だいぶ前のことになりますが、元貴乃花親方がこんなこと言ってましたね。
「相撲って日本語じゃない。ヘブライ語なんです。世界をまたにかけて、思想を広げていければ」という発言だ。
元貴乃花親方「相撲はヘブライ語です」 離婚よりヤバいオカルトへの傾倒
・・・実は、元貴乃花親方のように「相撲はヘブライ語で、起源は古代イスラエルの神事だ」と主張する人たちは、一定数いる。「日本人とユダヤ人はヤコブの末裔で兄弟民族だ」(日ユ同祖論)と信じて、文字や記号の類似を収集する人たちだ。
記事にある通り、あの人はあっちの世界に行かれたなあ・・・と言うのが感想なんですけど、このヒトが国民の代表(国会議員さん)になるかもしれない なんて、いよいよ「時はまさに世紀末」です。日本の伝統を重んじる?自民党からの出馬はないとおもいますが(笑)。
まあ、こういうのは宗教なんで、信じたい人は勝手にどーぞ と言うしかない。けど、記事に書かれた「日ユ同祖論」を信じ、文字や記号の類似を収集する人たち (の群れ)と言うのはけっこう侮れないのです。
僕も昔、職場の研修で、このご高説を拝聴したことがあるんです。一応、国家公務員の技術研修で、御用学者を呼んでるはずなんですが・・・(研修タイトルと違うこと喋りやがって)
「日ユ同祖論での類似性探し」については、このNAVERの記事がよくまとまってます。 それはそれで「面白い」です!。
さて、彼のご高説によれば、ヘブライ語起源の言葉がたくさんある そうです。貰った資料は破り捨てたので、NAVERまとめから引用してみると・・・
一般に日本語はどの言語にも関連がないため“孤語言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語が優に3000語を超えて存在している。
侍(さむらい)。ヘブル語でシャムライは護衛者
バレる。ヘブル語でバレルは見つける。
打破(だは)。ヘブル語でダハは打ちのめす
映(は)える。ヘブル語でハエルは輝く
腹(はら)。ヘブル語でハラは怒る
こーる。ヘブル語でコールは寒い
もの。 ヘブル語でモノは物、事
蜜(みつ)。ブル語でミツは果汁
主(ぬし)。ヘブル語でナシは長、あるじ
終わる。ヘブル語でアワルは終わる
例のオカルト講義も同じような感じで、奇妙なことに、単語の共通性をあげるだけで、「ヘブライ語には母音がないんですけど?(もちろん日本語には母音があります)」とか「日本語とヘブライ語の文法の類似性は?語順はどうなん?」ってことには踏み込まねえんだな。てか、腹(はら)。ヘブル語でハラは怒る って、意味通じてなくない?
そもそも、全く別系統の言葉でも、たまたま偶然に意味が似通ってしまうことってあるんですよね。例えば英語の”kennel” 意味は犬小屋。「ケンネル=犬寝る」おおー、ここに意味ある共通性があるんじゃないの!日本語の起源は英語!!!
いやしくも学者を名乗るのであれば、単語の類似を探し出して喜んでいるより、まずはある二つの言語間において、こういう偶然の一致は、どのくらい発生するものなのか?そんで、それを超えてるのどうなん?って調べるべきですね。暴走老人の幻覚に付き合うのは、ごめんだよう。(てか、調べるだけの価値がないんで調べないんでしょうね?うん、たぶんそうだな。)
と言っても、うーん、言語統計学とかそういう分野があれば、答えは出てるんでしょうけど、分野が大違いでよくわからんす。一応僕が見つけられたのはこちら。
寺田寅彦 比較言語学における統計的研究法の可能性について 昭和3年
興味ある方は、上記リンクから「青空文庫」に跳べるんで、読んでみてください。本としては岩波文庫、寺田寅彦随筆集の二巻に入っています。
統計的手法と、ある意味大胆な仮定を元に検討を行って、「二言語間で偶然の一致が発生する確率は、3%くらいあっても、おかしくないんじゃね?」 と言うような結論を述べられています。
もちろん、専門外の、無理な仮定の上での計算なので、そのまま、ああそうですか とは言えないのですが、単語の類似性を探し出して喜んでいるより、真摯なアプローチだとは思いますね。語彙とか単語だけでは仕方ないですけど。
ちなみに、最初にあげた「相撲」の起源についてNAVERではこう触れられてます。
現在の日本で行なわれている相撲(すもう)とは様相が異なるが、『旧約聖書』には、イスラエル12支族の父ヤコブが天使と相撲をとる光景が描かれている。
ヤコブはこの天使との相撲に勝ったことで「イスラエル(神と闘う者)」という名前を授けられたのである。
じゃ、聖書※を見てみましょ。該当箇所は、創世記32-24あたり
ヤコブはひとり後に残ったが、一人の人が、夜明けまで彼と組討した。ところでその人は、ヤコブに勝てないのをみて、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちする間にはずれた・・・日本聖書協会 口語訳聖書
ヤコブの相手は組討で勝てないので、ヤコブの関節を外したり、仁義なき戦いです。これが、貴乃花の理想とする戦い方なのかな?・・・ともあれこれを読む限り、彼らがやってるのは、相撲じゃなくてプロレスかレスリングじゃないかと思います。
本筋とは関りありませんが、この外道野郎が「神様」です! しかし神が人に勝てないって、どーなってるんだ??
相撲は人間の闘争本能の発露である力くらべや取っ組み合いから発生した伝統あるスポーツである。これによく似た形態のスポーツは古来世界各地で行われた。
我が国の相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられる。
古事記の記載について補足(wiki)
日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲の起源とされている。
まあ、こちらもあんまりいい話じゃないけど、聖書起源よりはマシかなあ。
ちなみにこの勝負に勝って、中央派遣の建御雷は出雲を平定し、負けた建御名方は諏訪へ流罪(たぶん)になります。諏訪大社の主神が建御名方神さんです。軍神とされますが、ご当人は負けてるやん・・・。
※あれ、ユダヤ教なのに、なんで聖書の話が出てくるの?
聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」に分かれます。イエス・キリスト以前の預言者と神の契約を旧約と言い、キリスト以降のキリストの言葉や奇蹟を弟子たちがキリストの死後書いたものを新約聖書と言うんですな。(wiki「聖書」)
んで、ユダヤ教では旧約聖書に納められた 創世記 出エジプト記「 レビ記 民数記 申命記(モーゼ五書)をトーラ(律法)と呼び、正典とされてるのです。