しばらく仕事が忙しくて(体力的にきつくて)、ブログの更新をサボってしまいました。体がくたびれると、あんまり何も考えたくなくって。ビールを飲んで寝てしまうか、アニメでもぼーっと見ているのが幸せ・・・
と言う間に、節分もすぎ、立春になってしまいました(2月4日)。
文字通り、旧暦では今日からが「春」です。また旧暦上は立春に近い新月の日が正月となります。 年賀状に「迎春」「新春」って書くのは、日本も昔は旧暦で正月を祝っていたころの名残です。新暦だと意味が分かんないんだけどな。
ちなみに今年の場合、 立春に近い新月の日 は5日です。ニュースで「中国では春節を迎え・・・」ってやってますが、春節ってのは5日の旧暦正月を指すわけ。中華圏では4日の大晦日あたりから長期の春節休暇です。これから日本の観光地は、中華圏からのインバウンド観光客でごった返すんじゃないでしょうか?札幌雪祭りなんて、まさに中華インバウンドのためにあるようなもの。結果日本人観光客は肩身狭いかも・・・
この春節のシーズンで、中国人観光客がどこに行くのかというと、北海道。札幌です。きょうから雪まつりが本格化するからです。3会場ありまして、1会場だけは先週からオープンしていますが、大通り公園とか中心部の雪まつりはきょうからです。
雪まつりに中国人観光客が集中~札幌で行われていること
私も土日に札幌に行って来まして、中国人観光客の様子も見ましたが、もう沢山の観光客がすでに来ていて、キャパを超えています。ホテルが満杯状態で、改装しなければならない部屋も手を入れられないまま営業を続けている。雪まつりシーズンを外すことはできないということだそうです。それに対する批判や苦情も出ています。なおかつ飲食店もいっぱいです。
閑話休題。旧暦では新春が1年の始まりです。新暦は正月を始まりにしていますが、今でも農業暦は旧暦に合わせています。例えば今日から数えて88日目の「八十八夜」は茶摘みの時期。210日目の「二百十日」は暴風の季節・・・というように。これらは「雑節」と呼ばれる暦日です。
雑節(節分、彼岸、社日、八十八夜入梅、半夏生、土用 、二百十日 、二百二十日)
忘れるところでした。2月3日の「節分」もこの 雑節 の一つ。立春の前日です。文字通り「季節を分ける」から来ています。 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられ、それを追い払うための悪霊ばらい行事として、豆まきが行われていますね。「鬼は外。福は内」現代では、鬼はさしずめインフルエンザウイルス でしょうか。
全国のインフルエンザ患者数(1医療機関当たり)が1日、集計の始まった平成11年以来、過去最多となったことが明らかになった。検出されたウイルスは現在、A型が多くなっているが、例年2月頃からはB型の患者が増え始める傾向がある。1人が複数回罹患(りかん)するケースもあり、引き続き警戒が必要だ。
インフル猛威、今後はB型増加 流行要因不明
今流行ってるのはA型ですが、これからB型が増えるかも・・・って恐ろしいニュース。僕は冬の風邪予防としてここ数年、早寝早起き、ニンジンジュースでビタミン補給、加湿器の積極使用をしています。冬場は薪ストーブ炊いてるので、室内の乾燥は半端ないす。だから喉の弱い僕に冬場の加湿器は必須なんだけど。皆さまもお気を付けください。
そういえば、立春に関してもう一つ話題が。立春に卵が立つ という話が新聞に出て、気象台が実験して試したとか(昭和22年)。それを中谷宇吉郎博士が、秀逸な随筆「立春の卵」として残したんだ。新聞記事の紹介文と、随筆の文末を引用するけど、実際のところどうだったのか・・・青空文庫の引用を貼っておくので、続きは読んでみてください。
70年ほど前、丸みを帯びて通常では立つはずのない卵が立春に限って立つという噂(うわさ)が世界を駆け巡りました。それを受けて、中央気象台(現気象庁)の技師らが卵を立てるのに挑戦するという記事がのりました。今回はこの記事を紹介します。戦後すぐ、1947(昭和22)年の記事です。
・・・ 当時、この話を新聞で読んで科学の立場から調べたのが、物理学者の中谷宇吉郎博士(1900~62年)です。中谷博士は石川県出身で、雪の結晶を顕微鏡で観察し分類したほか、36年に世界で初めて人工雪を作ることに成功した人です。
立春に卵が立つって本当?
卵を立てるには、静かなところで、振動などのない台を選び、ゆっくり落ち著いて、五分や十分くらいはもちろんかけるつもりで、静かに何遍も調整をくり返す必要がある。そういうことは、卵は立たないものという想定の下ではほとんど不可能であり、事実やってみた人もなかったのであろう。そういう意味では、立春に卵が立つという中国の古書の記事には、案外深い意味があることになる。私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。
立春の卵
人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささい)な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。
立春の卵の話は、人類の盲点の存在を示す一例と考えると、なかなか味のある話である。これくらい巧い例というものは、そうざらにあるものではない。紐育・上海・東京間を二、三回通信する電報料くらいは使う値打のある話である。