熊野旅行記その2 本宮大社と熊野古道他

  • 山水館みどりや0800→発心門王子0830(宿の送迎バス)
  • 発心門王子→熊野本宮大社(熊野古道歩き)
  • 熊野本宮大社1115→新宮駅1216(バス)
  • 新宮駅1330→那智駅1409(バス) 補陀落山寺
  • 那智駅1440→紀伊勝浦駅1444(電車)

発心門王子から熊野本宮大社(熊野古道)

旅館を8時に出て、旅館のバスで熊野古道ウォーク(4時間コース)の出発点である発心門王子まで送ってもらいました。 

発心門王子

古道は山間の河川脇を通っているのかと思っていたのですがさにあらず、基本的に尾根歩きになるんですね。一緒に乗ってたご夫婦が「こんな寂しいところから一人で歩いていくなんて!」って言ってました(笑)。

まあ一人で山登りをする僕からすれば、その寂しさというか自由さがたまらなく好きなんですけどね。

ガイドブックには「美しい山里の集落をたどるように古道が残り、アップダウンも緩やかで手軽に歩けるコース」とあります。まあ迷うようなところはないし、キツイ上り下りは少ししかありませんが、雨具としっかりとした靴、水は必須です。しっかり歩かされます。

いくつか写真を並べましたが、こういう景色を眺めながらの山歩き?山里歩きは楽しくていいですね。途中いくつかの集落を通りますが、けっこう過疎がすすんでます。カフェもいくつかあったようですが、すべて閉鎖済。

一番下の写真に「果無山脈」って写ってますね。この旅のお供に持って行ったのが、 宇江利勝「山人の記」中公新書 ですけど、この本の副題はずばり「木の国 果無山脈」とドンピシャでした(笑)。この本、今は消えつつある「山人の営み」を綴った本で、僕の愛読書の一つです。オススメ。

てこてこ2時間くらい歩いて、熊野本宮大社の裏門に出ます。ここまで観光客とは一人もすれ違わなかったんですが、さすがに本宮大社にはちらほらいますね。

この神社は元からここにあったわけではなく、その昔は熊野川と支川の中州にあったのです(旧社地大斎原)。そこの櫟の巨木に神(月)が降臨したことが始まりで、神社の正式名称は「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」です。主神ースサノオ

大社は上・中・下社の三社、十二殿に祭神が鎮座していたので、熊野十二社権現とも言ったんですが、前回触れた「明治二十二年の大水害」で中・下社が倒壊し、残った上四杜のみを高台に移転。この上四社が現在の熊野本宮大社なのです。つまり明治二十二年以前は、さらに大規模な神社だったのです。

バスで新宮駅に戻り、昼食を求め仲町商店街をうろつきますが・・・食堂がない。てか、そもそも開いている店が少ない。

一軒だけColor’sというおしゃれなカフェを見つけました。非常においしかったのですがちょっと高めかなぁ。あとオッサンが1人で入ると、なんとなく居心地悪い、というか。他はみんな女性客でしたし・・・。

こういう時、ラーメン屋、王将、吉牛とかないかなあ と思ったんですが、駅からここまでの間では見つけられませんでした。後で紀伊勝浦方面に向かうバスに乗って国道42号(幹線)を通ったら、この道路に沿ってそういった店やショッピングモール、警察署などが建ってました。田舎は電車は本数が少なくて不便だから、幹線道路上に店が立ち並び、駅前が寂れるモータリゼーション化が進むのも仕方ないのですが、公共交通機関を使う観光客には・・・

補陀落山寺(ふだらくさんじ)

新宮駅から那智駅に向かいます。目指すお寺は那智駅のすぐ前にあるのです。

補陀洛山寺 。隣は熊野三所大神社

ところで、「補陀洛」って「ほだら」って読みそうになりませんか?それもそのはず、この言葉の語源は サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳で、チベットのダライ・ラマの宮殿ポタラ宮と同じだそうです(wiki)。

このお寺は補陀落渡海(ふだらくとかい)という捨身行の出発点として知られます。

船の上に入母屋造りの箱が置かれ、三十日分の食物や水とともに行者が乗り込む。行者が中へ入ると入り口は板などで塞がれ、沖合まで伴走船が曳航した後、人々が海流に流されて漂流していく船を見送る。

wiki補陀落渡海

このお寺から 補陀落渡海したのは25人。補陀洛山寺の住職が主体だったようですが、伝承上最も有名なのは平維盛でしょう。(平清盛の長男が重盛。重盛の長男が維盛。すなわち、平清盛の嫡孫です)

のちに高野山に入って出家し、熊野三山を参詣して3月末、船で那智の沖の山成島に渡り、松の木に清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだして補陀落渡海(入水自殺)したとされる(『平家物語』)。

wiki平維盛

まあ、さすがに江戸時代になると、補陀洛山寺の住職の遺体を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化したようです。今は整備された静かな海が広がるばかりですけど。

このお寺はもともと那智大社(熊野権現)の末寺の一つだったそうです。さらに那智の滝(那智大社)の水が流れ込む湾の頂部に位置しており、 ここにも思想的なものが感じられますね。

ちなみに寺のすぐお隣の熊野三所大神社には熊野速玉、那智、本宮大社の主神(イザナギ、イザナミ、スサノオ)が祭られており、 渡海する行者はここで最後に熊野の神々に祈りをささげたことでしょう。

と、湿っぽい話はこれくらいにして、電車で紀伊勝浦駅(那智勝浦町)に移動し、今夜のお宿へ。ソフトバンクが出資しているOYO-Hotelグループのホテルが、紀伊勝浦駅前にあるのです。「OYO 44422 Hotel&Renta Car 660」

孫正義も唸らせたインド発ホテル「OYO」、日本上陸の衝撃

まあ唸るほどじゃなかったですけど、大浴場(勝浦温泉)、並ビジネスホテル部屋、部屋に加湿器あり。500円の朝食、交通の便よし で、値段的になかなかよいと思いました。

晩御飯は、口コミで評判の良かった「いちりん」さんへ。 那智勝浦は全国有数のマグロ漁基地であり、隣の太地町は鯨の調査捕鯨基地ですから、ここは・・・

新鮮な鯨四種盛りと、マグロの血合い揚げ。いやあ、どちらも新鮮だと臭みも全くなくて、飛び切り旨い。

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

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