「国破れて山河在り」という言葉がありますが、それにちなんで標題のような言葉が浮かんでしまうようなニュースが続いております。
土俵の女人禁制は「伝統」なのか? 相撲と女性をめぐる問題提起は過去にもあった
4月4日に舞鶴市で開かれた大相撲春巡業で、土俵上で倒れた多々見良三市長に救命処置を施した女性に対して「女性は土俵から降りてください」と場内でアナウンスされたことが物議を醸している。日本相撲協会の八角理事長はコメントを発表。「行司が動転して呼びかけたもの」として、不適切だったと謝罪した。
八角理事長、最近は売れっ子タレントも顔負けな出演ぶり(笑)。
ニュース映像を見た感じでは、市長が倒れて右往左往する野郎衆。そこへ颯爽と現れた女性たち。直ぐに心臓マッサージをはじめます。うーんかっこいい。まるで映画のワンシーンのようです。 そこへ馬鹿なアナウンス。 ドラマは喜劇(あるいは悲劇)へと変わってしまったのでございます・・・
人の命が掛かっているのに、伝統が・・・って反論の余地があるのかねぇ。まあ、死んだ組織は「何が優先するのか、組織の存在意義を考えることがなくなる」ので、最終的に皆こうなります。「ルールですから!」
ところで、ルールの根本ってなんだっけ?と思ってしまうニュースも。
オスプレイが東京・横田基地へ、横浜からのルートは?
アメリカ軍のオスプレイが、繁華街や住宅地の上空を飛び、5日、東京の横田基地に到着しました。江の島の西側にある神奈川県平塚市の相模川の河口で、オスプレイは陸地へと入っていきました。住宅街のすぐ上を5機のオスプレイが並んで飛行するのが分かります。そしてついに、オスプレイは東京の上空へ。八王子の住宅密集地の先を横田基地へと向かっていきました。
港の米軍設備からオスプレイを直接離陸搬入って、さすが米軍はやることがすげぇー! ・・・いや今回話したい内容はそこじゃなかった。
ちなみに、「忠良なる汝ら」帝国臣民は、住宅密集地でドローン遊びをする際、航空法に基づき国土交通大臣の許可が必要です。
落下した場合に地上の人などに危害を及ぼすおそれが高い空域において、無人航空機を飛行させる場合には、あらかじめ、国土交通大臣の許可を受ける必要があります。
例)人又は家屋の密集している地域の上空
地上の人への危害があるから、ルールを守って楽しく遊びませう。 ハーイ。
でも、ドローンより危険なオスプレイは許可不要で飛べちゃいます。なぜなら、米軍に航空法は適用されないから。というより、横田あたりの航空機の飛行管制って米軍がやってんのね。だから日本政府に許可とか取る必要なんてないのね。
横田進入管制区、通称「横田空域」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県新潟県、山梨県、長野県、静岡県)に及ぶ広大な空域の航空管制は横田基地で行われています。
いい子ちゃんの日本国政府は、こんなポスターもちゃんと作ってます。
さらに言えば、事故っても、警察の捜査は拒否られます。仮に米軍以外が公園でアメ配りのドローンを落としたら、厳格な捜査・現場検証が行われ、規制強化がされるでしょう。でも米軍のオスプレイはいくら落ちても、「朕は存ぜぬ。」
しかたない、日本は米国に支配されているから。ほら、正直者のアメリカ大統領も言ってたよね。「日本の首相はほほえみを浮かべている。そのほほえみの裏には、こんなに長い間米国を利用できたことは信じられないという思いがある(だからオシオキ!)」って。どう見てもこれ、平等な関係の発言じゃないよね。
あ、これは放送規制用語でしたっけ? すいません、忖度できなくて。
そのすごい権力は、誰がコントロールしてるんでしょう。もちろん米軍はアメリカ合衆国大統領が制御しています(彼が正常ならね)。ですから、日本国政府はアメリカ軍を制御することはできません、残念ながら。
じゃあ、せめて日本国政府は日本人で組織された軍隊(オスプレイももうじき配備されるよ!)ぐらいは制御してほしいものです。
実態はできてないようですけど。
<イラク日報>「問題文書と思わず」未報告の陸自研究本部
稲田朋美防衛相による日報探索の指示が、陸自内で徹底されていなかった可能性があり、改めて文民統制が利いていたかどうかが問われそうだ。防衛省の調査チームは教訓課長らに隠蔽(いんぺい)を指示した人物がいないかなど、詳しい経緯を調べる。山崎陸幕長によると、教訓課は陸上幕僚監部を通して調査の指示を受けたが、昨年3月10日に「保管していない」と回答した。同課長らは調査に「大臣の指示で探しているという認識がなく、国会で問題となっている文書という認識もなかった」と話しているという。
僕の知ってる限りでは、軍隊内部では、軍人が命令無視どころか命令違反した時点で、軍法会議にかけられる重罪です。 「認識がなかった」とか、言い訳にもなりません。それを許したら、銃弾が飛び交う戦場で「突撃!」と命令しても誰も突っ込みません。つまり「戦闘ができない軍隊」で、軍の存在意義が消えます。
そうか、日本には自衛隊あれど、軍隊はない、戦闘はしない。という建前でした。誰も責任取って処罰される恐れはないですな。良かったね〜(泣)。
ちなみに、最初の話題にもつながりますが、国を防衛するはずの軍隊が「何が優先するのか、組織の存在意義を考えることがない。命令ですから!」の組織になるとどうなるか、従軍したある著名人がこう記しています。
満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。
その時にある若い将校が、アメリカ軍(連合国軍)が東京に攻撃に来た場合に、栃木から東京に移動して攻撃を行うという作戦に「市民と兵士が混乱します。そういった場合どうすればいいのでしょうか。」と、大本営からきた東北人の少佐参謀に聞いたところ、参謀は「轢き殺してゆく」といい(ただし、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている)、22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している。佐野での敗戦の体験が、その後の作家生活の原点にあったと考えられる。 wikiより
書いたのは司馬遼太郎さん。
某官房長官のロジックを借りれば「日本には軍隊はないから、その心配はあたらない」と言われそうです。
けど、そう答えが想定できる時点で、僕としては司馬さんの言葉を借りて「なぜこんな馬鹿な国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?あるいは昔の日本人はもっと馬鹿だったのだろうか?」という感想を持ってしまいます。大変残念ですが。