一雨降る毎に、だんだん寒さが増していく日々。少し前までは、あんなに暑かったのに。いつの間にか夕暮れも早くなり、なんとなく物悲しい・・・そんな今日この頃じゃないでしょうか。 これこそ秋 ですねぇ。
ふと、こんな歌を思い出します。
「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」 (小倉百人一首 良暹法師)
あまりに寂しさがつのるので、庵から出てあたりを見渡してみると、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れが広がっていることよ
良暹法師は平安時代の比叡山で修行していた僧侶です。晩年は洛北大原の里で隠遁生活をしていたそうですが、隠遁に入ってまもなく歌われたようです。
比叡山は修行の場とは言え、周りには多くの僧侶いて、それなりににぎやかだったでしょう。そこから一気に「大原の里で隠遁」だと、そりゃ寂しさもひとしおだったでしょう。寂しさにいてもたってもいられず庵を飛び出したけど、飛び出した先も物悲しい景色しかないという・・
たとえ現代であっても、人里にあって過ごす場所が移らずとも、日照時間が減ると、人はなんとなくもの悲しさあるいはもの寂しさを感じてしまうものかと思います。晴れの日に比べると、曇りや雨の日にもそういう気分になりやすいですよね。
ちなみに、夏と秋の日没時間を比較してみると(名古屋地点)
- 9月1日(夏) 5:24 -18:20
- 11月1日(秋) 6:13 -16:59
2か月で1時間20分ほど日没の時間が早くなっていることが分かります。まだ2か月前の同時刻の記憶も鮮明に脳裏に残ってますから、日に日に暗くなっていくことが、秋の夕暮れ時に物悲しさを感じる要因ではないかと。
特に平安時代なんて照明代はえらく高く付きましたから、人間の活動時間はほぼ 太陽が照っている時間帯に限られていたわけですね。
だから「はやく明日の朝になるといいな!」と思いながら、早めに床に就いていたことでしょう、2か月前はまだこの時間も仕事してたのにな と思いつつ。現代なら照明をつけて 「秋の夜長は読書」としゃれこむこともできるところではありますが。まあ、代わりに「夜這いの季節」だったのかもしれませんけど(笑)。