先回の「立冬の畑の様子」エントリーで、サラッと72候の話に触れたところ、72候ってなに? と。 ですよねー。
その説明のために、まずは少し暦の話を。
いま、僕らが使っている暦(カレンダー)は、「グレゴリオ暦」という太陽暦です。日本への導入は1872年(明治5年)。太陽暦と言うのは、地球が太陽を一回りする周期を1年とするもの。 地球は太陽からの光によって温度が調整されるソーラーシステムなので、太陽の動きを暦を使う(太陽暦)と、季節の流れをうまく表現することができます。
でも、1872年より前の日本では「太陰太陽暦」を使っていました。これは「太陰暦+太陽暦」という意味です。まずは太陰暦の説明を。
「太陰」と言うのは、月のことです。月を使った暦(太陰暦)の利点は、月の形を見れば、今日が何日か?が大まかに分かること。この場合、1か月は新月から次の新月までを指します。
満月のことを十五夜って言いますよね。太陰暦では、まさに満月の日は15日になるんですね。
テレビやラジオのニュースで、「今日は〇日です」って言ってくれることの無かった時代、月を見れば何日か分かる と言うのは便利ですよね。漁業をやる際に、干満を知るにもお月さんは便利だしな。 太陰暦は現在でもイスラム教の暦として使われています。
が、太陰暦には一つ大きな欠点がありました。新月から新月までの時間は、29日と30日を交互に周期を繰り返すので、それを12回重ねても、地球が太陽を一回りする周期である365日に11日ほど足りないのです。つまり、このまま使うと、徐々に月と季節にずれが生じてきてしまうのです。 農業では、どの季節にどの農作業をするか が決まっていますから、月と季節がずれちゃうと不便ですよ。
んで、これを少し改良したのが「太陰太陽暦」です。太陽暦と太陰暦のずれ1年で約11日を、19年に7回閏年を設け、その年は十三か月にすることで、月と太陽の動きの誤差修正をすることにしました。これで月と季節のずれの修正がなされるんですが、それでも農作業上は無視できない誤差です。
そこで、太陰暦、太陰太陽暦を補うために考え出されたのが、太陽の動きから産出された「二十四節気」と「七十二候」です。太陽の高さが最高と最低を記録する「夏至」「冬至」を起点※に、一年を24等分あるいはさらに三等分したものが「二十四節気」であり「七十二候」なのです。
この二つで、細やかな気候を示し、農作業の目安にしたたんです(「気候」の語源はまさにここから来ています)
※ただし農業における暦のスタートは、立春(冬至と春分の中間 この日から「春」となる)です。
例えば、茶摘み歌にある「八十八夜」。立春から88日目で、茶摘みの適期と言われます。「二百十日」は9月1日ごろ。台風や大風の多い時期です。余談ですが、宮沢賢治の小説「風の又三郎」、舞台は三郎という少年が田舎の小学校に転校してくることから始まります。その日が風の強い9月1日だったので、付いた呼び名が「風の又三郎」(風の神の子)だったんですねー。
さらに話がややこしくなっちゃいますが、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などは、「二十四節気」「七十二候」とは別の「雑節」と呼ばれる季節の区分です。
ってことで、最後に冬の「二十四節気」と「七十二候」を紹介します。年間のものを知りたい人は、wiki七十二候でも読んでね〜。
参考文献: アフロ「イラストで読む日本の七十二候」中経文庫