先週の日曜日まで、幸田町の図書館で「深溝城と里の朱印社寺」という企画展がやってたので、それを見に行きました。
深溝城は深溝松平氏の居城ですが、何かが残っているわけでもなく、幸田町と言えば江戸時代に島原藩主となった深溝松平氏の菩提寺「本光寺」が有名ですね。深溝松平氏と本光寺については、以前記事にしました。
それ以外の見どころもあるのかな・・・展示されていたのは、深溝城(のち深溝陣屋)、城を築城した大場氏の菩提寺「長満寺」、大場氏のあと城主となった深溝松平氏の女性が建立した「三光院」そして城の北東(鬼門)に鎮座する誉師天王社(現在の深溝神社)の資料でした。
お寺関係の資料はあんまり興味ないので省略。深溝城とその周辺の地形と現地調査について触れます。まず位置関係を航空写真でどうぞ。
深溝の町が南から西に広がり、東海道の脇街道があったそうです。そして城の北と東を山に守られています。そして山にはゆかりの寺。これお約束(笑)。
・長満寺(日蓮宗)
予備知識なしに行きましたが、恐ろしく立派な寺でした。wikiによれば、
通称三河本山、本圀寺第一末寺。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。小浜長源寺、尼崎長遠寺と共に、六条門流三長の一寺。
※日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
なるほど、立派なわけだ。しかしどう見てもこりゃ寺院というより砦だがね。正面は高い石垣造りで、山を背負ってるもの。当時石垣はなかったでしょうけど。
空中写真を見ると、敵襲に対し城の北東側がやや手薄に見えますね。これを長満寺砦と城で挟撃するのかな・・あるいは平城である深溝城の詰城の役割を果たしていたのかもしれません。
寺は深溝城を築いた大場氏が、正慶元年(1332)年に建立。室町幕府成立が1338年ですから、まあそのころです。 日蓮さんの直筆が残っています。しかし立派な樹木が残っていること!
・深溝城(陣屋)跡
城はのちに旗本板倉氏(8,000石)の陣屋になりました。その当時の絵図が企画展に出ていましたので、ちょっと載せちゃう。
傾いているのは、現在の航空写真と比較したいからです。どーぞ。
なんとなーく、地形が残っています。上の白い屋根の工場と「丸の内」と表記されたあたりの水田が、長満寺から見えてましたね。黄色屋根の工場が本丸跡でしょう。工場には入れませんが、駐車場の南に碑が残っています。
碑のある台地?が本丸の端だと思います。左側と高さが違いますから。
・三光院(浄土宗)
本堂は奥行が13mを超える立派なもののようです。簡素な造りだし新しそうだから気が付かなかったよ。
・深溝神社
三光院から坂を一つ越えると、神社が見えます。なかなか立派な社叢ですねえ。
祭神はスサノオノミコト(牛頭天王)。特に何か残っているわけではありませんが、深溝松平五代忠利が再建したそうで、拝殿の屋根瓦に深溝松平家の家紋が残っているそうです(重扇)。あれ、松平家だからって「葵」じゃないのね?
昔は挙師天王社と言ったそうです。長満寺の山号が挙師山なので、寺ともつながりがあったんでしょうね、たぶん。