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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