初夏に・・・紅葉狩り?

今日は休みですが、相変わらず「不要不急の外出はお控えください」なので、自宅で紅葉狩りをしながらテラスで昼食。こういう時、庭付き一戸建てはいいですね。まあ大都会で暮らすなら厳しいですが、田舎なら可能でしょう。

にしても、初夏に紅葉狩り・・・でも、確かに紅葉しているのです。

昼食はうどんでした(笑)

見栄えを考え、庭に四本植えたんですけど、2本はすでに というか葉が出てからずっと赤いままです。彼らはちゃんと光合成をしてるんだろうか?

この人は元気。
このひとも元気。
少し葉焼けしている気がする。(水不足?)
葉焼けしている感じ・・・はしないけど・・・

追記 SUZUKIさんからコメントを頂きました。この品種は新芽の時期から真っ赤な「手向山」っていう品種じゃないか とのこと(詳細はコメント欄をどうぞ)。ありがとうございます。 

葉っぱが初夏に目見麗しい赤になるように改良されてる品種のようですが、普通は緑色になるものを、どうやって改良するのか・・・すごいですねえ。

そういや「手向山」といえば、百人一首にありましたね。品種の命名はここから来てるんじゃないかな。

”このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに” 菅原道真

今度の旅は急だったので、神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向けの紅葉を捧げるので、御心のままにお受け取りください

時期は違えど、同じような場所に植えているんですけどね。木の種類が違うのかもしれませんが、不思議ですね。

梅雨の前に、テラスの再塗装をしとかなくちゃ。薪ストーブもそろそろ大掃除しないとなあ・・・

投稿者:

モト

元河川技術者、現在は里山保全の仕事をしているおっさんです。西尾市在住の本好き歴史オタク。

「初夏に・・・紅葉狩り?」への6件のフィードバック

  1. ご無沙汰しております、百姓伝記ではお世話になりました。その後面白い展開があったのですがいずれまたご報告します。
    葉っぱの赤いモミジ、枝が枝垂れ気味なのでヤマモミジの品種、「手向山」みたいですね、別名「紅枝垂」。新芽の頃は真っ赤で夏になると少し緑っぽくくすんできます。秋にはオレンジ色に紅葉します。ちゃんと葉緑素は持っていても赤紫の色素が多いので赤く見えるようです。
    カエデ類の品種は江戸時代に作出されたものが多く、今でも観葉樹木ではこの仲間に匹敵するものはありませんね。常緑花木のツバキ、落葉花木のサクラとともに当時の日本の園芸が世界最高レベルだった証のひとつだと思っています。

  2. SUZUKIさんありがとうございます。百姓伝記の件、楽しみにしてます!
     このモミジは、元園芸家の方に頂いたものですから、おっしゃる通り「手向山」かもしれないです(亡くなられたので確認できませんけど)。水不足とかじゃなくて良かった〜。
     当時の園芸のレベルが高かったことは、本では読んだことがあるのですが、実例は知らなかったので勉強になりました。ありがとうございます。新芽の頃から真っ赤って、すごい品種改良の結果ですよね。

  3. モトさん、こんにちわ。わんわんです。一色の件ではお世話になりました。
    私もGW中に、運転中の山の中で鮮やかな赤紫の紅葉を何本も見つけ、『え?異常気象?』と思ったら、山の動植物に詳しい知人から、そういう品種でずっと昔からあるとのことでした。山でも自生しているし、園芸種としてもあるとのことでした。他の色の紅葉と重ねたら色のグラデで奥行きがでそうです。狭い茶室の庭や町屋の坪庭に映えそうですね。
    でも数十年通ってる山道なのに、まったく気付かなかったんですよ。最近、地震が多発しているので、自然現象に敏感になっているようです。
    それにしても地震も怖いけど、大地震が起こった後の政府の対応のほうがもっと怖い・・と、コロナ禍の日々に感じまてます。

  4. わんわんさん、こんにちは。
    実は僕も、移設して3年目にようやく気が付いた次第です。自然現象に敏感になっているのか、あるいは何かの拍子にふと気が付いたのか、そこは分からないのですけど。でも前向きに考えるなら、こういうことがあるから、同じところでも何度も通う甲斐がある とも考えられますからね!。

    緊急時の、政府の対応・・・残念ですが、期待しないほうがいいですよね(笑)。今ならまだ間に合うから、お互い自衛力を磨きましょう!!

  5. もと様

    さて、百姓伝記から始まった治水のお勉強の結果のご報告です。大久保長安については八王子宿を作った人として地元では知られていますが、一般的には石見銀山や佐渡銀山、歴史に詳しい人で美濃や大和の国奉行、五街道の整備などが知られている事跡なんでしょうね。
    八王子に古くから伝承されていた「石見土手」については古地図や大熊先生の本などを参考に「本当は何をしたんだろうか」という事をこの10年ぐらいずっと考えてきました(ポチポチあちこちに書いていたものなどがネットに引っかかってきます)。ところが百姓伝記については図書館の農書全集では読めますが、岩波文庫では絶版で古本屋にもほとんど出ない、手元にほしいなあと思っていたところでこのブログの記事にあったおかげで大変助かりました。
    そして近年の国土地理院による積極的なデータ公開やカスタマイズまでできるWEBの構築、さらにアジア航測とたましん文化財団さんがやってくれた赤色立体地図の公開、重ねてみたら「八王子の治水」の仕組みがずいぶんわかりやすくなって下記リンクのような拙文にまとめ、「石見土手の治水」がなければ宿の建設もなかったという仮説が立てられました。
    研究者ではなくただの郷土史マニアなので内容が浅いところはお許しください。
    本当にありがとうございました。
    これをまとめたあとで同じ浅川左岸の遊水地に何で霞提がないのか、仮説が一つ思いつきました(ここには実家がありますので土地勘も含め)。左岸側にはあふれた水をためるのではなく、流入した水を別の水路に集め、浅川の本流と並行した「水みち」にして下流に流す仕組みができていたようです。ほかの地域にこういう事例はあるんでしょうか?
    また、よろしくお願いします。
    https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/1392015100/1392015100100020?dtl=all

  6. 拝見させていただきました。土地勘が無いので細かいところは分からないのですが、治水あっての街の発展、興味深い説だと感じました。 
     霞堤の事例はないのですが、似たような事例として?木曽川では、右岸と左岸の堤防の高さをわざと変えていた(政治的理由で洪水被害を片側に集中させていた) というような事例があります。よろしければ参考までどうぞ。https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwi3gO-M9bDqAhWVP3AKHamWC9EQFjAIegQICBAB&url=http%3A%2F%2Fwww.shotoku.ac.jp%2Fdata%2Ffacilities%2Flibrary%2Fpublication%2Feducation-kyoiku52_09.pdf&usg=AOvVaw07zPndtaW8MibbnO8u2N41

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