立秋

今日、8月7日は「立秋(りっしゅう)」でした。 今日から暦の上では秋っす。

「えー変わらず暑いやん。」我が家で年中毛皮を着ている子は、朝からもう「死んでる」状態です。クーラーもキライとかわがまま言って、しょうがねーな、コイツ。まあ、君は働かんでいいから、一日中ぐったり寝てなさい。(寝てれば可愛いし) どうせ今夜も夜遊びに行くんでしょ。

あ、立秋の話でしたね。 一応その筋のお約束では、「立秋の日からは秋なので(本来)涼しいものなのです」 と偉い人が決められたのです。誰かは知らん。

だから、常識ある大人がよそさまに「暑いけど生きてる〜?」と生存確認のお手紙を差し上げる場合、その手紙を昨日までは「暑中見舞い」今日からは「残暑見舞い」と使い分けて呼ぶのです。目上の人に出す場合は、間違えないようにしましょう(笑)

しかしなあ、これからさらに熱くなる時期に、「残暑」という言葉を使う意味って、おかしくね?そもそも秋の涼しさはいったいどこにあるん?

というか、僕の感覚では「残暑」=「暑さのピーク」とさえ感じてしまいます。なんか納得いかないよな。

と、昔の人も感じていたのかなあ?ほら、歌にもありますよね。

『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる』(古今和歌集 藤原敏行)

意訳。「秋が来たっていうけどさあ、クソ暑いんだよコラ。平安時代にエアコンはねえんだ。あちー、全然秋じゃねーよ。あちー、風吹かねえか、風。・・・お、吹いてきた、いや、いがいに涼しいな。あ、これが秋の風ってやつか。そういやなんか昨日までの風とと違う気がしてきたよ・・・(ってことで立秋の日に詠んだそうです。)※」

ひどい意訳して申し訳ないんすけど、僕この歌の繊細な感じが結構好き(笑)

最近の酷暑では、仕事から帰ってくると「風頼み」ではとても駄目だから、朝起きるまでずっとエアコンの中にいるんすけど、それだとなかなか秋の風を感じる ことはできないっすね。 まあ熱中症になって運ばれるのを避けるため、風流なんて言っておられません、このご時世。

と思ってたんだが、なんでも近ごろ江戸じゃ、2年先の大体育大会に、打ち水だの浴衣だの、葭簀だの、風流な仕掛けを導入したら涼しく過ごせるって、真面目に考えてるそうじゃねーか。  そりゃ確かに日本には「心頭滅却すれば火も亦た涼し」というすごい言葉がありますけど、発した本人は焼死してますんでね、オチまで知ったうえで使わないと馬鹿を見ますぜ。

バカは死ななきゃ治らない ってか、死人が出ないと変わらねー、もしくは死人が出ても変わらねーんじゃねえかな、この国。

※ちなみに今の時期を「七十二候」では「涼風至」と表現します。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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