政府が経済対策を盛り込んだ補正予算案を組み替えて10万円の一律給付を行うことについて、麻生副総理兼財務大臣は閣議のあとの記者会見で、給付は自己申告に基づいて行われることになるという見通しを示しました。
さらに、必要な財源については「10万円かける1億2600万人で12兆6000億円かかる。今までの予算が4兆円で、差額が8兆から9兆円出る」と述べ、赤字国債のさらなる追加発行が避けられないという認識を示しました。
NHK
さすが本物のお金持ちの麻生さん。首相が一律配布って言ってんのに、まだそこ頑張るなんて、アンタどんだけケチや と、僕はむしろ感心してこのニュースを聞きました。
お金持ちではない僕なんか、「みんなにあげて、いらん人はどこかに寄付すればいいし、所得税の対象にして配布すれば、所得が減らない人はその分税金で戻せばいいやん、選別に時間かけんと早く配布したって」と思ったんですが。
それに日本国って、2020年度の政府当初予算102兆6580億円のうち、3割を超える32兆5562億円を借金(国債)で賄っている(ここ数年ずっとそんな感じ)すごくリッチな金の使い方をする国なんですよ。
なのに今だけ「一律給付する」か「要望する人だけにあげるか」にこだわって、半額辞退があったとして、たったの6兆円程度ケチってもしょうがなくね?
麻生さんには「だから君は金持ちになれんのだ」 と言われそうです。お金持ちは納得感があるものにしかお金を使わないそうです、よっぽど納得いかないのでしょう。
なぜ本物のお金持ちは「ケチ」といわれるのか
資産家といわれる人は、「納得感」があるものにしかお金を使わない傾向にあります。衣食住や子供の教育など、生活に必要なところにはお金をしっかりとかけますが(必要以上に華美ではありません)、納得できないものには1円でも使いたがらないように感じます。
東洋経済オンライン FP花輪陽子
納得できない理由。
麻生氏「同じ失敗したくない」 現金給付、一律では実施せず
麻生太郎財務相は1日の参院決算委員会で、リーマン・ショック後の2009年に実施した一律の現金給付に触れ、「二度と同じ失敗はしたくない」と述べた。
JIJI.com
リーマン後の「定額給付金」では、全国民に1万2000円(若年者と高齢者は2万円)を配布した。これについて、麻生氏は「何に使ったか誰も覚えていない。(国民に)受けなかった」と振り返った。
配った1万円が食費やら生活費に使われたら、いちいち何に使ったか細かく覚えていないのは当たり前だと思うんですけど。
でも10万円ってまとまった額をもらったら、僕だったら何に使ったか覚えているね(いま捕らぬ狸の皮算用してる)、麻生さんクラスの資産家だと感じ方が違うのかなあ?
あ、コレって行動経済学の理論(感応性逓減性)で説明できるかな。例えば、
あなたは何かに投資しています。その結果として①「あなたが持っている1万円が、2万円に増えました。」あるいは②「あなたが持ってる100万円が、101万円に増えました。」ってなった場合、どっちがうれしい?
どちらも儲けたのは1万円なんだけど、①1万円が2万円になったほうが嬉しさは大きいよね。これは「投資額が大きくなるにつれ、利得(損失)の受け止め方は鈍感になる」と言うことを示しているらしいんだけど、(利益率がちがうから、良い例じゃないな)それって
お金持ちと貧乏人に同じ金額のお金を配っても、ありがたみが全然違う ってことを示してるんじゃない?
麻生さんクラスだと、1万円も10万円もそう変わらんのかもな。
本来政治家という職業は、この辺りの貧乏人の感覚を想像できることが大事だと思うんだけど。そもそも選挙っていう泥臭い制度は、エリート出身者でも、それを感じ取るための通過儀礼のために存在してると思うんだよね。
と書いてて、ベスト&ブライテスト と言う本を思い出しました。
ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)
Amazon
The Best & the Brightest―ケネディが集め、ジョンソンが受け継いだ「最良にしても最も聡明な」人材だと絶賛されたエリート達が、なぜ米国を非道なベトナム戦争という泥沼に引きずり込んでしまったのか。賢者たちの愚行を、綿密な取材で克明に綴るベトナム問題の記念碑的レポート。
「なあ、リンドン。君の言うように連中は頭の切れる秀才かもしれんよ。けど私としては、彼らの中に一人でいいから、地方の保安官にでも立候補した人間がいれば、もっと安心して見ていられるんだがね」
安倍さんや麻生さんは選挙を潜って野党も経験したはずだけどなぁ・・・
今回の危機管理が必要な時に、様々な事象から、リーダシップが問われる首脳陣と補佐役が、そのあたりの感覚をそもそも持ち合わせていない ということが判明した。ってことが至極残念です。
※かっこいい政治家とは思わないが、二階幹事長とかはそういうのを感じとれているようだし、公明党もまだそれを感じるチャンネルを持っている ということは分かりました。それから各県の知事の間にも、この種の感受性有無があることがよくわかったなあ。